第2話 怪物《デュラハン》でも正義の味方を目指していいですか

『貴族に権力が集中しすぎたんだ。知っているだろう』


 王城へ進む途中、女騎士に聞いたことがある。


『陛下は……よい王様過ぎたのだろう。だから、貴族と商人ににされた』

『しかし、王様なんだろう?』

『実権を失っていた。残っていた領有権も、殿下の婚約が決まったことで……』


 この城郭都市は、もともと交易の重要拠点として栄えていたらしい。

 権力を失い、愛しい娘を奪われ、誰も信じられず、謀殺に怯える日々。

 その果てに王様は、宝物庫に納められていた、一冊の本を手にした。しっとりと濡れた、人の皮で装丁された、黄土色の本。遥か昔、魔王を討伐した際に手に入れた禁断の魔導書とも言われる。


 曰く、望みを叶える本。

 曰く、国を破滅させる本。


 なけなしの財力と、臣下たちの協力により、書物に書かれた儀式は行われ――。


「ああ――それが、コアか」


 俺が纏っていた鎧は、握り潰されたアルミ缶のように、どこもべこべこに凹んでいた。隙間からは青い炎が漏れだしており、首無騎士デュラハンというより燃える溶鉱炉のようだ。


 黄衣の王の心臓部、そこに、翡翠のような宝石があった。


 俺のような精神体や、黄衣の王のような定形を持たない魔物には、精気エナジーを蓄えるコアが存在する。その位置は一定ではなく、見つけるのは容易ではない。


「そんな姿、見せるわけには、いかないよ」


 床一面、壁一面、玉座の間だったその場所の全てに、黄衣の王の触腕が広がっていた。巨大なミミズで空間が溢れかえったようだ。脈動するように全体が動く。どくん、どくん、とミミズたちは波打っている。なおも増えていく。触腕は、広がっていく。


 辛うじて残る石柱を、俺は跳び渡った。


(この人は、悪ではない)


 いや、悪いことをした。魔物を溢れさせ、市民を死に追いやった。けれど、恨めなかった。悪を許せない、どうしても倒す、そんな気はしなかった。


(恋人と戦った正義の味方は、どんな気分だったのだろう)


 悪の組織は許せない。放っておけば被害者が出る。しかし、目の前の怪人は恋人だ。

 憎いと思って、倒すことができるだろうか。


 ――大剣を構える。


 一歩、二歩、迫る触腕を避け、石柱から石柱へと飛び移る。

 いつの間にか、太陽が地平線に沈もうとしていた。夕日を受け、触腕はぬらぬらとした光を返した。玉座の間から溢れ、黄衣の王の触腕は、近くの塔にさえへばりついていく。そこに収められていた鐘が、襲い掛かる触腕によって鳴らされた。


 紅に沈む城郭都市に、ごぉん、ごぉん、と、鐘の音が響き渡る。


「おおおあっ!」


 石柱を蹴り、黄衣の王のコアへと跳びかかる。


 鎧が触腕に貫かれ、さらに変形する。――関係ない。振り下ろす大剣は、その勢いを止めることなく、コアへと伸びた。大剣が折れる。激しい金属音が鳴り響く。それは鐘の音よりもなお強く、甲高かった。それはまるで、断末魔のような響きであった。


 城を覆っていく触腕が、夕焼けの空へと霧散する。


 折れた大剣を、玉座の間に突き立てた。それを杖のようにして、呼吸など必要ないのに、俺は肩で息をする。鎧はほとんど剥がれ、青い炎の塊のようであった。


「やっぱり、王様だったのねぇ」

「――ああ」


 玉座に、黄衣の王が座っていた。

 いや、今はもう、人の姿をしている。王冠を被り、眠るように玉座に腰かけていた。その手から魔導書が滑り落ち、夕焼けの中、青い炎に包まれて灰となった。


「新しい鎧でも、探してくるわ」


 ナルシャットが飛んでいく。


 俺はその背を見送った。改めて見ると、淫魔だけあり、ナルシャットは美人で、スタイルも良かった。人に迷惑のかからないところでなら、協力し合ってもいいなと思った。

 街から遠く離れた、どこか、静かな場所で……。


「――よくも、お父様を」


 燃える青い炎の中心、コアの部分を、白刃が貫いている。


 王女様が、俺を見上げていた。憎々しげに、睨んでいた。


 良かった、と思った。かくして、王様を操っていた魔物は、王女様の手によって討たれ、王国は再び平和を取り戻す。めでたしめでたし。狂った王様が魔物となり、民を虐殺しました、よりもよほど良い。ずっと正しい結末だ。


 青い炎が、煙となって昇っていく。


 やがて、紅の空に溶けていった。落ち行く太陽の最後の光が玉座の間に射しこむ。激しい戦いのせいか、もはや輝きを失った折れた大剣が、墓標のように、そこにあった。


   ――第2話 怪物デュラハンでも正義の味方を目指していいですか――了

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