第1話 電車にひかれたけど、チート能力で天下を取る。
4
「止まるな!」
門前に止めていた馬に乗り、平地を駆け抜ける。
マヌルに方向を指示し、とにかく逃げさせた。薄暮の世界、空にだけ紅の残る中、魔女の髪は揺らめき、いくつかの色に輝いていた。金色の瞳は僕だけを見据えている。
「あの女の構造は――分析、改竄、準備」
魔女はスキルで認識できない。だから、見たまま、感じたまま、そこにあるままを捉え、定義し、この世界に浮かび上がらせる。在ることにする。
複雑な色の長い髪、機械的な金色の目、フリルのついたワンピースをまとい、赤いリボンをつけている。足元は淡く光り輝き、その手には、箒――魔銃を手にしている。
それは在る。存在している。
かくあれかし。
「
かくして、
「み、見えましたっ!」
マヌルは、魔女を見た。この世界に存在しない魔銃で空を飛び、縦横無尽に馬を追う魔女の姿を。マヌルが弓に矢をつがえて射る。夜闇が周囲を覆い始めているというのに、三射目で魔女に矢が掠った。
「当たった。ということは、存在している!」
僕は改めてスキルを試す。
――魔女。
捉えた。対象になっている。
「逃げ続けてくれ。僕が、やってみる」
存在の消滅……は、定義した分だけが消える、ということになったら困る。どう困るのか、よくわからないが、僕にさえ見えない、聞こえない何かが襲ってきたら困る。
思考の改竄は、
「なんだ、こいつっ」
魔女の脳内は、こちらの脳が焼き切れるほどの無数の文字列が走っていた。どんな人間の脳内とも違う。だいたい、その文字列からして言語化できない奇怪な記号の群れだ。
「……本当に、生き物か?」
「旦那さま! 矢を射ちますか!?」
「いや、このまま、殺す」
魔女の生存機能を改竄し、死んだ状態に書き換える。金色の目を真っ向から見据え、僕は右腕を伸ばした。そうする必要はないが、より掴みやすくなる気がした。
「
魔女は、ふらりと
「っ、こいつっ!」
そのまま、銃口を僕へと向けた。
「やはり、私が!」
「マヌル、ちがう」
「ちがう?」
魔女は、死という概念を持っていない。
チートコードを使ってもなお、殺せない。そもそも生きていない。存在していることがおかしい。倒した瞬間、不具合でゲームが止まるレベルのバグキャラだ。
「あれは……空間が」
無理やり存在することにした影響か、魔女の周囲の空間が歪んでいく。
ねじれた空間の裂け目から、極彩色の泡が浮かび上がる。カラフルなショボン玉はたちまちに空間を覆いつくし、僕と魔女との間は子供の塗り絵のような世界に変貌した。
「このっ! くらえ!」
マヌルの射た矢は、シャボン玉に触れて溶けていく。
「――深度調整。乖離率補正」
二射目は、魔女の体をすり抜けた。
魔女の銃口が僕を見据える。
「修正――開始」
魔銃が吠えた。それは放つというよりも、照らすに近い。何かが飛び出してきたわけではない。空間を割き、レーザーのような光が僕を貫いた。
痛みはない。僕は馬から転がり落ちた。マヌルは手綱を引く。
「旦那さま! ご無事で……!」
ゆらり、と、僕は自分の体がゆらいだように感じた。
薄れて行く。改竄スキルで存在ごと消した時によく似ていた。その存在の痕跡ごと、世界から消えていく。僕は自分の形が、存在が、世界から薄れていくのを感じた。
「――改竄! 改竄!」
対象――存在せず。
スキルで自分を捉えようとしても、すでに存在しないことになっている。おかしい。こんなことはおかしい。いや、そうだ。もう一度、定義し直せば。もう一度、存在することにすれば。ないものを、あることに。僕が、この世界に、在ると定義すれば。
「僕は、僕は――なんだ」
僕は、なんだ。僕は、どういう人間だ。僕は、どういう存在だ。
どう定義したところで、それは、僕とは言えない気がする。名前があるから僕なのではない。スキルがあるから僕なのではない。しかし、では、僕とは、どう定義すればいい。
「終了」
魔女の金色の目は、宵闇の中に消えていく。
あたりはすっかり暗かった。歪んでいた空間も正常に戻り、いつもの荒涼とした風が野に吹いていた。肌を裂くような乾いた、冷たい風が、僕の体を通り抜けていく。
消えるのか。
このまま、何もなさないまま。復讐なんて欠片も遂げず、こんな異世界の野原で、また殺されるのか。だとしたら、僕は、何のために、二度も異なる世界で生きてきたんだ。
結局、なにも出来ないままなのか。くわれる側のままなのか。
『善きかな』
先生が、そう笑っていたのを思い出す。
――善いわけ、ないだろ。
足掻いて、足掻いて、その果てに何もないなんて、そんなこと、許されない。僕は許さない。否定する。絶対に否定する。そんなものはすべて、この手で、改竄――
「旦那さま!」
マヌルが駆け寄る。
宵闇の空は深い藍色で、星の一つも昇ってはいなかった。かすかなシルエットのようなマヌルの腕は、野原の途上で、空を切った。それは、まるで花でも摘もうとしたかのようだった。
「……あれ? 私」
周囲をマヌルは見回す。馬が不思議そうに首を巡らしていた。
風だけが音を立てていた。
「私は――いったい……」
冷えていく夜気に、マヌルは毛皮をかけなおす。その毛皮にだけ雨が落ちた。マヌルは頬を拭う。どうして涙が出ているのか、それもわからない。
吐く息が、白く煙る。その唇にだけ、夕陽が残っていた。
――第1話 電車にひかれたけど、チート能力で天下を取る。―― 了
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