第1話 電車にひかれたけど、チート能力で天下を取る。

「止まるな!」


 門前に止めていた馬に乗り、平地を駆け抜ける。

 マヌルに方向を指示し、とにかく逃げさせた。薄暮の世界、空にだけ紅の残る中、魔女の髪は揺らめき、いくつかの色に輝いていた。金色の瞳は僕だけを見据えている。


「あの女の構造は――分析、改竄、準備」


 魔女はスキルで認識できない。だから、見たまま、感じたまま、そこにあるままを捉え、定義し、この世界に浮かび上がらせる。在ることにする。

 複雑な色の長い髪、機械的な金色の目、フリルのついたワンピースをまとい、赤いリボンをつけている。足元は淡く光り輝き、その手には、箒――魔銃を手にしている。


 それは在る。存在している。


 かくあれかし。


改竄チート!」


 かくして、


「み、見えましたっ!」


 マヌルは、魔女を見た。この世界に存在しない魔銃で空を飛び、縦横無尽に馬を追う魔女の姿を。マヌルが弓に矢をつがえて射る。夜闇が周囲を覆い始めているというのに、三射目で魔女に矢が掠った。


「当たった。ということは、存在している!」


 僕は改めてスキルを試す。


 ――魔女。


 捉えた。対象になっている。


「逃げ続けてくれ。僕が、やってみる」


 存在の消滅……は、定義した分だけが消える、ということになったら困る。どう困るのか、よくわからないが、僕にさえ見えない、聞こえない何かが襲ってきたら困る。


 思考の改竄は、


「なんだ、こいつっ」


 魔女の脳内は、こちらの脳が焼き切れるほどの無数の文字列が走っていた。どんな人間の脳内とも違う。だいたい、その文字列からして言語化できない奇怪な記号の群れだ。


「……本当に、生き物か?」

「旦那さま! 矢を射ちますか!?」

「いや、このまま、殺す」


 魔女の生存機能を改竄し、死んだ状態に書き換える。金色の目を真っ向から見据え、僕は右腕を伸ばした。そうする必要はないが、よりなる気がした。


改竄チート!」


 魔女は、ふらりとかしいで、魔銃から落ち、土煙を上げて野に転がり――


「っ、こいつっ!」


 そのまま、銃口を僕へと向けた。

 

「やはり、私が!」

「マヌル、ちがう」

「ちがう?」


 魔女は、死という概念を持っていない。


 チートコードを使ってもなお、殺せない。そもそも生きていない。存在していることがおかしい。倒した瞬間、不具合でゲームが止まるレベルのバグキャラだ。


「あれは……空間が」


 無理やり存在することにした影響か、魔女の周囲の空間が歪んでいく。

 ねじれた空間の裂け目から、極彩色の泡が浮かび上がる。カラフルなショボン玉はたちまちに空間を覆いつくし、僕と魔女との間は子供の塗り絵のような世界に変貌した。


「このっ! くらえ!」


 マヌルの射た矢は、シャボン玉に触れて溶けていく。


「――深度調整。乖離率補正」


 二射目は、魔女の体をすり抜けた。


 魔女の銃口が僕を見据える。


「修正――開始」


 魔銃が吠えた。それは放つというよりも、照らすに近い。何かが飛び出してきたわけではない。空間を割き、レーザーのような光が僕を貫いた。

痛みはない。僕は馬から転がり落ちた。マヌルは手綱を引く。


「旦那さま! ご無事で……!」


 ゆらり、と、僕は自分の体がように感じた。


 薄れて行く。改竄スキルで存在ごと消した時によく似ていた。その存在の痕跡ごと、世界から消えていく。僕は自分の形が、存在が、世界から薄れていくのを感じた。


「――改竄! 改竄!」


 対象――存在せず。


 スキルで自分を捉えようとしても、すでに存在しないことになっている。おかしい。こんなことはおかしい。いや、そうだ。もう一度、定義し直せば。もう一度、存在することにすれば。ないものを、あることに。僕が、この世界に、と定義すれば。


「僕は、僕は――なんだ」


 僕は、なんだ。僕は、どういう人間だ。僕は、どういう存在だ。

 どう定義したところで、それは、僕とは言えない気がする。名前があるから僕なのではない。スキルがあるから僕なのではない。しかし、では、僕とは、どう定義すればいい。


「終了」


 魔女の金色の目は、宵闇の中に消えていく。


 あたりはすっかり暗かった。歪んでいた空間も正常に戻り、いつもの荒涼とした風が野に吹いていた。肌を裂くような乾いた、冷たい風が、僕の体を通り抜けていく。


 消えるのか。


 このまま、何もなさないまま。復讐なんて欠片も遂げず、こんな異世界の野原で、また殺されるのか。だとしたら、僕は、何のために、二度も異なる世界で生きてきたんだ。


 結局、なにも出来ないままなのか。のままなのか。


『善きかな』


 先生が、そう笑っていたのを思い出す。


 ――善いわけ、ないだろ。


 足掻いて、足掻いて、その果てに何もないなんて、そんなこと、許されない。僕は許さない。否定する。絶対に否定する。そんなものはすべて、この手で、改竄――


「旦那さま!」


 マヌルが駆け寄る。

 宵闇の空は深い藍色で、星の一つも昇ってはいなかった。かすかなシルエットのようなマヌルの腕は、野原の途上で、空を切った。それは、まるで花でも摘もうとしたかのようだった。


「……あれ? 私」


 周囲をマヌルは見回す。馬が不思議そうに首を巡らしていた。

 風だけが音を立てていた。


「私は――いったい……」


 冷えていく夜気に、マヌルは毛皮をかけなおす。その毛皮にだけ雨が落ちた。マヌルは頬を拭う。どうして涙が出ているのか、それもわからない。


 吐く息が、白く煙る。その唇にだけ、夕陽が残っていた。



     ――第1話 電車にひかれたけど、チート能力で天下を取る。―― 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る