第1話 電車にひかれたけど、チート能力で天下を取る。

「適当なことばかり言う、事なかれ主義」


 ドリームランドで、先生と呼ばれる人物に会いに行ったことがある。まだ軍に入る前だ。有名な塾ということで、多くの才人がそこで思想や内政、軍略を学んでいた。


「善きかな、善きかな」


 と、なんでも褒める人だった。

 ドリームランドは国が割れ、群雄割拠の時代である。世に出ようというものたちが集まれば、血のつながりや出身、主義主張など、多くの理由で争いがおこる。


 しかし、先生が「善きかな、善きかな」と言うと、不思議と静まった。


「毛無し」


 ドリームランドで、僕はそうさげすまれた。

 この獣人たちが暮らす世界では、豊かでつややかな毛並みが家柄と美しさを表している。体毛が薄いというのは非常な恥であるらしく、人間のように肌が見えるような生き物は、見るに堪えない存在であり、それこそ奴隷階級、あるいは、それ以下であるらしい。


「善きかな、善きかな」


 先生は、僕を見ても、そう言った。


 その理由を、僕は、事なかれ主義だから、だと思った。本当は見下しているくせに、ひとまず「善きかな」で済ませておく。面倒な決断は避ける。そうすることで、この戦乱の世で塾というものを長く続けているのだろう、と。


 腹黒く、優柔不断なカワウソ男。


 そう思っていた。


「きみ、なにがそんなに憎いんだい」


 箔を付けるために塾へ通い始めてしばらく、先生が声をかけてきた。


「ここにはね、色んな生徒がいる。暗い過去を持つものだっていくらもいる」

「僕には、関係のないことです」

「こんな唄がある。草に寝て、露に濡れてる身の上ながら、なんの不足で虫は鳴く」

「はあ」


 夕暮れだった。子供たちの駆けていく声を、縁側で聞く。先生は自分で茶を淹れ、湯呑を一つ僕に渡した。先生は、家事雑事に人を使うのを嫌うところがあった。


「……先生は、もとは高位高官であったと聞きますが」


 湯のみの中で揺れる茶は、暮れていく光に色づいて紅茶に見えた。


「きみ、成功とは何だと思う」

「成功?」

「この国を治めるのは帝だ。帝は国の父も同然、父に仕えるのは子の役目だ。自分に能力があるならば、よりよく働き、国に奉仕するのが民の義務である」

「義務を果たすことが、成功と?」

「天に背く行動をしなければ、天もまたこれに背かない」


 先生は茶をすすった。音が立つ。あまり綺麗な飲み方ではなかった。


「昔、わしが治めていた土地で地震があり、この時、妻も亡くなった」

「それは……」

「人の命は天命。ともあれ、被害が大きく、都に渡って復興の手筈を整えることにした。これには財政的な問題が大きく、すっかり元に戻すのに10年以上かかってしまった」


 先生のもとには、立身出世を望むものたちだけでなく、近所の子供たちも読み書きを学びに来る。来るもの拒まず。一緒に昼寝をし、遊んだのと同じ口で、軍略を語る。


「その10年の間に後妻を迎えた。北方の出身というが毛の濃い娘で、身内もなく行き場をなくしていたところを雇い、よく働き気立ても良かったので、娶ることにした」


 日が暮れると、すぐに温度が下がる。


「しかし、彼女は、姪だった」

「姪?」

「北方に遠征に出た弟がいた。経歴を辿ると、その弟に行きついた」


 あまり熱くない茶でも、湯気が昇った。


「わしは天に背こうとしたことはない。賄賂を受けたこともなければ、人を貶めたこともない。ひたすら清廉であろうとした。しかし妻を失い、子を得られず、不義を犯した」


 何を言いたいのか。僕はそう思ったが、口にはしなかった。

 道徳的に生きることの難しさ。それが実質的に不可能でさえあること。

 僕は思っていた。

 なら、道徳的に生きなければいい。そんな生き方、にされるだけだ。


「天に背く行動をしなければ、天もまたこれに背かない」


 先生は、大きくあくびをしながら、縁側に横になった。


「即ち、全て、善きかな」

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