第1章「ボクのお願いを聞いてほしいんだ」
屋根に取り付けられたソーラーパネルが、光合成のように日光をたっぷりと浴びている空の下、男は商店街の看板を観光名所でも見るような目で見上げた。
「この町の名前は
商店街に入ると、道の左右には玩具屋や八百屋などが並び、本やテレビで紹介される昭和の商店街という言葉がぴったりの雰囲気だった。
目に止まったのは一軒の本屋、掲げられた看板にはひなたぼっこと書かれている。一軒家を改築したらしく、一階が店舗で二階が住居のようだ。
向かいには文具屋、左右を猫カフェとドラッグストアに挟まれて目立ちはしないが、砂鉄を引き寄せる磁石のような魅力が滲み出ていた。
ガラス張りの出入り口から中が見え、室内には隙間なく本棚には、大小様々な本が手に取りやすいように収められている。
一番奥のカウンターに灰色の大きな毛玉が鎮座しているのが気になり更に目を凝らそうとする。
すると、主人と思われる女性がこちらに顔を向けてきたので、目を逸らしてその場を後にする。
人に話しかけられるのは時間の無駄だ。今は知りたいことがたくさんあるのだから。
その背中を猫カフェの猫達が痛いほど視線を送っていることには気づかなかった。
男は大通りの交差点に出ると、人混みが出来ているところを避けて町のあらゆるところを見ていく。すれ違う人は皆前を向き笑顔で、暗い表情をしている人は見当たらない。更に驚いたことに猫が多く、思わず鼻を抑えてしまう。
ほぼ一対一の比率で人と猫が一緒に過ごしている。
人と一緒に歩く猫もいれば、おじさんのようにお腹を見せて座り込んでいる猫もいた。
人馴れしているのか、平気で足元をすり抜けていき、男と目線が交差しても逃げようとしない。
車道の真ん中で、日差しを浴びて伸びをしている猫を誰も迷惑に思っていないらしく、車の運転手も満足するまで待っているようだ。
結局、近くを通りかかった警官が猫を抱き抱えて道を開けるまで、車両は通行止めになっていた。
鼻から手を離した男にとって、町の全ては珍しく見える。
街路樹の樹皮に手を触れて立ち止まったり、開店準備中のパン屋から漂う焼き立てのパンの香りを胸いっぱいに吸い込む。
その様子を見たのか、パン屋から出てきた店員に声をかけられるも、小さく頭を下げて逃げるように去った。
事件か事故でもあったのか警官の数が多い。けれども緊迫した気配は感じられず、笑顔で談笑していたりする。
男は来て早々挙動不審で捕まっては困ると思い、なるべく視界に入らないように注意する。
大きなショッピングセンターを通り過ぎたところで、公園を見つけ、設置されているベンチに一休みがてら座ることにした。
ちょうど日差しが降り注ぎ、冬とはいえ木製のベンチは身体が冷えないほどには温められている。
鼻の通りを確認しながら座ってみると、大きな病院が目に入った。この町の大学病院だろうか、白い壁は陽の光に照らされ輝きを放ち新品のよう。
見慣れた病院とは違いすぎて、その眩しさに目が眩んでしまいそうだ。
腰を落ち着けると、おもむろに鞄に手を入れ骨のような鉛筆と透き通るように白い肌のスケッチブックを取り出す。
鞄に入っていたナイフで鉛筆を削り、指先に刺さりそうなほど尖らせると、記憶を紙に焼き付けるように商店街の看板やパン屋、猫と戯れる人などを描いていく。
はみ出したところは、使いやすい大きさにちぎった赤い練り消しゴムで消していった。
公園では両親とその息子であると思われる少年が楽しそうに遊んでいる。
その笑い声は男の心を落ち着け、自分だけの世界に没頭させてくれた。
ある程度描き終えて集中力が切れた隙間を埋めるように、人々のざわめきが耳に入っていた。
鉛筆を持つ手を止めると、公園にいた親子は消え、出入口前に人々が背中を向けて並んでいる。
もしかしたら新しいスケッチの役に立つかもしれない。鉛筆とスケッチブックをしまって出入口に向かう。
集まった人達は皆同じ方向に視線を向けている。
歩道にいるのは老若男女だけでなく猫達も興味津々な様子で尻尾を左右に振っていた。先ほどの親子の隣が空いていたのでそこに立つ。
男の子の笑顔は、これからとても嬉しいことが起こることを予感させるものだった。
その笑顔に気を取られていると、男の子が車道を指さした。見ると、車道の真ん中を三人の男が走ってくる。
三人ともお揃いの黒いジャンパーにスラックス。全員風邪でも引いているのかマスクをし、同じサングラスと帽子をかぶっている。その格好はまるで今にも一仕事終えて逃走を図る強盗みたいだった。
三人組は車の来る気配のない車道を我が物顔で走っていく。
先ほどいた沢山の警察官達は何をしているのか、全く姿を見せない。
男の前を通り過ぎた三人組が歩道橋のある十字路に差し掛かろうとしたその時、道を塞ぐように歩道橋の上から二つの人影が勢いよく飛び降りた。
一体は両足をうまく使って衝撃を吸収して音もなく着地。もう一体は落ちる途中でバランスを崩したのか、胸から落ちてアスファルトに激突すると、今の失敗を無かったことにするように素早く立ち上がる。
三人組の前に立ちはだかったのは、一体は三毛色もう一体は白色。人によく似ているが金属質の身体をバレリーナのような爪先立ちで支えている。
頭から伸びている大きな三角形の耳はどう見てもある動物を連想させた。
三毛色が肉球のついた掌を前に出し楕円形のフェイスシールドに光を宿らせる。
それは携帯の絵文字のような怒り顔に見える。
声は出さないが、動くなと警告をしているようだ。
三人組はスラックスのポケットから掌に収まるほどの棒を取り出すと、勢いよく腕を振る。
警告に従う気はないようだ。掌に隠れてしまいそうだった棒が一気に伸び、相手を叩くのに丁度いい長さの警棒となった。
見物客達からどよめきが走る。
それを見た白色は内股のまま身体を震わせ、首に巻いているストールがお腹を守るように巻きついていた。
三毛色の方は白色と三人組を交互に見ると、やれやれと言いたげに肩をすくめ、雷のような尻尾を波打つように振りながら、三人組の方に近づいていく。
先頭の一人が側頭部を狙って横薙ぎに警棒を振る。
三毛色は軽く頭を逸らして避け電光石火のジャブを顔面にヒットさせると、一人目はマスク越しに鼻を抑えて尻餅をついた。
二人目が振り下ろした右腕を右手で逸らしてから腹部に左フックを打ち込む。
右の脇腹を殴られた二人目は警棒を落とし、腹を押さえて蹲る。
三人目は一瞬怯みはしたが、一矢報いようと警棒を振り回す。
その動きは狙うというよりも、無闇矢鱈に腕を動かしているように見えた。
出鱈目な動きで規則性はないが、三毛色は最小限の動きでそれらを交わすと、剃刀のような右のハイキックを繰り出す。
三人目はこめかみを強打され膝から崩れ落ちた。
倒れた事を確認することもなく三毛色は最初の一人目に顔を向ける。
彼は他の二人を置き去りにして、背中を向けて逃げている。
三毛色は姿勢を低くしてダッシュ。雷を纏った両足がバネのように伸び上がり、一瞬にして距離を詰めるどころか前に出ると、這うような低い姿勢から天に昇るようなアッパーカットを顎に直撃させる。
拳から雷が放出され、一人目は丘に上がった魚のように四肢を伸ばして倒れ込んだ。
その姿勢のまま後頭部がアスファルトにぶつかる寸前、三毛色の肉球を備えた掌によって事なきを得た。
三毛色は頭とアスファルトの衝突を防ぎながらも、雷を帯びた右手を握ったり開いたりしていた。
歩道で見ていた人達から歓声が上がり、初見の男には爆発音か何かと一瞬勘違いするほど。
左右を見ると、皆三毛色に向かって拍手を送っている。
猫達もキナコの活躍を讃えるように、真っ直ぐに立てた尻尾を振っていた。
「キナコー!」
声を発したのは先ほどの男の子。いつのまにか父親と思しき男性に肩車してもらっていた。
「キナコかっこよかったー!!」
自分の名前を呼ばれたらしい三毛色は軽く手をあげて答える。
少ししてから警官達が大勢やってきた。
大捕物があったのに、今頃来たのかと思っていると、警官達は三人組を逮捕せず介抱し始める。
驚いたことに三人組は逃げる素振りも見せず、警官達と旧友のように話し始めた。
どうやらこれは訓練だったようだ。あの三人組は強盗役の警察官だったのだろう。
そうなると、子供からキナコと呼ばれていた正体も警察官だろうか、待っていてもマスクを外す素振りは見られない。
この場にいる誰も、キナコの正体を知っているのかそれとも興味がないのか追及しようとせず、鮮やかなアクションを見せたキナコに賞賛の拍手を送っていた。
男も今見た事を忘れないうちに、早速鉛筆とスケッチブックを取り出し、目の前にいる人ではない存在を永遠に閉じ込めるように絵を描き始める。
三角形の耳、雷のような尻尾、そして金属質の身体と爪先立ちを除けば人のシルエットと大差ない。
丸みを帯びて膨らんだ胸に砂時計のようにくびれた腰から豊かな臀部のラインは、女性と言っても差し支えはない。
キナコと白色は周りの喧騒は気にせず、二人で会話している。と言っても声は出さずにジェスチャーで意思疎通をしていた。
『さっきの着地は何? もっと綺麗に着地しなさい。教えたでしょ』
キナコは両手を大きく広げた。
『ごめん。緊張してうまく身体が動かなくて。でもさすがキナコ姐、とってもかっこよかった』
白色は両手を胸の前に置いて、途中で顔を上げる。
『褒めたって何も出ない。今日ミスした事は忘れないわよ』
腰に手を当てたキナコに人差し指で指摘され、白色は地面に沈み込みそうなほど縮こまってしまう。
自分の額に手を当てて考え事をするようなポーズを取るキナコ。
『しょげてないで……』
男は脳内会話を繰り広げながら絵を描いていると、二体は高く跳躍してその場を離れてしまった。
声をかける間も無く、二体は空の点となって消えてしまう。
上を見たまま固まっていると、肩を軽く引っ張られる。
首を巡らせると、先ほどの男の子。
「キナコカッコよかったでしょ。僕たちを守ってくれるヒーローなんだよ。ヒーロー!」
男の子は両腕をめいいっぱい広げて、キナコの偉大さを伝えようとしている。
「おじさんはこの町来たの初めて?」
どうやら、この世界のヒーローはこの街にしかいないようだ。ならば話を聞いてみるか。
「そうなんだ。この町にいるヒーローに会ってみたくてね。おじさんもっと……」
「キナコだよ」
「そうキナコ。キナコにはどこ行けば会えるかな?」
「ひなたぼっこってお店で会えるよ」
男の脳内で先ほどの小さな本屋が描かれる。
「分かった。行ってみるよ」
男は手を振る男の子に礼を言うと商店街の方に戻ることにした。
イベントが終わり、人々と猫達がまばらに散らばっていく。
男も人の波に逆らわずに進み、スケッチブックと鉛筆を取り出した。
流れに乗りながらスケッチブックと前を交互に見ていると、車道の反対側にある一匹の白猫に気付く。
その猫が他の猫と違うのは、まるで人見知りかのように目が合った途端、反射的に目線をずらしたからだ。
こちらが目線を据えていると、白猫は見られていることに気付いたのか、身体を膨らませてその場を逃げ出す。
見失うまいと走り出して車道に飛び出した時、首が傾いてしまうほどの高音が鼓膜を襲う。
それがクラクションだと気づいた時には、バスのヘッドライトが眼前に迫っていた。
しまった。と思う間も無く衝突してしまうはずだったが、バスの進行方向とは違う方向に突き飛ばされる。
金属同士がぶつかる音が背中のすぐ後ろで響いたが、不思議と何の衝撃も伝わらなかった。
ショックから立ち直り、自分の身体が白色の金属の塊に包まれていることに気づく。
「自分で立てるよ」
その言葉を待っていたように身体を支え衝撃を吸収してくれた両手が肩に回り、立たせてくれた。
急停止した運転手の男性が今にも泣きそうな顔で走って近づいてきた。
「申し訳ありません大丈夫ですか怪我はしてないですか今救急車を呼びますから」
震える手でスマホを取り出そうとする運転手を制する。
「大丈夫ですよ。元はと言えば不注意だった僕が悪いんです。それに彼が助けてくれましたから」
バスの運転手は男に言われて初めて気付いたようだ。
「助かったよシラタマ。本当にありがとう」
運転手はシラタマの両手を握って何度も頭を下げる。
礼を言われたシラタマの眉根が下がった表情はまるで恐縮したみたいで、運転手と一緒になって何度も頭を下げていた。
バスが何事もなく走り出したところで、男は改めて恩人の方を向く。
「君はシラタマというのかい」
肯定するようにシラタマは頷く。
「キナコに会いたいのだけれど、ひなたぼっこという本屋に行けば会えるかな」
シラタマは考えるように首を傾げる。こちらの言葉が通じていないとは考えられない。
自分の言葉に二つの質問が入っていたことに気づき、訂正する。
「ひなたぼっこにキナコはいるのかな」
少し躊躇ってからシラタマが頷く。
「でも、必ず会えるとは限らない」
今度は勢いよく頷いた。
「分かった。取り敢えずひなたぼっこに行ってみるよ。君は帰るのかい」
シラタマは首を振ってから左右を見渡す。
「ああ、町のパトロールをしていくんだね」
男の言葉にシラタマは笑顔の表情を作って頷いた。
「じゃあここでお別れだね。助けてくれてありがとう……おやどうかしたのかい」
フェイスシールドの表情が真顔になり、二つの大きく開かれた目がある一点に注がれる。
見ると、右掌が赤く染まり、赤い点々が内側から膨らんできている。
「アスファルトで擦ったのかな。大丈夫かすり傷だよ」
シラタマの目に涙が浮かび、両手で男の身体を持ち上げると、そのままジャンプ。
男は突然の出来事についていけずに何も言えないまま、されるがままになっていた。
シラタマが足を止めたのは、男の目的地であるひなたぼっこであった。
勢いそのままガラス戸を開ける。砕け散りそうな勢いに店内の二つの太陽がシラタマと男に向けられる。
店員と思われる女性が、レジカウンターの椅子から立ち上がる。
「シラタマどうしたの。そちらの男性は?」
男は自分がお姫様抱っこされている事に気づいて少し恥ずかしくなった。
シラタマはルーレットのように表情を変え続け、対面の女性に事の顛末を訴えている。
「少し落ち着いて。手を怪我をしたのね」
驚いた事にシラタマと意思疎通出来ている。
「分かったわ。怪我の状態を見たいからその人を降ろしてくれる」
女性の言葉に素直に従い、壊れ物を扱うように男を降ろしてくれた。
「右手の怪我を見せてください」
差し出した手の甲の傷を見せると、女性の眉間のシワがほんの少し和らいだ。
「傷は浅いわ。そこに座ってちょっと待ってて」
レジカウンター奥の椅子に案内されて着席する。
女性は二階に上がると、上から何か慌ただしく音を立てていた。
怪我した右手を固定したまま待っていると、視界の隅の灰色の塊が気になった。
見ると外で見かけた灰色の毛玉が目の前のカウンターにある。
長い年月置かれているのか、毛先は稲穂が垂れるようにくたびれているが、空気を含んだように一本一本浮いている。
視覚から伝わる柔らかさに思わず手が伸びたが、「シラタマ! 隣の薬局でこのメモ見せて」急いで手を引っ込めた。
慌ただしく降りてきた女性にメモを渡されたシラタマはその紙を大事そうに持って外に駆け出す。
女性はそれを見送ると、こちらに話しかけてきた。
「常備していたお薬がなくなってしまったから、ちょっと待ってて。取り敢えずこれで止血しましょう」
手に持ったガーゼで傷を抑えてもらうと自分より体温の低い指に包み込まれ、幼い日の思い出を思い出して、胸が暖かくなった。
「ごめんなさい。痛かった?」
気付くと女性の瞳が息がかかるほど近くにある。
包み込むような視線、毛先から香る花の香り。
「あの……」
言葉を放つたびに動く唇の柔らかさ、隙間から漏れる吐息。
「痛かったね。でも私が一緒だから」
女性の一言で男は過去から現実に戻ってきた。
「もう少ししたら薬が届くわ。それまでガーゼで抑えていて」
無意識に包んでくれた手を強く握ってしまう。
力を緩めようとすると女性に止められ、この状態が維持される。
「動かないで。そのままで」
エプロンから取り出されたハンカチに頬を拭われ、初めて泣いていた事を知った。
「ありがとう、ございます」
素直な気持ちが口から出る。
「気にしない気にしない。痛い時は泣いていいのよ。痛みは涙と一緒に流れてくれるから」
微笑む女性を見ていたら気恥ずかしくなったので違う話題を探す。
目に入ったのは灰色の毛玉だ。
「この柔らかそうなクッションは何故ここに? 邪魔にならないのですか」
「彼はそこがお気に入りなの」
「彼?」
男の言葉に反応したのか、毛玉がゆっくりと動いて二つの目がこちらを見上げる。
予想外のことに鼻に指を添える。
「おじいちゃん猫のワラビ。一番長く一緒にいるの」
ワラビはゆっくりと瞬きをすると、まるで男が見えていないように再び丸くなる。
「一日の殆どを、ここで寝て過ごしているのよ」
女性に身体を撫でられたワラビは、しっぽをゆっくりと振って心地よさを表現する。
男はワラビから、肌荒れのない潤いに包まれた掌に目を奪われていた。
店の外から大きな音が聞こえ、女性と同時にそちらを見ると、ガラス戸が開く。
キナコが首根っこを掴むようにシラタマのストールを掴んで入ってきた。
「おかえり。薬は買えた?」
シラタマは持っていたビニール袋を差し出す。
「ありがとうね。キナコもおかえり。ところでどうして首を掴んでいるのかしら」
キナコはシラタマから手を離すと、眦を上げてドラッグストアがある方を指さす。
「うまく買えなかったシラタマを助けてくれたのね。ありがとう」
女性の言葉に怒りが蒸発したのか、キナコの動きから刺々しさが消えていく。
「私はこの人の治療をするから、二人とも上で休んでなさい」
キナコはシラタマの背を叩くと、何故かこちらをずっと睨んだまま二階に上がっていった。
「あの子は警戒心が強いの。悪い子じゃないから許してあげてね」
「不快には思ってないです。知らない人間が家にいたら警戒するのは当然ですから」
天井から物音と威嚇するような猫の鳴き声。
「猫をたくさん飼っているのですか」
女性は治療しながら答える。
「ええ。私は猫大好きだから、怪我した猫とか保護して一緒に住んでいるのよ。はいおしまい」
手の甲に絆創膏が貼られ、傷が剥き出しだった時より、幾分気持ちに余裕ができた。
「助かりました。一つ伺いたいのですが、先程帰ってきたキナコという方に用があるんです」
「それならさっき言ってくれればいいのに。ちょうどパトロールから帰ってきて暇だから、今呼ぶわね」
女性が上の階に向かって声をかけると、三毛猫と白猫が降りてきて、すかさず鼻を抑えた。
「三毛猫のキナコに白猫のシラタマよ」
男は何故ヒーローではなく猫と思ったが、すぐにある考えに辿り着く。
「まさか、ヒーローの正体はこの子達?」
鼻を抑えていたために鼻声だったが、うまく伝わったようで女性は頷く。
「いいのですか。正体を見ず知らずの僕に話してしまって」
「問題ないわ。彼らの事は町のみんなが知っている事だから。隠す理由などないの」
キナコは階段を降りるとカウンターの上に軽やかに飛び乗り、牙を剥き出して一つしかない瞳で睨みつけてきた。
「悪い人じゃないから威嚇しないの」
キナコは女性に言われて牙を引っ込めるも、一挙手一投足を見逃すまいと視線を外そうとはしない。
「もう抱っこしてあげない」
キナコの毛が総毛立ち、仕方ないといった様子で視線を外すと、女性を上目遣いで見つめる。
「そんな目しないの。ほらおいで」
キナコの瞳が輝き、女性の胸の中に飛び込んだ。
「もうツンデレさんなんだから。そんな顔擦り付けないで、くすぐったいわ」
キナコは香りを嗅ぐように髪に顔をこすりつけている。
髭が当たってくすぐったいのか、女性の笑い声は中々止まなかった。
目尻に涙を浮かべていた女性は、階段前で待っていたもう一匹に声をかける。
「シラタマもそんなとこにいないで、こっちおいで」
シラタマと呼ばれた白猫は、嬉しそうに顔を上げて近づくも、キナコに牙を向けられ縮こまってしまった。
「ほら怒らない。シラタマこっち来なさい」
女性は、渋々といった感じで鼻を鳴らしたキナコを下ろすと、寄ってきたシラタマを代わりに抱っこする。
「シラタマもお疲れ様。それと彼を助けてくれてありがとう」
顎の下を撫でられて蕩けるような表情を見せるシラタマ。鈴のようなボブテイルも心なしか左右に揺れている。
男は黒煙の切れ目から覗く日差しを見るように、目を細めて見入っていた。
「よーしよし。あっごめんなさい。この子達にかまけて、あなたのことを忘れていたわけじゃないのよ」
ひと段落ついたのか、二匹を撫でていた女性が男に眼差しを向ける。
「あの、今日は皆さん疲れているみたいですし、また後日寄らせてもらいます」
男が立ち上がろうとすると、女性がこんな提案を持ちかけてきた。
「待って。あなたが良ければ家に泊まって行かない?」
「はっ?」
男は驚愕で声が漏れたが、キナコもシラタマも驚いたようで、二匹揃って家主を見上げた。
そんな視線に気づいた素振りも見せず、女性は続ける。
「この町に来たばっかりで泊まるところまだ決めてないんでしょ。家は小さいけれど空いている部屋があるから、あなた一人くらいなら全然問題ないわ。いいわね。はい決まり!」
男が返事する前に勢いに押され、泊まる事が決定してしまった。
「まだ自己紹介してなかったわ。私は
拒否することも考えたが、宿が無いのも事実なので、好意に甘えることにする。
「僕は、
「想井絵ね。よろしく絵」
こうして、想井絵は猫好きの女性夏梅香織の家に居候させてもらう事になるのであった。
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