第42話 地獄が始まる

――――電球がチカチカと点滅する。


「……あれ?」


ほんの一瞬だけ電球に目を流した。







――目の前が暗闇に包まれた。


「――え?」


手の感覚が無くなった。体の感覚が無くなった。肉体がけて魂がき出しになった気分だった。


動けない。体がなければ動けない。体がなければ力も込められない。


思考も。痛覚も。何もかもがアイスクリームのように溶け落ちて。ただそこに存在するだけのように。


そんな中で――有り得ない幻覚を見た。



立っていたのだ。セミロングの髪を揺らし、白いワンピースをたなびかせ、悪魔のような眼光を放つ女が。


見た。見たことがある。忘れるわけがない。娘を殺しかけた。あの――女が――。




「言ったでしょう。呪ってやるって。呪い殺してやるって」




――みずからの口を引き裂きながら笑った。






「――――かっ」


現実へと戻ってきた。心臓がバイクのようにうなっている。肺が、喉が、酸素を求めている。


「ふぅふぅ――――」


海琴は机に突っ伏して眠っていた。村雨は大きな声を張り上げて泣いていた。


海琴も心配だが、今は村雨の方が気になる。動きが鈍ったままの体で村雨を抱き寄せた。


「どうした!?」

「テレッ、テレビがぁ!!」

「テレビ――――?」



今は1992年。まだブラウン管がある時代。テレビもデジタルではなくアナログ放送だった。


アナログ放送では砂嵐がよく起こる。だが普通は砂嵐の色は灰色だ。


――違う。真っ赤だった。血のようなあかさだった。大人の義久が見ても『恐ろしい』と感じるほどの代物シロモノである。


「……」


あまりにも不気味で。村雨をなぐさめることもできず。義久はただブラウン管のテレビを眺め続ける。


赤く。あかく。真紅しんくのように。深紅シンクのような。鮮血せんけつごとく――。




――突然、ブラウン管から血が吹き出した。


「っっ――――!?」


同時に電気が完全に消える。窓から刺す薄い街灯の光のみが周りを包み込んだ。


それでも血は流れ続ける。砂嵐の音は止まず。赤い画面は変わらず。地面に血の溜まりを作り続ける。


もはや恐怖は『未知』から『命の危機』へと転じた。普通では考えられぬことがこの数秒の間にいくつも起こったのだ。


義久は村雨を抱き締めながら思い出す。


『言ったでしょう。呪ってやるって。呪い殺してやるって』


これが――呪いか。心霊現象か。普段なら笑い飛ばすようなことだ。しかし今は――そうとしか考えられない。幽霊の仕業しわざとしか考えられない。


そう仮定すれば誰がやったのか分かる。分かりたくなくても理解してしまうを死んだ。自殺したはずの。雨宮祐希――。



「う――え、え?な、何が起きてるの?」


異常事態にようやく海琴も目を覚ました。


「分からない……分からないんだ。何も……」


雨の音と。血の流れる音と。砂嵐の音と。村雨の泣き声と。色んな音がぐちゃぐちゃに混ざりあって混沌とした音を流している。


そんな中で――全ての音を過去にするような――全ての恐怖を過去にするような――とても大きなが3人の耳に襲いかかった。






――バン。


窓に。


――バンバン。


血の手形が。


――バンバンバン。


呪いの模様もようが。


――バンバンバンバン。


地獄の始まりを知らせるように発生した。




バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバン。




――ドン。




血の手形は窓を埋め尽くすように発生して。そこから――――青白い手が飛び出てきた。


見た目は人間と同じ。だが本能的に分かる。――人間じゃない。これは生物では決してないと。


蜘蛛くものように床をう。化け物じみた首の曲がり方。関節が壊れているかのようにいびつに立ち上がる。


その瞳は見たことがあった。その髪は見たことがあった。その腕も。その脚も。その体も。脳にこびりついて離れないあの顔も――。




『青谷さん。だよね?ね?ね?な。な。そうなんだろ』


女は言う。答えられない。恐怖で神経が麻痺まひしている。


『知ってるよ。知ってる。お前らは知ってる。お前らも知ってるだろ。全員顔は覚えてる。地獄は見たからな。お前らにも地獄を見せてやる』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る