第15話 噛み合わない

――目が覚めた。


「っっっっっ!!??」


滝のように流れる汗。壊れそうなほど激しく動く心臓。突如とつじょとして降りかかった恐怖によって鳥肌が全身を覆い尽くしていた。


周りを見渡す。この前買ったカレンダー。家族の写真。白色のタンス。テレビ。そして隣で寝ている時雨――じゃない。家で飼ってる黒猫の『ヘキオン』だ。


「え……時雨――時雨!?」


さっきまで一緒に寝ていたはずの時雨が忽然こつぜんと消えていた。


今の時雨は精神が不安定な状態だ。もし1人になんてすれば――考えなくても分かる。


「時雨!!時雨!!」


叫ぶ。叫ぶ。心配と不安が入り交じった声で叫ぶ。叫びながら部屋の扉を勢いよく開けた――。




――立っていた。時雨は包丁を持って立っていた。


さっきまで見ていた夢を思い出す。にこやかな表情で死体を引きずっていた時雨を。自分に悪魔のようなささやきをした時雨を。


「――わぁぁぁぁぁぁ!!!???」


腰が抜ける。後ずさりしようとしても足が動かない。せめてもの自衛じえいでダンゴムシのようにうずくまった。



「え、えぇ!?光ちゃんどうしたの!?私だよ!?時雨だよ!?」


本気でおびえている光にどうしたらいいのか分からない時雨。包丁を持ったままアワアワとしていた。


「――ぅぇ?」


その表情。その挙動きょどう。夢で見た時雨とは似ても似つかない。


「時雨……?」

「うん。時雨だよ?」


それはまぎれもなくであった。




「……あんまりおどかさないでよ」

「ご、ごめんね」


2人は部屋でナポリタンを食べていた。


「光ちゃん多分まともなご飯食べてなかったでしょ?カップ麺とかコンビニの容器がいっぱいあったし。だから何か作ろうかなって」

「……それなら私にちゃんと言って。扉を開けたら包丁を持った人がいる、なんて怖いじゃん」

「あはは。光ちゃんが叫んでたから持ったまま来ちゃった」

「もう……」


こんなことを言いつつも、光は久しぶりの人のご飯が嬉しくてたまらなかった。


(自炊するの面倒だったからなぁ……)


よく見たら部屋も片付いている。寝ている間にやってくれたのだろう。やはり時雨は優しい子。昔からその部分は変わってない。


「おー今日も可愛いねーヘキオン」

「ミャー」


喉を突き出すヘキオン。そんな猫様の命令にとろけた声で時雨は答える。



変わっていない……はずだ。なんてことを思っていたら夢の光景をまた思い出してしまう。


少なくともあんな会話をしたことはない。だから幻か本当に単なる夢だ。しかし――夢にしては――。



「……時雨」

「なぁに?」

「ちょっとだけ……昔の話してもいい?」

「……いいよ」


聞かなくては。聞きたいことがある。


「小学生の時にさ。兎を飼ってたじゃん。『ミク』って子」

「そうだね。私たちが飼育係だったよねー」

「……殺されたじゃん。誰かに」

「……うん」


思い出す。時雨と光、祐希が朝登校して兎の所へ行った時――その時には既に兎は殺されていた。


手足、耳を切り取られ、何度も体を刺されたかのような傷。残虐ざんぎゃく残酷ざんこく。しばらくの間、時雨と光はその事がトラウマとなっていた。


「あれ……犯人って誰か分かってたっけ?」

「覚えてないの?一緒に警察の人のところまで聞きに行ったでしょ?その時は『分からない』って言ってた」

「そうだよ……ね」


――夢の中の時雨は言っていた。


死んだのか覚えてる?』


と。そう言っていた。


なんで、とは。学校へ来た時には死んでいた。そのはずだ。記憶力には人並みの自信がある。


だけど……もしかすると。もしかすると忘れていて……本当は――。


「それ……じゃあさ――祐希ちゃんのことは?」

「――――」


ピタッと。空間が止まった。音すら無くなった部屋。緊張感からか寒気がする。背筋に針を刺されたかのような嫌悪感も。


10秒。もしくは20秒。いや、もしかしたら一呼吸くらいしかなかったかもしれない。


光にとっては長い静寂の時間。それを破ったのは時雨の言葉だった。


「――――――――祐希ちゃんって誰?」

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