第10話 夜に溶ける

正面の扉に手をかける。――開かない。当然といえば当然か。


「回り込むか」


――後ろで物が落ちる音がした。後ろを振り向く――落ちたのは弦之介だった。


「着地くらいできんのか」

「俺は歌う専門なんだよ……いてて」



名前も知らない草をかき分けて歩く。


「なんか悪いことしてる気分」

「事実だからな」


――縁側えんがわの方へと移動。穴の空いた障子しょうじから家の中の様子が見える。


「――空いてるな」

「空いちゃってるな」

「入るぞ」



嫌な匂いが立ち込める。カビか。木がくさった匂いか。長時間いると頭が痛くなる。そんな匂いだ。


歩くたびにたたみが沈む。ほこりが舞い上がる。木がきしむ。生暖かい気温が入った瞬間に凍えるような寒さへと変わった。


「……」

「えらく寒いな」


家具はまだ残っている。壁に立てかけられたけ軸。タンスの上の赤べこ。机の上に残ったミカン……はくさりきっている。


「ここは空き物件じゃないのか?」

「そうらしいんだが……」

「それにしては物が多すぎるだろ」

「俺も思った」


タンスの中を確認する。中には男物の服が入っていた。


ほこりくせぇ」


床に落ちていたリモコンを手に取った。テレビの電源を入れてみる――まぁ当たり前だが付かない。


落胆らくたんすることも無く適当にリモコンを投げ捨てて廊下ろうかに出た。


暗い。電球は灰色にそまって光が消えている。右は玄関。左はトイレ。ちょっと前に台所。奥へ進めば風呂場。よくある日本の平屋みたいな。どこぞの海産一家のような感じだ。


「夜に来てたら死んでたな」

「幽霊が出てか?」

「そんなこと言うなよ。怖くなるだろ」


キッチンへと移動する。


「風呂場ちょっと見てきてくれよ」

「えー、よりにもよって怖そうなとこかよ……」


ブツブツ言いながらも弦之介は歩いていった。――八重は昭和によくある玉暖簾たまのれんを通ってキッチンへと入る。



ここも手入れはされていない様子だ。びたフライパンに冷蔵庫。開けてみる――すぐに後悔して閉じた。


直前に冷蔵庫を見たせいか、シンクはあまり『汚い』とは思わなかった。とは言っても比較的にだ。シンプルに臭い。


そして――置いてあるなべくさっているのだが、中に入っているのが中華麺ちゅうかめんというのが分かる。フライパンにはチャーシューっぽいのとほうれん草っぽいの。


このことから導き出される結論はひとつ。――ラーメンを作っていた、だ。


「ラーメン……時雨の好きな食べ物だな」



ふと食器だなに目がついた。正確にはその上に。


「……写真か」


写真立てだ。中には老夫婦と姉妹と思われる女の子が2人。とても仲睦なかむつまじい様子の写真だった。


「これは……時雨か。小さい頃から可愛いな」


つい出てしまった本音と共に写真を手に取る。






「――いい部屋だねぇ」


少女がいた。面影おもかげからして時雨の幼少期か。隣には16歳ほどの少女。どこか時雨に似てる。おそらくは時雨の姉だ。


(なん……なにこれ)


八重は光景を見ていた。実体……はないようだ。自分の姿を見ることが出来ない。空気が意志を持ったかのような気分だ。


時雨と姉は2人でアパートの一室に入る。結構ボロボロで古くさい。間取まどりもせまい。お世辞せじにも2人が暮らしていけるような部屋とは言えない。


「ねぇ村姉むらねぇ!今日からは一緒に寝ようね!」

「狭いし一室しかないからねー。しゃーなしよ」

「やったぁ!」

「もう……小四なのにひとりで寝るのが怖いんだ?」

「別に怖くなんかないよ!」

「ふふ……」


窓から見える景色は……物悲しい。綺麗な景色が見れるわけでもなく、ただ住宅街とちょっとした工場がある程度。


それでも時雨はワクワクとした好奇心の目で外を眺めていた。そんな時雨を姉は悲しそうに見ている。


「……お姉ちゃんはちょっと怖くなってきちゃったな」

「えー?村姉むらねぇは大人でしょー?」

「時雨……ごめんね」


村姉は泣きながら時雨を抱きめる。


「なんで謝るの?おじいちゃんとおばあちゃんは病気なんでしょ?」

「う……ぅぅ……」

村姉むらねぇは何も悪くないよ。良くなったらまた2人のとこで暮らせるんでしょ?それまでの辛抱しんぼうなら私頑張がんばるよ」

「……ごめん……ごめん……お姉ちゃんが頑張がんばって働くから。もっといいとこに住まわせてあげるから……」

「お姉ちゃん……」


時雨は立ち上がって玄関まで走る。そして玄関の扉を開けた。


「見てお姉ちゃん。あそこに公園があるんだよ?」


指を指した方向には小さな公園があった。象の滑り台が1個だけあるような。そんな小さな公園が。


「まぁ私はもう10歳だし?別に公園で遊ぶような歳でもないけど」


時雨はフフンと鼻を鳴らした。


「あっちには学校。あっちにはゲームセンター。遊び場はいっぱいあるよ!」

「うん……うん……」

「私はお姉ちゃんと一緒がいい。一緒ならいいとこになんて住まなくてもいいよ。だから……お姉ちゃんだけは元気でいてね」

「うん――うん。お姉ちゃんはずっと一緒だよ。一緒にいるからね」


――2人は抱き合った。強く強く抱き合った。


これは昔の景色か。過去の映像か。夢で見た景色と何もかもが違う。時雨は時雨らしい。人を殺すような子じゃないのは一目見て分かる。


この子こそ本物の時雨だ。時雨のはずなのだ。八重が愛している時雨なのだ。











――さっきからのぞいてるオマエ。オマエは絶対殺してやるからな。

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