第3話 最高の祝い

「――おかえりなさい」


甘い声。優しい声。柔らかい声。聞くだけでフワフワとちゅうに浮く感覚がしてくる。


家に帰る度にそんな声が聞こえてくる。幸せだ。とても幸せだ。幸せをみ締める、とはこのことだ。



「……どうしたの?」

「なんでもない。ただいま」


小柄でホンワカとした雰囲気。髪は肩にかかるくらいでつやを帯びている。まつ毛も長くて目も綺麗。とゆうか顔が整っている。まさしく「美」を擬人化ぎじんかしたような人物が目の前にいる時雨しぐれだ。


「今日ね、美味しそうなラーメン屋見つけたんだよ」

「へぇ、どこ?」

炙屋あぶりやって店の前」

「あそこに入った店すぐ潰れんじゃん。ほんとに美味しいの?」

立地りっちが悪いだけだよ。味は私が保証ほしょうする。美味しかった」


なだらかで。穏やかで。静かで。綺麗で。なんてことない会話が今も楽しい。


これからの事を考えると楽しくなってくるのは新婚しんこん特権とっけんである。結婚のことであまり良い意見は聞かないが、それでも楽しい今の時期を大切にしたい。


そんなことを考えつつ、時雨の前にとある雑誌を広げた。


「結婚式ここなんてどうだ?」

「ここ?」


流水苑りゅうすいえん』と書かれた景色。どうやら老舗しにせ料亭りょうていが入っているようで、美しい池やら日本古来の古風こふう庭園ていえんやらが並んでいた。


しぶいとこつくね」

「よさそうだろ?時雨は派手はでなの苦手だし」

「……うん。そうだね」

「ならここが最適だ」


落ち着いた時雨にとっては最適な場所。ちょっと派手はでさが足りないのはあるが別にいい。自慢じまんはするが、式の豪華ごうかさで自慢じまんはしない。するなら嫁の綺麗きれいさだ。


ただ結婚式には懸念けねんもある。家族は当然呼ぶとしてだ。八重はまだ友達がいるからいい。時雨が呼ぶ友達が光くらいしかいないのだ。


別に時雨が気にしないならいいのだが、それで気まづくならないのか。そこだけが心配である。


(あんまり昔のことは話そうとしないしな……)


過去に何かあったのだろうか。内向的ないこうてきな性格なのでイジメがあったとか……いや多分ない。あったとしたらトラウマになる前に光がぶちのめしてるはずだ。むしろ理由はそれか。


「どうせ古風なとこでするんなら白無垢しろむくも着てみたいなぁ。でもウエディングドレスもいいもんねぇ――」

「――」


……何かがあったとしても。今この瞬間の時雨が楽しそうなら。それでいい――。心の底からそう思った。






青い閃光。黄色の閃光。赤い閃光。真っ暗で広くもない会場。


ライブハウス『ファイティングポーズ』に八重と時雨は来ていた。うるさい所は苦手なようで、時雨は目をつむって縮こまっている。


multi tasukuマルチタスク』というバンドでボーカルをやっている沖見弦之介おきみげんのすけという男がいる。八重とは高校からの付き合いで、ぞくに言うくさえんというやつだ。


八重と時雨の結婚を祝ってのライブ。いつにも増して気合いが入っている……気がする。気合いが入ったところでお客さんは多くはないが。


「無理して来なくても良かったのに。アイツだって怒りゃしないぞ?」

「私たちのために開いてくれたんだし、私が行かないと失礼だから」

「……無理だけはするなよ」

「うん」


正直なところ、歌はそんなに上手くない。ギリギリ金を取っても許されるくらいだ。歌詞も普通。自分たちの為に歌ってくれているとはいえ心に響くことはない。


それでも『嬉しい』という感情は何よりも勝る。ペンライトを振り回したり、声を荒らげたりしないものの、八重はこの場にいる誰よりも楽しんでいる自信があった。

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