第5話
最寄駅から歩いて10分。
田んぼ道を抜けた先にある2階建ての一軒家。
そこがボクの家だ。
「ただいま~、すぅ~はぁ~」
家に入った途端、先ほどと同じように大きな深呼吸をしだす結葉。
「なんで深呼吸?」
「だって柊の匂いが好きなんだもん」
「そんな匂うかな?」
「自分の匂いって嗅ぎ慣れてるから気付かないものでしょ」
「まぁ確かに。どんな匂い?」
「う~んとね、女の子みたいに甘くてドキッとする匂い」
「なにそれ」
「だってほんとなんだもん!」
「早く部屋に行こう。置いて行っちゃうよ」
「あー、もう待ってよぉ」
結葉と再会してから何回目だろうか。
遠回りだというのに、わざわざボクの家に来てくれて、一緒に過ごすことが多くなった。
これはいわゆる、おうちデートなのかな?
でも、ボクたちは恋人関係ではない。
きっとお互いが好き同士の関係なのは間違いないが、あえて次の関係に発展するようなことはなかった。
それでもお互いを大切に思っているし、それは十分伝わっているからだ。
ただ単純に「恋人」というくくりでまとめたくなかっただけなのかもしれない。
「ねぇ、柊」
「なーに?」
「あーん」
「その口はなに?」
「分かるでしょ。そのポッチー食べさせて」
結葉は、あぐらをかいて座るボクの足を枕代わりにして寝そべっている。
これがいつものポジション。
ボクを見上げる形になっているが、重力にも負けずに整った顔を晒している。
歯並びも綺麗だ。
「寝ながら食べると豚になっちゃうよ」
「そしたらずっと私を飼ってくれる?」
「働かざる者、食うべからず。あん、もぐもぐ」
「あー、私のポッチー食べた!」
「ボクが取ったんだからボクのです」
「けちんぼ」
仰向けからうつ伏せに態勢を変え、寝そべったままボクの腰に手を回してきた。
そして、顔だけは上を向いてボクと目を合わせる。
ボクは男の中では身長が低い方だ。
中学2年のときから1cmくらいしか伸びてないし……。
なので、結葉とボクはあまり身長差がないため、こんな形で彼女を見下ろすことなんてなかった。
盛大な上目遣いでこちらを見つめている。
まるでボクの奥底にある感情まで見透かしてしまっているかのようでドキリとしてしまう。
すると、いつものダルさに加え、色っぽさを掛け合わせたかのような声でこう言った。
「柊の顔がハッキリと見える」
「……う、うん」
「私、柊の顔が好き。もちろん性格も、匂いも、こうやって私を甘やかしてくれるところも全部。このまま柊の中に溶け込んで、一緒になりたいくらい」
指をボクの背中に添えたまま、ゆっくり、ゆっくりさすってくる。
今日は親がいない。
完全に二人きり。
しかもゼロ距離。
これで変な気を起こさない人はいないんじゃないか?
でも、ボクは結葉を傷つけるようなことはしたくない。
だから、
「くすぐったいよ」
「そっかぁ」
さすっていた指が止まる。
彼女もボクの中の葛藤を察してくれたようだ。
————だが、それは勘違いだった。
「だったら、もっとくすぐっちゃうもんね~、こしょ、こしょ、こしょ、こしょ!」
「あはははっ! やめてよ結葉! これ弱いんだから……ははははっ!」
「ポッチーの恨みはでかいんだぞぉ! こしょ、こしょ、こしょ、こしょ!」
「はははっ! ダ、ダメぇ! もう……むりぃ!」
「あっ、なんかそれ可愛い! なにその反応! もっと聞かせてぇ!」
「あははははっ! ……いい加減にしろ!」
「あたっ!」
こしょこしょ娘の頭に向かって渾身の手刀を繰り出す。
「死ぬかと思ったわ」
「笑って死ねたらハッピーじゃん。バーカ♪」
「うっさい、10円」
「じゃあ私は100円」
「だったらボクは100万円」
「ふふっ、なんかこういうやり取り懐かしいね」
「そうだね。あのときは500円が大金だと思ってたけど」
「諭吉さんが最強だもんね」
「だな」
「「あはははっ!」」
今、ものすごく幸せだ。
好きな人と他愛のない会話で盛り上がり、変なことで張り合ったり、じゃれ合ったり。
こんななんでもないようなことがずっと続いてくれたらいいのに。
もっと彼女のことが知りたい。
今はまだ上辺だけしか分かっていない気がする。
ボク以外の人と話すときの彼女の表情はどこか他人事だ。
彼女はそのとき、どんなことを思っているのだろうか。
彼女の人生がもっと彩り豊かになるように支えてあげたい。
今ある幸せを噛みしめながら、心の中で静かにそう誓った。
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