第36話
「晶、お疲れさまでした」
宏樹は事務所でPC業務を続けていた晶に声を掛けた。
「瑠璃ちゃん、着替えてくるから少し待っててね」
瑠璃は藤沼社長が帰った後、晶の勤務時間が終わるまで事務所で過ごしていた。
「宮古さん、ゆっくりでいいからね」
晶は慌てているのか、せわしなく更衣室に向かった。
「瑠璃、今日は晶とどこに行くんだ?」
「ん……別に決まってないけど。少しだけお話したら帰るつもり」
「話っていうのは?」
「宮古さん、今回の買収の件で不安になっているかもしれないし……その辺もフォローしておこうかなって」
「瑠璃は優しいな」
「な、何よ突然!?」
「いや、この前も俺を……その……元気づけてくれたし、他人のことまで気を遣えるっていうのは尊敬する」
宏樹は公園で瑠璃に慰めてもらった事を思い出し、少し恥ずかしそうにしている。
「宏樹、何か悪い物でも食べた? 妙に素直でなんか気持ち悪いわ」
「せっかく褒めてるのに、気持ち悪いって酷いな!? もう褒めてやらないからな」
「コジマベーカリーの件で落ち込んでいたけど、いつもの調子が戻ってきたみたいね」
「……瑠璃のお陰だよ。ありがとう」
瑠璃の毒舌も元気付けるために言っているということは、宏樹も分かっていた。
「いいえ、どういたしまして」
瑠璃は澄ました顔で何気なくしているが、内心では嬉しくもあり恥ずかしくもあった。
「瑠璃ちゃんお待たせ! ……って二人ともどうしたの?」
宏樹と瑠璃がお互いに素直になり、二人が少し気恥ずかしくなってきたタイミングで、晶が着替えを終え事務所に戻ってきた。なんとなく気まずそうな二人を見た晶は首を傾げた。
「い、いや……何もないよ」
「え、ええ、別に何もなくてよ」
宏樹の返答に同意した瑠璃の言葉遣いが、
「そう……ならいいんだけど。ひろくん、お疲れさまでした」
「ああ、明日もよろしく」
「宏樹はまだ帰らないの?」
帰り支度もしていないユニフォーム姿のままの宏樹が、瑠璃は気になっていた。
「事務作業が残ってるから、少し残業してから帰るよ」
瑠璃との約束が無くなったので、宏樹はできるだけ仕事を終わらせてから帰るつもりだった。やや、ワーカホリックの気がある宏樹である。
「そう……明日も早いんでしょう? 無理しないようにね」
「まだ仕事するの? ひろくんは放っておくと無理をするから心配だよ」
「大丈夫だよ。三十分ほどで帰るから。そういう二人も日が短くなってしたし、早く帰った方がいいよ」
「うん、分かった。宮古さん行きましょう」
「はい、ひろくんじゃあね」
「二人とも気を付けて帰れよ」
宏樹の言葉に頷いた瑠璃と晶は事務所の扉を開け、帰宅の途に着いた。
「ひろくん、無理しなければいいけど……」
瑠璃と二人で外に出た晶が、残業している宏樹を心配している。
「宏樹は健治おじさんと似たところがあるから……親子揃って無理はしそうね」
「本当に社長とひろくんは似てますね……」
「でも、大丈夫よ。家族を大切にしている二人だから、健治おじさんの入院もあったし自重するでしょ」
「ならいいんですが……」
それでも心配が尽きないようで、晶は表情を曇らせた。
「……宮古さん、ちょっと歩かない? 行きたい場所があるの」
心配そうにしている晶を横目に、瑠璃は一人歩き出した。
「うん、瑠璃ちゃんの行きたい所があれば、私もそこでいいよ」
そう言って晶は瑠璃の背中を追って歩き出した。
「ここって……」
晶が瑠璃に連れられてきたのは、二人にとって思い出の公園であった。
「公園内にベンチがあるからそこでお話しましょう」
瑠璃の晶は提案に頷いた。
「宮古さん、何か飲む? そこの自販機で買ってくるから」
ベンチに向かう途中で見掛けた自販機を瑠璃は指差す。
「あ、私も一緒に行きます」
自販機で飲み物を購入した瑠璃と晶は近くにあったベンチに腰掛けた。
「瑠璃ちゃん、どうしてここに来たの?」
「カフェでもよかったんだけど、静かな場所でお話いしたいなぁって」
「そう、なんだ」
瑠璃と晶はペットボトルの蓋を開けて飲み始めたものの、二人の間に会話はなく静かな時間が流れた。
「あの……デリシオッソカフェの買収を考えたのって、瑠璃ちゃんだったんだね……」
宏樹と瑠璃、藤沼社長の三人で会話をしていたのを、同じ事務所で仕事していた晶は聞いている。
「うん、そうだよ」
「瑠璃ちゃんは凄いね……私と同じ高校生なのに、そんな事を思い付くなんて」
「子供の頃から会社の経営とかに興味あって、自分で調べたりしていたからね。でも……実際は親の七光りを利用しただけだから……」
「でも、ひろくんや社長のために一生懸命考えて行動したんだよね? それなのに私は何もできなかった……瑠璃ちゃんには敵わないや……」
今回の瑠璃の行動が、宏樹と健治を助ける為だということを晶は理解した上で、自分の無力さを痛感し落ち込んでいる。
「……宮古さんが何もできなかったなんてことはないはずだよ。宏樹の代わりにアルバイトに入ったりしたでしょう? それは私には出来なかったことだよ」
「でも……それはコジマベーカリーで働いていれば、誰にでもできることだよ」
「そんなことない! あの時、お店の業務を何も知らない私が働いたとしても、足を引っ張るだけ。だから、お互いに自分が出来る範囲内のことで手助けしただけ。もし私と立場が逆だったら、宮古さんもきっと自分の出来ることで応援していたはずだよ」
お互いにできることをやっただけ。瑠璃は久宝パンの社長令嬢で、晶はコジマベーカリーの従業員という立場が違うだけ。立場が違えば役目も違う、瑠璃はそれを言いたかった。
「それに……宮古さんはこの公園を覚えている? ここは母親を亡くして落ち込んでいた宏樹を、元気付けてあげた公園だよ」
「うん、覚えているよ。私が初めてひろくんと出会った場所だから」
「あの時、私は悲しんでいる宏樹に対して何もできなかった。でも、宮古さんは母親を亡くした子供の悲しみが薄れるくらい、宏樹の助けになったじゃない。もっと自信を持って」
落ち込んでいた宏樹が、みるみる明るさを取り戻していく様子を当時の瑠璃も近くで見て知っていた。
「だから、宏樹を助けてくれた宮古さんに感謝してる。ありがとう」
落ち込んでいた宏樹を、ただ見守ることしかできなかった瑠璃は、子供心にもどかしく感じていた。
「そんな……でも……瑠璃ちゃんにそう言われると嬉しい……」
晶は瑠璃に認められたことも、そして自分自身が二人の役に立っていたことに喜びを感じた。
「ねえ……瑠璃ちゃんはさ、ひろくんのこと好き?」
唐突な質問に少し驚いた瑠璃であったが、冷静に少し考えてから晶の耳元でそっと呟いた。
「……たぶん、宮古さんと一緒だよ」
――ッ!?
瑠璃に耳元で囁かれ、晶はビクッと身体を震わせた。
「それじゃあ、もう暗くなっちゃたし帰ろうか。宮古さんも明日、早いんでしょう?」
瑠璃は晶の返事を聞かずに立ち上がり、公園の出口へと向かって歩き出した。
「瑠璃ちゃん、私、負けませんから」
晶が呟いたその言葉は離れていく瑠璃には聞こえなかった。
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