第27話
「宏樹くん、今日で学校休み始めて何日目?」
健治が倒れて救急車で運ばれてから六日目の夕方、コジマベーカリー二号店のパン工房で工藤店長が宏樹に声を掛けた。
「えーと……五日だと思います」
「そうか……宏樹くん、明日から学校に行きなさい。今日から助っ人が来るから店の方は大丈夫」
「助っ人ですか……?」
助っ人が来るとしても役に立つのだろうか、と宏樹は疑問に思った。ここの業務は一朝一夕で覚えられる仕事ではないからだ。
「その、助っ人はそろそろ来ると思うよ」
工藤店長を信用しているが、助っ人というのが役に立つのか宏樹は不安に感じていた。
「店長、遅くなりました!」
パン工房の入り口から聞こえてきた声を耳にした宏樹が振り返ると、そこには見慣れた姿の人物が立っていた。
「め、めぐみさん⁉︎」
つい先日辞めたばかりのめぐみが、見慣れたユニフォームに身を包んでいた。
「お父さん大変だったね。今日から私がバイトに入るから宏樹くんは、ちゃんと学校に行って」
「で、でも……めぐみさんは受験勉強が……」
「一ヶ月だけだから大丈夫だよ。私は結構成績優秀なんだから少しくらい大丈夫!」
めぐみは心配している宏樹を安心させようと明るく振る舞った。
「しばらくは夕方から折原さんと宏樹くんに任せて、宏樹くんが学校に行っている間は僕はできるだけ出勤するから」
「それでも工藤店長の負担が大きいと思います」
宏樹は仕込みからほとんどの現場仕事はできるが、仕入れ管理や経理といった事務関係の仕事は教わってはいない。
「社長が退院して一週間後から週二日くらいで短時間なら仕事をしてもいいと医者から許可を貰っているんだ。それに社員は他にもいるから僕一人で仕事をするわけじゃないし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
一ヶ月間は休養が必要と言われていた健治だが、少しなら働いても大丈夫なようだ。
「私もできるだけ協力するから、店長の言う通り学校に行こう? それに……宏樹が無理をして倒れたりしたら私……」
めぐみは瞳を潤ませ、宏樹の手を握りながら懇願する。
「おやおや、女の子を泣かせるなんて、宏樹くんも悪い男だね」
それまで黙っていた鎌田が、やや重くなり始めた場を明るくしようと振る舞った。
「か、鎌田さん⁉︎ 人聞きが悪こと言わないでくださいよ」
「やっぱり学生の本分は学校に行くことにあるからね。仕事のことは僕たち社会人に任せてほしい。社長もそれを望んでいると思うよ」
「分かりました……明日から学校に行きます。めぐみさん、工藤店長、しばらく大変だと思いますがよろしくお願いします」
「ひろくん! あまりお役に立てないかもしれないけど……私も出勤増やして協力するからね」
めぐみに続き、出勤してきた晶が工房に顔を出した。
「晶まで……みんなありがとう。でも、無理はしないようにお願いします」
「一番無理してる宏樹くんに言われたくないとみんな思ってるよ」
めぐみは笑いながら痛い所を突いてくる。
「わ、悪かったよ。でも、こうやって協力してくれれば何とかなりそうな気がしてきたよ」
「宏樹くん、今から事務所で明日からのスケジュールを調整しようか」
「はい、分かりました」
その後、めぐみと出勤を増やした晶のシフトを確認した工藤店長と宏樹は、事務所へと向かった。
「工藤店長、また明日からよろしくお願いします。お疲れ様でした」
二十二時になり宏樹と晶とめぐみは仕事を終え、店を後にした。
「めぐみさん、家まで送っていくよ」
「宏樹くんも連日の仕事で疲れてるだろうから今日は大丈夫だよ」
宏樹はいつものように家まで送って行くつもりであったが、めぐみは一人で帰れると言う。
「いや、俺は大丈夫だから遠慮しなくていいよ。無理して復帰してくれたんだから、これくらいさせて欲しい」
「私がやりたくてやってるだけだから……だったら……代わりに晶ちゃんを送ってあげて」
めぐみは再び宏樹に会えたことで嬉しくもあり、告白して振られたこともあり恥ずかしくもあった。
「めぐみさん、前も話したように私を送っていくとかえって遅くなっちゃうから大丈夫です。ひろくん、めぐみさんを送っていってあげて」
晶は宏樹に送ってもらうことで、また自分の欲求をぶつけてしまいそうであることを自覚していた。
宏樹に負担を掛けないようにすると瑠璃と誓ったことを思い出し、甘え過ぎないようにと自制していた。
「……じゃあお言葉に甘えて……宏樹くん送ってもらえる?」
「ああ、喜んで」
めぐみも晶もお互いに譲り合ったが、宏樹はめぐみを家まで送ることになった。
「じゃあ、私はここで。ひろくん、めぐみさんお疲れ様でした」
しばらく三人で歩き、駅が近くなったところで晶と別れ、宏樹とめぐみは二人きりで暗い住宅街を歩いてる。
「お父さん大変だったね。でも、大事にならくて本当によかった……」
めぐみは健治が救急車で運ばれたことを、晶に連絡を受けて知った時には心臓が止まる思いだった。
「めぐみさんにも迷惑を掛けちゃったね」
「ううん、そんなことないよ……私で役に立つなら……それに……」
「それに?」
「こうやって宏樹くんにまた送ってもらえて嬉しい……」
「俺もめぐみさんをこうやって再び送ることができて嬉しいよ」
その言葉を聞いためぐみは、今すぐにでも宏樹の胸に飛び込んでしまいたい衝動に駆られるが、今の状況でそれは不謹慎だと我慢している。
「もう……宏樹くんは本当に無自覚のおんな
「め、めぐみさん⁉︎ 俺のどこにそんな要素が?」
女誑しと言われて無自覚な宏樹は戸惑っている。
「宏樹くん、そういうところだよ。あーあ、どうしてこんな無自覚でモテる男好きになっちゃったのかなぁ」
告白して宏樹に好意があることは、とっくにバレているめぐみは開き直った。
「め、めぐみさん、そうやって直接言われると恥ずかしいんですけど……」
「ははーん……あの時言ったように、もしかして私を意識するようになっちゃった? これは私が一歩リードかなぁ」
めぐみは宏樹を揶揄うようにニヤニヤとしている。冷静に振る舞っているが、めぐみの内心は宏樹に意識してもらえたことで至上の喜びを感じていた。
「リード? めぐみさん何のことですか?」
晶と瑠璃がめぐみの恋敵であることを宏樹は知らない。
「ああ、それは秘密だよ。そのうち分かるかもね」
わざわざ教える義務のないめぐみは、宏樹の疑問には答えずはぐらかした。
「そうですか……」
「宏樹くん、今日も送ってくれてありがとう。一ヶ月だけだけど明日からまたよろしくね」
二人で話しながら歩いている間は楽しくて、家に着くまでの時間がめぐみにはあっという間であった。
「ああ、こちらこそお願いします。おやすみなさい」
「宏樹も気を付けて帰ってね。おやすみなさい」
そういって家の玄関に向かっためぐみの足取りは、いつも以上に軽かった。
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