第25話

 宏樹は妹の綾香を連れて健治のお見舞いに来ていた。今の時間はスタッフも足りており店も比較的空いているので時間だからだ。


「宏樹、お前学校休んでるんだって? 店のことはいいから学校はちゃんと行けよ?」


「親父、そうもいかないだろ? 工藤店長が本店と二号店を掛け持ちしてくれてるけど、無理をして共倒れなってしまったらそれこそ大変だからな。俺もできるだけ協力するよ」


 今は工藤店長が掛け持ちして頑張ってくれている。それでも完全に健治の抜けた穴を埋めることは出来ない。だから宏樹が手伝うしかないのだ。

 健治は、どちらかというと経営者というより職人気質の人間だ。パン職人としては優秀だが、元々は会社を経営する側の人間ではなかった。


「だけどなぁ……出席日数足りなくなって留年したら困るだろ? それにお前の身体が心配だ」


「出席日数が足りなかったら、その時はもう一年やればいいさ。必要なら高校辞めて店を継いで俺が親父の代わりをするよ」


 健治が無理をしてそれこそ死んでしまっては元も子もない。留年や退学などそれに比べれば大した事ではないと宏樹は言っている。


「宏樹、そういうわけにはいかないんだよ。店よりお前の将来の方が大事だ。学校を辞めるなんて俺は認めないぞ。大学卒業までは必ず行かせてやるからな」


 健治は宏樹に大学まで卒業させて、その後は店を継ぐなり就職するなり好きな道を選ばせるつもりであった。無理に店を継げというつもりも毛頭なかった。


「じゃあ、どうするんだよ? 店を回せる人材は限られているんだ。俺がやらなければ、工藤店長に負担が掛かるだけだ」


 宏樹と健治はお互い引くことがなく、話は平行線のままだった。


「失礼します。小島社長、お見舞いに参りました」


 病室のドアがノックされ顔を出したのは藤沼社長であった。ヒートアップしつつあった宏樹と健治が頭を冷やすにはちょうどいいタイミングでの来訪だった。


「藤沼社長、お忙しいところをわざわざお越し頂き申し訳ありません」


「ああ、そのままで。本当はもっと早く来たかったのですが時間がなかなか取れなくて。こちらこそお見舞いが遅れて申し訳ありませんでした」


 ベッドから起き上がろうとする健治を藤沼社長は静止する。


「そんな謝らないでください。こちらこそご迷惑をお掛けしました」


「いえいえ、商品はちゃんと納品されていますしお気になさらず」


「工藤店長も他のスタッフも頑張ってくれているので藤沼社長には迷惑をお掛けしないようにします。それに宏樹も頑張ってくれているので」


「そうですか……宏樹くんも頑張っているようですね。お父さんの代わりは大変でしょうが力になってあげて下さい」


「はい、ご迷惑をお掛けしないように頑張ります」


「でも、無理は禁物ですよ。何かあったら私に相談してください」


 藤沼社長は健治と宏樹に気を使ってくれているのがよく分かる。


「はい、何かありましたら相談させて頂きます」


「うん、これなら安心ですね」


 宏樹の返事を聞いた藤沼社長は頷いた。


「藤沼社長、前に話していた店の売却の件なのですが……」


 ベッドで横になっている健治が藤沼社長に話を切り出した。


「……俺と綾香は外に出てるよ」


「いや、宏樹と綾香にも聞いてもらいたい」


 大人の話し合いになると思った宏樹は椅子から立ち上がり、外に出ようとするが健治に引き止められる。家族である二人にも聞いてもらいたいのだろう。


「……分かった」


 病室を出ようとしていた宏樹と綾香は再び椅子に腰を下ろした。


「今このような状況になってしまい色々と考えたのですが、お店は藤沼社長にお任せした方が良いのかと考えています」


「親父……」


 つまりはコジマベーカリーの経営権を藤沼社長に譲渡する検討を健治がしているということだ。


「小島社長の考えは分かりました。が、病室で今話す事ではないでしょう。退院してからゆっくり考えてからでも遅くはないと思います」


 藤沼社長は慌てなくても良いと空気を読み、大人の対応をしてくれている。


「確かにそうですね。退院してから考えることにします」


「はい、今はゆっくりと休んでください」


「藤沼社長のお心遣いに感謝します」


 そう言って健治は頭を下げた。


「それでは私は帰ります。宏樹くん綾香さん、小島社長をお願いします」


 藤沼社長はそう言って病室を後にした。


「親父……やっぱり店の売却を考えているのか?」


 宏樹は不安気な表情を浮かべ健治に問いただす。


「まあ、俺がこんなではな。みんなに迷惑が掛かってしまう。なら藤沼社長に渡して安定した経営を任せた方が良いかと思ってな」


「確かにそうだけど……母さんとの思い出の店なんだろう⁉︎ そんな簡単に諦めるのか?」


 宏樹は納得がいかないのか健治に食ってかかる。


「そうだが、気持ちだけでは店は経営していけないんだ」


「でもっ!」


「ひろ兄、パパに負担が掛かるし、藤沼社長が言ってたように今はその話は止めようよ」


 熱くなりそうだった宏樹を綾香がなだめる。


「そ、そうだな……綾香、親父ごめん……」


「いや、いいんだ。お前の気持ちも分かる。この話は俺が退院してからゆっくり話そう」


 このまま話し合いを続けていても健治の心労が増えるだけだと、宏樹は自分の思慮の足りない浅はかな考えを反省した。


「うん……そうしよう。そろそろ俺は店に戻るよ。綾香はどうする?」


「私はもう少しここにいるよ」


「そうか……暗くなる前に帰れよ」


「うん、分かってる。ひろ兄も無理しないでね。ひろ兄まで倒れちゃったら私……」


 綾香の不安気なその瞳は涙で潤んでいた。


「分かってる……無理はしないよ。じゃあ俺は行ってくる」


 無理をしないというのは方便で、綾香を不安にさせないための嘘であった。

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