第21話

めぐみがコジマベーカリーで最後の勤務日、退勤時間を迎え休憩室でスタッフと挨拶を交わしていた。


「工藤店長、お世話になりました」


「折原さん、受験が終わったらいつでも戻ってきていいからね」


「はい! 必ず戻ってきます。その時はよろしくお願いします!」


 工藤店長にしても、めぐみのような優秀なスタッフが辞めてしまうのは残念に思っていることだろう。また、戻ってきてという言葉は社交辞令ではなく本心からだろう。


「鎌田さん、今までありがとうございました。鎌田さんの指導のお陰で学生気分が抜けて働くことができました」


「私なんてなにもしてないわよ。元から折原さんがちゃんとした子だったから、少し手伝いをしただけよ」


 鎌田は厳しくもあったが、仕事に真摯に取り組む姿勢というのを、学生気分の抜けなかっためぐみと宏樹は教わり二人とも感謝していた。


「いえ、そんなことは……」


「それより……折原さん、宏樹くんとはどうなの?」


 鎌田がめぐみの耳元で他の人に聞こえないように、そっと耳打ちした。


「その……振られちゃいました」


「そうなんだ……宏樹くんも勿体無いことを……それならうちの息子の嫁にくればいいわ。まだ小学生だけどね」


 鎌田は振られたというめぐみのに気遣ってか、冗談を言って振る舞った。


「鎌田さん、大丈夫です。完全に振られたわけじゃないし、まだ諦めてませんから!」


「それならよかった。色仕掛けでもなんでも使って絶対落とすんだよ」


 鎌田はめぐみを応援するために冗談ぽく言ってはいるが表情は真剣そのものだった。


「二人でコソコソ何を話しているんですか?」


 休憩室の端っこで密談してるめぐみと鎌田に宏樹が怪訝な表情を見せた。


「宏樹くん、それは女同士の秘密よ」


「そ、そうですか……」


 宏樹は自分のことを言われているとは思っていないようだ。


「それじゃ、私は晶ちゃんと代わってくるから。それじゃ折原さんお疲れさまでした」


 そういって鎌田は休憩室を出て行った。店は営業中なので見送りのために全員で休憩するわけにはいかない。


 しばらくすると晶が休憩室に入ってきた。


「めぐみさん、お疲れさまでした。短い間でしたけど、色々と教えていただきありがとうございました。お陰で楽しく仕事をすることができました」


 晶の勤務初日の教育はめぐみがしたが、その後もめぐみと一緒に仕事をすることが多かった。そういった事情もあり、晶はめぐみに懐いていた。


「晶ちゃんは物覚えも良くて、優秀だったからね。私も教えていて楽しかったよ。一緒に働けて嬉しかったよ。これからも皆を支えていってね」


「はい! めぐみさんの代わりになれるように頑張ります!」


「うん、積もる話はいっぱいあるしこれから一緒に帰りながら話そうね」


「めぐみさん、またあとでゆっくり話しましょう」


 今日は土曜日でめぐみと晶は閉店までの勤務ではなく二人とも十七時の退勤になっていて、帰りにどこかに寄っていくようだ。


「めぐみさん、お疲れさまでした。人手が足りない時にいつも出勤してくれて本当に助かりました。めぐみさんと一緒に働けて楽しかったです」


「宏樹くん……私も楽しかったよ。また一緒に働けるといいね」


「はい、いつでもお待ちしています」


 そういって二人は見つめ合った。

 先日のめぐみの告白の件はあったものの、二人の間にギクシャクした感じはなく今まで通り二人は振る舞うことができた。


「みなさん本当にお世話になりました。また、買い物で来ます! ありがとうございました!」


 最後にめぐみは休憩室のスタッフに頭を下げた。

 その目にはうっすらと溜めた涙が光っていた。




「久宝さん……?」


 お別れの挨拶をした後、めぐみと晶は更衣室で着替え店を出ると、そこには瑠璃が店の前に立っていた。


「晶ちゃんこれは……?」


 めぐみは少し驚いた様子で晶に目を向けた。


「めぐみさんが最後の勤務日に瑠璃ちゃんも一緒に帰ろうと思って呼んだの……ダメだったかな?」


 めぐみに知らせずにいたことを気にしているのか、晶は申し訳なさそうにしている。


「そんなことないよ。私も久宝さんにはお世話になったし……」


「そう……ならよかった……」


 余計なことをしたのではと心配そうにしていた晶はホッと胸を撫で下ろした。


「折原さん、お疲れさまでした。急に来てしまってごめんなさい。私も退職のお祝いをしたいと思って……」


「いえ、そんなことはないです。久宝さんとお話ししたいと思ってましたから」


 めぐみにとっては恋のライバルとなりうる瑠璃とはちゃんと話してみたかった。


「私も折原さんとはお客という立場じゃなくて、お話ししたいと思ってました」


 めぐみと瑠璃の間には見えない火花が散っていいた。


「瑠璃ちゃん今から食事にめぐみさんと夕飯を食べて帰ろうと思うけどどうする?


「そうね……駅の反対側になるけど、コースを頼むとパンが食べ放題のお店があるけど、そのパンが焼き立ての美味しいの。どうかしら?」


「いいですね。そこにしましょう。晶ちゃんもそのお店でいい?」


 めぐみは元々パン好きなので焼き立てのパンが食べ放題と聞いて興味が出てきたようだ。


「はい、そこにしましょう。パンが食べ放題のお店なんて楽しみです」


 満場一致でお店も決まり、瑠璃の先導でお店に向かった。




「美味しかった! あんなにたくさんの種類のパンが食べ放題で二千円しないくらいだしお得だね」


 めぐみは白身魚のソテーのコースを注文し、何個食べたか分からないくらい、そのお店のパンが気に入ったようだ。


「パンだけじゃなくて料理も美味しかった。さすが瑠璃ちゃんオススメのお店だね」


 晶は鴨のローストマスタードソース添えのコースを選んで大満足なようだ。


「私は家の影響もあってパンが好きだから色々と食べ歩いているけど、コジマベーカリーと今のお店は他人にもオススメできるわ」


 瑠璃の実家は久宝パンというパンメーカーだ。パンにこだわりを持つのは当然のことだろう。


 駅に向かう三人は話が盛り上がり、瑠璃とめぐみも打ち解けてきたようで、すっかり仲良くなったようだ。


「久宝さん、瑠璃ちゃん、二人に話したいことがあるの」


 暗くなった夜道を歩いていいると、今まで笑顔でお喋りしてためぐみが真面目な表情を見せた。


「めぐみさん、急にどうしたの?」


 突然、声のトーンが変わり、真面目な面持ちのめぐみに晶は少し驚いているようだ。


「私……この前宏樹に告白したよ」


 めぐみの突然のカミングアウト。


「え……? それってどういう……」


 最初に口を開いたのは瑠璃であった」


「この前、宏樹とデートしたんだ。その時に好きだから付き合って欲しいってお願いした」


 めぐみは振られているので、思い出すと辛いであろうことを思い出しながら語った。


「そ、それでひろくんはなんて……?」


 晶は動揺しているようで、声がわずかに震えていた。晶と対照に瑠璃は黙ったままめぐみの言葉を待っている。


「……振られたよ。めぐみとは付き合えないって」


 その時のことを思い出したであろうめぐみは、少し悲しい表情をみせた。

 晶と瑠璃はホッとしたようにめぐみには感じた。


「でも……今は(某点)って言われたから、可能性がないわけじゃないと思ってる。だから……私は宏樹のこと諦めない」


 めぐみは三人揃ったこの場で恋的であろう二人にライバル宣言をしたのだ。


「なぜ、それを私たちに?」


 黙っていた瑠璃が口を開いた。


「久宝さん……あなたも宏樹のこと好きなんでしょう?」


「そ、それは……」


 めぐみの直球な質問に瑠璃は言葉を詰まらせた。


「晶ちゃん、あなたも宏樹くんのことを異性として意識している。だから、二人とも私のライバルなの。だから、告白して振られたことも話したの」


何も言えず黙っている二人に構わず、めぐみは話を続けた。


「私は振られたけど宏樹くんに意識してもらえたはず。だから……久宝さんと晶ちゃんより一歩リードしていると思ってる。二人が何もせずにモタモタしていたら私がひろきくんを貰っちゃうよ?」


 何も言わずに黙っている二人に思うところがあるのか、めぐみは挑発するような言葉で語気を強めた。


 瑠璃も晶も宏樹に対しての想いを認めなくてはならない時がくるとは思っていた。それがめぐみの行動によって現実になったのだ。


「久宝さん、晶ちゃん、私からはそれだけ。今日は退職祝いをしてくれてありがとう。嬉しかったよ。私はここから歩きだから先に帰るね」


 めぐみは二人の返事を聞かずにおやすみ、とその場を立ち去った。


 残された瑠璃と晶は何かを考えているのか黙ったまま、お互いの顔を見つめ合っていた。

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