第18話
ピピッ! ピピッ! ピピッ!
「ふわぁぁ……もう起きないと……」
宏樹は布団からもぞもぞと手を伸ばし、サイドテーブルに置いてあるスマホのアラームを止めた。
今日はめぐみとデートの日だが、待ち合わせをしているのは午後からだ。だが宏樹は日曜日でも平日と同じ朝早く起きる習慣が身に付いていた。
「とりあえず朝メシ食うか……」
コーヒーの良い香りが廊下まで漂ってきている。今日も先に起きた綾香がコーヒーを淹れているのだろう。
「あれ? 親父まだいたの? 今日は朝からじゃ無かった?」
部屋を出てキッチンへ向かうと、健治が慌てて玄関に向かっているところに出くわした。
「寝坊しちまった。開店に間に合わないからタクシーで行く」
健治が寝坊するのはかなり珍しい。連日遅く帰って来ているので寝不足なのだろう。
「親父、今週一回も休んでないだろう? 疲れてるんだよ。ちゃんと休みなよ」
「説教は後で聞くよ。じゃあ行ってくる!」
そう言って健治は慌ただしく家を出て行った。
仕込みは前日に済ませているし、開店当時からのベテランのスタッフもいるから健治が遅れたからといって営業できないわけではない。
だからオーナーが遅れて出勤しても誰も責めないのではと宏樹は思った。
「綾香、おはよう」
今日は休日だが平日と同じように綾香が朝食を作っている。朝から健治が仕事に出ているので小島家の朝にはあまり平日と休日の区別は無かった。
「ひろ兄おはよう。まだパン焼いてないから」
「ああ、自分でやるよ。今日、親父寝坊したんだってな」
宏樹はパンをトースターに入れながら綾香に話しかける。
「うん、さっき起きたばっかりで、本当は開店前から行くつもりだったらしいけど、これじゃあギリギリだね」
「日曜くらい午後からゆっくり行けばいいのにな」
宏樹は普段の日曜日はバイトをお休みにしている。学生が日曜までバイトをしていると休みが無くなってしまうからだ。
「私も早くバイトできるようになりたいな。そうすればお店手伝えるからパパも休めるようになるのに」
綾香は今、中学三年生だ。アルバイトができるようになるには、あと一年待たなければならない。
「綾香がバイトできる頃には俺が受験でバイトできなくなるな。もうすぐめぐみさんも退職だし」
宏樹は一年後のちょうど初夏の今頃から受験に集中することになるだろう。今年はめぐみがもうすぐ退職だ。
「ひろ兄とも一緒に働きたいけど、めぐみさんとも一緒に働きたかったな」
思春期の妹というのは兄とかウザいとか思っていそうだが、一緒に働きたいとか嬉しくて涙が出そうだ。
「俺とは少しの間は一緒に働けるんじゃないかな。四月から二ヶ月くらい? それにめぐみさんも大学に合格したらまた働きたいって言ってたし」
「まあ、めぐみさんの場合は……ね。間違いなく戻ってくると思うよ」
めぐみと仲良くしている綾香は何か聞いているのだろう。
「めぐみさんといえば……今日、ひろ兄とデートするんでしょう?」
「え? なんで知ってるの……?」
「昨日、めぐみさんがメッセージで教えてくれたんだ。お兄さんお借りしますって」
綾香とめぐみは仲が良いので色々と筒抜けなようで、それはそれで少し嫌だなと宏樹は苦笑した。
「あくまでフリだから……」
「フリとはいえ、めぐみさんに恥かかせないようにしてよ」
「分かってるって。俺だって頼まれたからにはデートとはどんなものなのか、ちゃんと経験して肥やしにしてくるよ」
「そのままめぐみさんと付き合っちゃえばいいのに」
「めぐみさんにだって相手を選ぶ権利があるだろ……」
「はぁ……好意の無い相手に彼氏役なんて頼むわけないじゃん」
ひろ兄は分かってないなぁと綾香はため息をついた。
「相手に素性がバレにくいから俺を選んだみたいなこと言ってたけど……」
相手の男の知っている身近な人を偽彼氏にすると、いつかボロが出るから無関係な自分に白羽の矢が立ったと宏樹は思っている。
「まあ、あとはひろ兄が自分で考えなよ」
何か含みのある言い方が気になったが、綾香はこれ以上話すつもりはないようで、二人は黙々と朝食を食べ続けた。
「ひろ兄は身だしなみはシッカリして行ってよ」
「分かってる。服装には気を付けるよ」
「まあ、ひろ兄は見た目は良いからよっぽど変な格好じゃなきゃ大丈夫だよ」
身内である綾香からの評価は上々で宏樹は悪い気はしなかった。
「あ、洗い物は私がやっておくから」
使い終わった食器を流しに持って行こうと宏樹が立ち上がると、綾香が気を使ってそれを静止する。
「悪い」
「いいって。それより歯を磨いてシャワー浴びてきなよ。清潔感が大切だからね」
宏樹がシャワーを浴び終えるとデートに来て行く服選びが始まった。
綾香のチョイスした服は普段とそれほど変わらない服装に落ち着いた。
「それじゃ行ってくる」
「めぐみさんと一緒にいる時は、本当の彼氏の気持ちで接しないと相手に失礼だからね」
女子からのこういうアドバイスはとても有難い。
「ああ、分かった。肝に銘じておくよ」
デートなどしたことがなく不安を抱えていたが、綾香のアドバイスで心が軽くなったような気がする宏樹だった。
玄関先で綾香に見送られ、宏樹はめぐみと待ち合わせの駅前へと移動した。
「やべえ……緊張してきた」
本当の彼氏ならば、そこまで緊張することはないかもしれない。しかし、宏樹にとっては女性とのデートなど初めてのことで緊張するなという方が無理な話である。
待ち合わせ場所に到着すると、私服に身を包んだめぐみが立っていた。いつも学生服かユニフォーム姿しか見ていなかったから新鮮だ。
「めぐみさんお待たせ」
薄いクリーム色のパーカーにチェック柄のミニスカートから覗く白い太ももが眩しい。金の装飾を施したローファーもオシャレで、宏樹より一つ年上のめぐみはいつもより少し大人っぽく見えた。
「宏樹くん今日はありがとう。なんか面倒なことお願いしちゃってごめんね」
「いや、気にしないでください。めぐみさんの役に立つなら喜んでやりますよ」
「嬉しいこと言ってくれるね。それじゃあ今から私と宏樹は恋人同士だから、まずは名前は“めぐみ“と“宏樹“の呼び捨てだからね」
「もう始めるんですか?」
「そうだよ。今から慣らしておかないと、いざって時にバレちゃうから」
「分かりました。俺も今から恋人同士のつもりで接しますね」
「宏樹、まずはその微妙に敬語なのも止めよ? 歳は一つしか変わらない恋人同士なんだから」
「わ、分かりました……じゃなくて……めぐみ、分かった」
心では分かっていても、長い間ひとつ上の先輩として接していたのでつい敬語が出てしまいそうだ。
「うん、じゃあ宏樹行こっか」
そう言うとめぐみは宏樹に腕を絡めてきた。
「め、めぐみ、まだ早くないか?」
突然めぐみに腕を組まれた宏樹はその柔らかくて暖かい感触に戸惑った。
「全然早くないよ。宏樹もまだ慣れなくてぎこちないから、少しその辺を歩いて慣らさないと」
「そ、そうだな。ちょっと駅前をブラついてみようか」
――私、宏樹と腕組んじゃってる! 超嬉しい!
めぐみはフリとはいえ好きな人と腕を組み、宏樹と恋人関係を演じていられることにこの上ない幸せを感じていた。
「それじゃ宏樹いこ! 恋人同士なら腕を組んで歩いてるだけでも楽しいよ!」
冷静を装ってはいるものの、宏樹と腕を組んで密着していることで心臓がバクバクと高鳴り、めぐみの内心は喜びと緊張でどうにかなりそうであった。
「あ、ああ、めぐみ行こうか」
こうして宏樹とめぐみ、初々しい偽カップルの初デートは幕を開けた。
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