第10話
近々退職するめぐみの代わりに入ってきたのは宏樹の幼馴染で同級生の晶であった。
まさか
――なんで私が研修係なの? 宏樹くんがやれば……いや、それはダメだ。研修中に二人の仲が深まってしまう恐れある……やっぱり私がやるしかないか。
宏樹に恋するめぐみの心境は複雑であった。
「お、折原先輩よろしくお願いします」
ハンチング帽にコックシャツ、エプロンにスカーフのユニフォームに身を包んだ晶は緊張した面持ちで、めぐみにペコリと頭を下げた。
コックシャツを大きく持ち上げている晶の胸元を見ためぐみは、自分の胸と見比べてため息をついた。
――大きい……それに可愛い……
めぐみも小さくは無いが晶のそれと比べようもなかった。
パン屋のユニフォームに身を包んだ晶は女のめぐみから見ても魅力的で可愛かった。少し垂れ目で愛嬌のある顔立ち、肉付きが良く健康的な身体つきと文句なしの美少女だった。
「そんなに緊張しなくていいから。それに歳も一つしか変わらないんだからそんな堅苦しい呼び方じゃなくていいよ」
晶の美少女っぷりに引け目を感じていためぐみだが気を取り直して晶に向き直る。
「それじゃあ……めぐみさんよろしくお願いします」
「うん、よろしく。それで晶ちゃんはアルバイトは初めて?」
「は、はい、初めてです」
「そう、それは緊張するのも無理もないね。私がしっかりサポートするから落ち着いてゆっくり覚えていけばいいから心配しないで」
「は、はい! 頑張ります!」
かなり緊張しているようだがやる気は十分な晶は拳を握り締めた。
「いきなりレジは無理だからまずはパンの種類を覚えないとね。品出しと厨房でお手伝いから始めます」
こうしてめぐみによる晶の新人研修が始まった。
パンを受け取りに晶とめぐみが厨房に入ると、コックシャツに身を包んだ宏樹がオーブンから焼き上がったばかりのパンを取り出していた。
「晶、お疲れさま。最初は大変かもしれないけど、すぐに慣れるから頑張れよ」
「う、うん……」
晶は宏樹の姿を見るなり硬直したように動かなくなってしまった。
「晶? 緊張してるの? ボーッとして」
「ひろくん……ユニフォーム姿もカッコイイ……」
晶は宏樹のユニフォーム姿を見てポッと頬を赤く染めた。
確かに宏樹のルックスは悪くない。むしろ上の中くらいでカッコイイと言える容姿だ。ユニフォームに身を包んだ宏樹の姿は晶には凛々しく見えたのだろう。
「あ、晶、な、何言ってんだよ⁉︎」
転校初日のHRでのパンツ発言の時もそうだったが、晶は人目を気にせず自分の感情を出してしまうようだ。
「ち、ちょっとアンタたち仕事中に何ラブコメみたいなことやってんのよ⁉︎ 時と場所を弁えなさい!」
「ご、ごめんなさい。ひろくんがあまりもカッコよくて……」
「はいはい、惚気は後で聞いてあげるから今は仕事しましょう」
「は、はい、すいません」
厨房の他のスタッフに今のやり取りを聞かれてしまい、宏樹は恥ずかしさでばつが悪そうにしている。
――まったく、この先ずっとこの調子だったら先が思いやられるわ。
人前でも宏樹への好意を隠そうとしない晶に、めぐみは呆れつつ羨ましくもあった。めぐみは宏樹に対しての好意は全て冗談ぽく振舞っている。だから宏樹は揶揄われているだけだと思っているだろう。
「それじゃあ、この辺でいったん休憩にしましょう」
研修を始めてから三時間ほど経過し、晶が初日であることからめぐみは一旦休憩時間にすることにし休憩室へと移動した。
「晶ちゃん、お疲れさま。それでどうだった?」
休憩室に入るなり椅子に腰掛けテーブルに突っ伏した晶にめぐみは声をかけた。
「すごい緊張しました。パンの種類もたくさんあって……覚えられるかな……?」
「パンの種類を覚えないとレジに入れないからね。ここはシッカリ覚えてもらわないとね」
めぐみがいうようにコンビニのパンのように袋に商品名が書いてあるわけでも、バーコードが印刷されているわけでもない。だから全てのパンを覚えるしかないのだ。
「品出しとかしてれば自然に覚えられるから大丈夫だよ」
自信無さげな晶が安心できるようにめぐみは励ましの言葉をかける。
「一日でも早く覚えられるように頑張ります!」
緊張しながらも晶のやる気は十分なようだ。
「晶ちゃん、お疲れさまでした。私たちは二十二時までだから閉店作業は任せてこれで終わりにしましょう」
「めぐみさん、今日はありがとうございました!」
「晶ちゃん、飲み込みが早いからすぐにレジにも入れるようになるかもね」
レジ業務はまずパンの種類を全て覚えないことには話にならない。だからレジに入れるようになれば最低限の研修は終了ということになる。
「晶、お疲れさま。めぐみさんも研修お疲れさまでした」
「ひろくん、お疲れさまでした!」
「晶、今日はどうだった?」
「すっごい緊張した。パンの種類も凄い多いし全部覚えられるか不安。でも、初めてのバイトは楽しかったよ」
晶は初めてのバイトを楽しんでくれたようで何よりだ。
「うちのスタッフは良い人ばかりだから働きやすいと思うよ」
「うん、みんな親切で丁寧に教えてくれたし優しい人ばかりだった。アットホームで良いお店だね」
「私もホントそう思うよ! 私もコンビニとかやったけどここが一番働きやすかったよ」
お店のことをめぐみにも褒められ、宏樹は自分のことのように嬉しさを感じていた。
こうして晶のコジマベーカリーでの勤務初日は好評のうちに終了した。
「それじゃあ自分たちは上がります。工藤店長、後はお願いします」
「お疲れさまでした。宮古さん、次もお願いしますね」
工藤店長に後片付けをお願いした宏樹たちは三人で職場を後にした。
「それじゃあ、めぐみさんは家まで送って行くとして……あ、晶は駅から帰るのか……どうしよう……」
めぐみはここから徒歩での帰宅だが、晶は店の最寄りの駅から電車で帰宅する。そうなると二人を送って行くのは不可能だ。
「ひろくん、どうしたの?」
「いや、めぐみさんは歩いて帰るから、閉店までの勤務の時はいつも俺が家まで送っていってるんだ。そうすると晶を送っていけないんだよね」
「そうなんだ……私は駅から家まで近いし一人で大丈夫。ひろくんはここから徒歩で帰宅でしょう? だからめぐみさんを送ってあげて」
「……そうさせてもらうよ、晶悪いな。気を付けて帰れよ」
「ひろくん、ちゃんとめぐみさんを送って行ってあげてね」
「晶ちゃんありがとう。気を付けて帰ってね」
「うん、お疲れさまでした。また次もお願いします」
駅に向かった晶は店の前で二人と別れ、宏樹とめぐみは駅と反対方向に歩き始める。
「晶ちゃん、気遣いもできるし良い子だね。あんな可愛い子に好意を持たれて宏樹くん嬉しいでしょう?」
めぐみの言葉は何か含みのあるような言い方だった。
「好意なんて……そういうのじゃ無いと思うけど……」
「女の子がわざわざ宏樹くんのバイト先を選んで追っ掛けてきたんだよ? それがどういうことか分からないほどニブチンなの?」
晶から向けられる好意が直接的なものでない限り、宏樹はそう受け取ることはできなかった。だから宏樹はめぐみの質問には答えることができず、俯き黙り込んでしまう。
「まあ、宏樹くんが鈍いのは今に始まったことじゃないけど」
それがどういう意味か分からない宏樹は返事を返すことができなかった。
結局、それ以降はめぐみの家の前まで二人は無言で歩き続けた。
「宏樹くん、送ってくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
「今日は晶の研修ありがとう。お疲れさまでした」
「うん、おやすみなさい」
そう言うと恵みは踵を返し玄関へと向かって歩き出す。
「めぐみさん、おやすみなさい」
宏樹は玄関に向かっためぐみが家に入り、姿が見えなくなるまでその背中を見送った。
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