第9話
「めぐみさん遅くなりました。レジに入ります……あれ? 瑠璃は帰っちゃた?」
売り場にもイートインスペースにも瑠璃の姿が見当たらない。
「久宝さんならパンを買ってもう帰ったよ。私が会計したんだけど邪魔しちゃ悪いからって」
「あ、そうなのか……てっきりコーヒーでも飲んでいくのかと思ってた」
「久宝さんが帰っちゃって残念?」
「え? そんなことはないけど……仕事中だから相手してやれないし」
「宏樹くんと久宝さんは幼馴染みなんだよね? 二人を見てると良い関係だなぁってちょっと羨ましく思う」
「小学校からずっと一緒だからいるのが当たり前みたいになってて、関係が良いとか悪いとか自分では分からないな。昨日も無神経な発言をして怒らせちゃったし」
十年以上の月日を一緒にいるとお互いの距離感が掴みにくくなってしまう。その結果が昨日の件だ。
「宏樹くん、久宝さんに何を言ったの?」
「その……瑠璃とは腐れ縁だって……」
「宏樹くん……それは久宝さんが怒るのも無理ないよ。相手が男子なら良い意味にも取れるかもしれないけど、女子にそれを言うのはちょっとね」
確かにアレはデリカシーの無い失言だったと今は反省している。
「幼馴染みでも相手は女性なんだから相手の気持ちはちゃんと考えないと」
視聴覚室で迫られた時は瑠璃に女性を意識してしまったが、普段教室とかではその辺をあまり意識することは無かった。
「はい……反省してます……」
宏樹はしょぼんと項垂れた。
「宏樹くんはもう少し女心というものを理解する努力をすべきだと思うな」
「女心ですか……女性とお付き合いしたこと無いし、どうすれば理解できるのかサッパリ分からないですよ」
「ふーん……宏樹くん女の子と付き合ったことないんだ」
めぐみは何故か嬉しそうにニヤニヤとしている。
――あれ? これってバカにされてる?
「まあ、無いですね……」
「宏樹くん、折原さん、私語が多いですよ。まだ仕事中だからお喋りは休憩時間か帰りにしなさい」
宏樹とめぐみは近くにいたパートの女性に私語を注意されてしまう。
「鎌田さん、す、すいません、気を付けます!」
宏樹もめぐみもまだ高校生だ。慣れてくると気が緩んでくるのは仕方がないだろう。
「同世代の若い同士だから気持ちは分かるけど、イチャイチャするのは人目の無い所でね」
「イチャイチャしてません!」
鎌田さんにはイチャついてるように見えたらしく、めぐみは顔を真っ赤にして否定した。
「はいはい、これから忙しくなる時間だから気を抜かないようにね」
そう二人を諭し、鎌田はカートに乗った焼き立てのパンを商品棚に並べにいった。
「怒られちゃったね。帰りにまたゆっくり話そ」
今日もめぐみと最後までなので宏樹が家まで送って行くのは確定している。
「そうですね。これから混んで来るからシッカリやりましょう」
注意してくれる人がいるのは社会経験が少ない若い二人にとっては良いことだろう。そうやって人は成長していくものだから。
「お疲れさまでした。お先に失礼します」
閉店時間になり二十二時までしか働けない宏樹とめぐみは二人で連れ立って帰宅の途についた。
「めぐみさんが退職するまでもうすぐですね。店長は求人を出したって言ってましたよ」
「もうそんな時期かぁ……なんか実感が湧かないよ。もっとバイト続けたいなぁ」
「受験が控えてるんだから仕方がないですよ。でも大学生になったらまた戻って来れば良いんじゃないですか?」
「あ、確かにそれがいいかも。また雇ってもらえるかな?」
「大丈夫に決まってるじゃないですか。 めぐみさんなら大歓迎ですよ」
「嬉しいこと言ってくるね! でも……新しく雇うんでしょう? 人足りてるからいらないとか言われそう」
「仮に戻ってくるのが来年の春くらいだとして、その時は自分も大学受験を控えてたらその入れ替わりになるかもしれないし大丈夫かもよ?」
「それじゃあ意味がないんだよ。宏樹くんがいないと……」
めぐみは足を止めボソリと呟き、真剣な面持ちで宏樹と向き合った。
「えっと……それってどういう……」
めぐみの言葉の意味を測りかねた宏樹は戸惑いを隠せない。
「ねえ、宏樹くん……さっき女性と付き合ったことが無いって言ってたでしょう? 今、好きな人とかいる?」
先ほどまでとはガラリと雰囲気が変わっためぐみは、街灯の光の加減なのか顔が紅潮しているように見えた。
好きな人と言われて思い浮かんだのは瑠璃ともう一人、晶の姿だった。だがその二人に恋愛感情を抱いているのかと聞かれたら分からないと答えるだろう。
「えと……恋愛感情とかそういうことを言ってるのであればいないです」
長い間一緒の瑠璃と、再会したばかりの晶への好きがどう言うものなのか分からない宏樹はそう答えた。
その言葉を聞いためぐみは残念そうでいて安堵したような表情を見せた。
「だったらさ……私とお試しで……つ、付き合ってみない? ほ、ほら、好きな子ができた時の予行演習的な?」
「め、めぐみさん、な、何を言ってるんですか⁉︎ そ、そんなこと出来るわけないでしょう!」
宏樹はめぐみの突飛な提案に面食らった。
「えーそうかなぁ。私じゃ不満かな?」
「そ、そんなことは無いですけど……」
めぐみは宏樹の好みか好みでないかといえば好みであった。だからそんなことを言われて嬉しく無いはずはなかった。
「だったらいいじゃない。お試しとはいえ付き合ったら何をしてもいいんだよ……」
めぐみは距離を詰め、上目遣いに宏樹の顔を覗き込んだ。
目の前にあるめぐみの整った顔に形の良い唇。そして少し着崩した制服のブラウスから覗くバストに思わず目を向けてしまう宏樹。
「な、何でもって……?」
宏樹はごクリと喉を鳴らし唾を飲み込んだ。
「もちろん……恋人同士ですること全部だよ」
その甘い言葉に宏樹の頭はショートしそうになる。
「だ、ダメです! じ、冗談にも程がありますよ!」
緊張に耐えられなくなった宏樹はめぐみの肩を掴み、身体を押しめぐみとの距離を取った。
「ちぇー良い案だと思ったんだけどなぁ」
先ほどまでの妖艶な雰囲気から一転、いつものめぐみも戻っていた。
「めぐみさん心臓に悪から揶揄わないでくださいよ、ホント」
「宏樹くんドキドキした?」
「そ、そりゃめぐみさんみたいな可愛い人に言われたドキドキしますよ……もう冗談はやめてくださいよね」
「可愛いなんて嬉しいこと言ってくれるね。でも、色んな女の子の前でそんな事言ってると相手に勘違いさせちゃうからダメだよ」
「言いませんってば。俺をなんだと思ってるんですか……」
「天然?」
「天然ってなんですか?」
「天然の
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。それじゃ女性を取っ替え引っ替え
「宏樹くんにはその素質がありそうだよ」
「全然嬉しくないんですが……」
「あら、褒めてるつもりだけど?」
「とても褒めてるように聞こえないです。むしろ面白がってる?」
「判断は宏樹くんにお任せするね」
結局、めぐみが何を考えているのかサッパリ分からない宏樹だった。
――女性の考えてることは全然分からないな。
女性の心の機微を察するのは自分にはまだ無理だなと悟った宏樹は考えるのを止めた。
「宏樹くん、今日も送ってくれてありがとう。おやすみなさい」
いつもの様子に戻っためぐみは宏樹とたわいも無い会話をしながら歩き続け、家の前で足を止めた。
「めぐみさん、もう冗談で揶揄われるのはゴメンですからね。おやすみなさい」
「冗談は言わないから安心して……気を付けて帰ってね」
玄関の前まで歩いて行っためぐみは振り返り、宏樹の背中に向かって呟いた。
「今日だって冗談は言ってないよ。これからもずっとね」
◇
めぐみが宏樹にお試しのお付き合いと言う発言してから一週間が経った。それ以降、めぐみはそういう冗談を言うことは無かった。
「工藤店長、お疲れさまです。これから業務に入ります」
コジマベーカリー二号店でバイトの宏樹は事務所で工藤店長と挨拶を交わす。
「ああ、宏樹くん今日から新しいバイトが働き始めるからよろしく」
「え? いつの間に決まったんですか?」
「三日前に面接してね。奥の休憩室にいるから挨拶も兼ねて一緒に行こうか」
宏樹は工藤店長に連れられ休憩室の前で足を止め扉をノックする。
「あ、はい。どうぞ」
聞き覚えのある可愛いその声に宏樹は戸惑った。
――どこかで聞いたような……一体誰なんだ?
宏樹はそっと扉を開け休憩室を覗き込む。そこには見覚えのある女子の姿があった。
「あ、晶⁉︎」
どこか聞き覚えのある声に見慣れた姿。休憩室の椅子に腰掛けていたのは――宏樹も予想だにしていなかった晶であった。
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