2章 第3話 パパとの再会
「アンネの
俺たちの言語は仲間内において『ヤベェ』『スゲェ』『ハンパねェ』で構成されており、敵対者に対しては『アァ!?』『ォオ!?』のみでコミュニケーションが成立する。
文脈、なのだった。
スラムで集まってる行き場のねぇ
なのでたいていの場合にはなんとなしに自分や仲間たちを取り巻く環境を認識しており、『ヤベェ』『スゲェ』『ハンパねェ』でだいたいのことがわかるのだった。
ところが俺はもう十年ぐらい王都スラムに寄り付いてないので、詳しい説明がないとなにがなんだわからん。
わかるのはアンネがヤベェってことだけだ。
アンネ。【鉄腕のアンネ】。
かつてはお互いに違うファミリーを率いてぶつかり合ったこともある小柄な……小柄な? 女のことだ。
あいつはまあ平均より背は低いんだろうが、そこまでチビってわけでもない。両腕両足がゴツすぎて相対的に体が小さく見えるとかそういうやつだ。
あいつも俺も当時はまだガキだった。というかスラムで縄張りとかまだやってんのかあいつ……もう大人になれよ。就職しろ。
しかし語彙の少ないクズの話をどうにかこうにか噛み砕いていくと、どうやらアンネは今王都スラムで軽犯罪をやる集団の元締めみたいなことをしているらしい。ある意味就職してる。俺より稼ぎよさそう。ぶっ殺してぇ〜。
そのアンネがヤベェらしいことはわかったんだが、これのなにがヤベェのかが全然伝わってこない。
他のファミリーとの抗争かといえばそうでもなく、王都騎士団の手入れ……強制捜査とかそういうのが入って捕まったとかそういう話でもないようだった。
「アンネ姐さんのお嬢様がマジヤベェってんで、姐さんがハンパねェんスよ! アニキ! どうか姐さんを助けてやってください!」
わかんねぇよぶっ殺すぞ。
話を聞いての感想はといえば『どうぞ、ご勝手に』なのだった。
だってもう俺、スラムとは関係ねぇし……ちゃんと〝儀式〟もして縁切ったじゃん。正規の手段で卒業してカタギになったやつを引っ張ろうってのはスラムのルールに違反してる。マジでぶっ殺されても文句が言えねぇぐらいの掟破りだ。
しかしクズの表現力が百点満点中三点ぐらいなのでこっちで読み取りに行くしかないのだが、どうにもこいつはアンネのために独断で俺に声をかけに来たようだった。
つまりアンネを慕う舎弟から見てアンネがマジでヤベェ状態であり、スラムの掟を破ってでも助けを求めたくなるようなハンパねェ状態であることはなんとなくうかがえる。
っていうか当時のスラムは色々あって俺とアンネともう一人が仕切ることになったわけで、俺の最終的立ち位置は総長じゃなかったし、俺よりも先に相談すべきヤロウがいるんじゃねぇの?
行方知れずらしい。死ね。
どういう言い訳で見捨てよっかな〜と悩んでいると、真横で聞いていたレイチェルお嬢様がキラキラした目でこちらを見上げて、こうおっしゃった。
「先生、あたしも行くぜ」
そうか。俺は行く予定がねぇんだよな。いってらっしゃい。
しかしメスガキさんと語彙力不足のクズの方は俺が助けに行くと思って疑ってもいない様子だった。いや、なんの義理があって行くんだよ。ねぇよ義理。ぶっ殺すぞ。
いやしかしアンネの事情が小出しにされすぎて気になってきちゃってるんだよな……クソが! もっと国語力のあるやつが来いよ!
っていうかそうじゃん。俺、領地経営で普通に忙しいわ。貴族だよ俺。伯爵様よ。まあ俺の爵位はレイチェルパパに借金のカタとして保管されてて伯爵 (仮)なんだけどな。
まあそういうわけで王都まで出向いてる余裕がないんだよなぁ〜残念だなぁ〜という方向で断ろうとハラを決めて、その時ちょうど手紙が来たので話を打ち切るために配達人から手紙を受け取った。普通は使用人が受け取ります。お前のことだよレイチェル。
そうしたらローゼンバーグ家の封蝋がついた手紙があったので「パパからだぞ」とレイチェルに渡したら、貴族家の封蝋付きの手紙を普通に平民の前で開けて読み始めるレイチェルさんなのでした。機密保持の概念よ。誰か教育してやれ。俺の仕事ですね、はい。
そしてレイチェルさんはこうおっしゃったとさ。
「先生、パパが王都のローゼンバーグ屋敷に来いって。ちょうどいいな」
なにも良くねぇな。
しかし大公のお誘いは断れない。手紙の文面を読む限り全然強制はされていないし、『できたら早めにお越しください』ということを言われているのだが、ローゼンバーグの封蝋で閉じられた手紙に呼び出しの内容が書かれてれば、これを断っていい伯爵は存在しないのだった。
かくして俺は王都に行くことになってしまった。
いない間の領地経営はレイチェルの監視役の片目隠れの女が代行してくれるんだって。手回しいいね。ぶっ殺すぞ。
◆
「お待ちしておりました先生」
金髪をなでつけてあざやかな紫色のスーツをまとった四十がらみの男がローゼンバーグ大公その人で、そんなお方に出迎えられたもんだから俺は事態のヤバさを今さらながらに思い知らされた。
王都のローゼンバーグ屋敷はいわゆる『別荘』であり、大公が王城に用事がある時ぐらいしか使われない家のはずなのだけれど、俺の本邸の倍ぐらいの敷地面積があった。
しかも窓にはクリアガラスが当たり前のようにはまっている。たぶん敷地面積は倍でも調度品や家具などにかかってる金は十倍じゃきかねぇな。
以前にこうして向かい合って座った時、俺は槍の穂先に囲まれていたわけだが、今回は槍の穂先には囲まれていない。代わりに針の
なにせ俺は伯爵なのだった。
上から順に公爵、侯爵、子爵、伯爵、男爵というのが貴族の位階であって、その位階のさらに上の別格に位置するのが王族と大公である。
その大公が伯爵ごときを直接出迎えるとかよっぽど重要な話をおっ始めようとしているに決まっていた。帰りたい。
いざとなったら爆発する心の準備だけしておいて、とりあえず出されたお茶を飲むことにする。
これは『私は毒殺を疑っておりません』の意味で格上の家に招かれたらまず出されたお茶を格下側が飲むという決まりがあるのだった。そしてこっちがお茶を飲まない限りあっちもお茶を飲まないし、お茶を飲まないと話も始まらない。
永遠にお茶を飲みたくない気持ちになるなんて想像もしていませんでしたよローゼンバーグ大公。もうなんか滅びねぇかな世界。
「エインズワース伯爵は、王都のスラムにも明るいとか」
情報収集能力どうなってんだよマジで。
いやまあ、当時の俺はわりと有名だった自覚はあるし、隠そうとしても隠しきれるもんじゃねぇけどさあ……
にこやかな紳士の表情からはなんで俺の過去をほじくり返したのかの意図はさっぱり見えない。
前回の話し合いはかなり胸襟を開いた状態から始まったのでぶっちゃけ合戦みたいな様相だったが、今回はきちんと貴族的な話し合いをするようで、こうやって老練の格上貴族にガチの『貴族ふるまい』をされると、俺は痛くなってくる胃をおさえながら素直に「おっしゃる通りです」と肯定するしかないのだった。
とはいえ、
「昔、少々通っていた時期があった程度で、ここ十年近くはそもそも王都自体に寄り付いておりませんし、スラムのみなさんとの付き合いも切れていますが」
「しかし、スラムの者が直接助けを求めに向かったと娘から聞きましたが?」
「ははは」
ぶっ殺すぞメスガキ。
しかし、だ。
「……今回、たしかに昔の縁で助けを求められたとは思うのですが、なにぶん、その……少々特殊な方言でしゃべる方々なものですから、なぜ私のもとへ訪れたのか、その意図は判然としておりません」
「これは内緒の話なのですが」
聞きたくねぇんだよォ!
大公からの『内緒話』とか絶対にヤベェやつだろ! 伯爵ごときにするんじゃねぇよ!
だがここで俺に『聞きたくありません』と言う資格はないのだった。
ここで話を聞かずに帰るとなにをされるかわからない。まあ話を聞いてもなに言われるかわかんねぇけどな!
いざとなったら自爆しよう。
「……拝聴します」
「さる侯爵家のご令嬢が、家出をしたようでして。その捜索に協力を求められているのですよ」
「そうなのですか」
「ええ。その行き先がスラムということで、あそこは……私の情報網も、少々行き届いていない場所がありまして。そこでスラムの者と縁のある伯爵のお力をお借りしたいと考えております」
上位の者が下位の者の力を借りようと考えている、というのは『決めてる』ということだ。
初歩的な貴族言葉である。
「まあ、その、私でお力になれるとは思えませんが、微力を尽くさせていただく所存でございます」
「ありがとうございます。もちろん、あなたの協力は高く評価しましょう。エインズワース伯爵には、嫁入り先を探している良家のご令嬢を紹介するよりも、あなたの抱えていらっしゃる負債の補填がよろしいですかな?」
「……そうですね。ご厚情いたみいります」
「あなたにはご令嬢の捜索および身柄の確保をお願いしたいのです。それも、秘密裏に」
メンツの話だろう。
貴族の子女はわりと家出をするのだが、令息・令嬢に家出をされた家は公式にはほとんど存在しない。
それはこうやって秘密裏に連れ戻されて、家出の事実はなかったことになるからだ。
家出というのはけっこうな醜聞として扱われる。
理由は色々あるが、貴族家は『血』を重んじる。つまり、親の管理の行き届かないところで異性とアレコレしたかも……と思われると非常にまずいのだ。
しかも今回のご令嬢は『スラムに行った』ところまではわかっている。
『スラムに行ったご令嬢』。
ゴシップ紙の一面を飾るにはそれだけでも充分なニュースバリューがある。
これがご令息だとさほど話題にならない。【爆撃のウィリアム】とかいうあだ名がつくレベルだとまた違った方向のゴシップになるが……
「……わかりました。ご令嬢を発見して『家出していない』状態にすればよろしいのですね」
「さすがです、先生。ええ、そうです。家出していない状態にさえなれば、手段や過程は問いません。先生がどのようにこの問題を解決してくださるのか、興味深く拝見いたします」
「……あの、それでですね。一つ問題が」
「なんでしょう? ことによっては当家から助力いたしますが」
「大公の御息女であらせられるレイチェルさんがですね、私のスラム行きに『ついて行く』と。おそらくですが、放っておくとついてきます」
「……」
「なのでしばらく、お屋敷で監視していただけるとありがたいのですが」
「先生」
ここでローゼンバーグ大公は笑みを消して身を乗り出す。
もうその動作だけでなにもかも嫌になってくる。『じゃ、あとヨロシク!』っつって逃げたい気分だ。いや逃がしてもらえねえだろうけど。
「……なんでしょうか、ローゼンバーグ様」
「お恥ずかしい話ですが……あの子の制御は、我々の手には余るものです」
「……」
「なので、当家の醜聞にならぬよう、気を払っていただきたい」
こいつ娘のことになると途端にクソ親父なんだよな……ぶっ殺すぞ。
しかし立場の弱い俺は「承ります」と言うしかなかった。滅びろ国家と身分制度。
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