1章 第4話 ヤンキー女騎士、メイドになる
メイドが来たぜ。
帰れ。
「先生! 窓拭いてたらガラスが粉々なんだけどよぉ、ここのガラス、脆くねぇ? なんか曇ってるし」
「バカ! ガラスは透明度が高いほど高級なんだよ! 誰の家にも
「へぇ〜。ま、片付けりゃいいかな。……あ
「ああああああもおおおおおおお! 下手に触るな! ケガするだろうが! 俺がやるからほっとけ!」
「す、すまねぇ先生……じゃあ、あたしはあっちの掃き掃除してくるかんな!」
「行くなバカ! 戻れ! っていうか大人しく━━」
走り去るクソガキ。どんがらがっしゃーんという音が響き、なにかが砕ける音が寒々しい屋敷内に響き渡る。
位置的にこれはツボとか割りましたね。俺のばあちゃんが嫁入りの時に持ってきたやつが飾られてたと思う。
……大公の行動はやたらと素早くて、
契約書にはした覚えがないのに俺の字としか思えないサインが記されていて、そこにセットでローゼンバーグ大公が一本化した我が家の借金の借用書の写しがあった。
借金額は一本化される前より少ないあたり違法な利子なんかは省いてくれたらしいんだけど、回収までの手際がよすぎて恐ろしさしかない。
また、当然ながら生きているだけで金はかかるので、この借金は俺が月々の返済に生活費と妹の薬代を合わせた額以上を稼がないと減らないのだった。
現在の俺の職業は『騎士団特別臨時教官』と『レイチェルの家庭教師』なのだが、レイチェルはメイドでもあるので俺はその給金も払わねばならない。こんな理不尽ありえるか。
わかってる。
ここまでのことは全部、俺の人としての
そもそも騎士団に大公家のお嬢さんがいないなんて思い込んでいなければ。生意気な新米騎士だからと言ってボコボコにしなければ。大公の手の平で転がされるのにムカついて小さな意趣返しをしなければ……
最近、思うことがある。
俺っていうやつはたぶん穏やかな人生を望んでいるんだ。
たとえば王都から遠く離れ、なおかつ辺境というほどでもない土地。海なんか見えたらなおいい。
そんな場所で屋敷のバルコニーに安楽椅子を出して、昼からワインなど飲みながら海を眺め、波音を聞き、地元の魚介を使った料理に舌鼓を打つ。
たぶんそういう生活をしたい。
もちろん屋敷なんだからメイドも家令もコックもいるだろう。でも、それらは正しい家人がそうであるように、存在感がなく、まるで屋敷の機能そのものが人型をとっただけというような仕事ぶりなんだ。
そういう、理想の生活。
「先生! なんかツボ壊れた!」
「テメェが壊したんだろうが! 報告は無駄な責任回避をせずに正確にしろ!」
間違ってもガラスの片付けをほっぽって次なる破壊物の様子を見に行かなきゃいけない生活はしたくなかったし……
ホウキを剣みたいに片手で持って砕けたツボの前で立ち尽くすメイド服を着ているだけのメスガキを追いかけて世話をやかなきゃいけない生活は絶対したくない。
でもしてる。
「っていうか、テメェが今持ってんのは外用のホウキ! ンなモンで家の中掃除したらカーペットと壁紙がめちゃくちゃになんだろうが!」
「室内用のホウキどこにあんだよ」
「最初に聞け! 俺ァテメェの質問に毎回きちんと答えてるよなァ!? なんで聞かねぇんだよ!?」
「━━エインズワース卿」
背後から女の声がした時、一瞬、『しまった』と思った。
振り返る。
そこには黒髪で片目を隠した中性的な女がいて、それはいわゆるところの『お目付役』であり、俺がメスガキ・レイチェル・ローゼンバーグに不埒なまねをしないようにするための『護衛役』でもあった。
つまりこの家における大公の名代こそがこの女なのだ。
だから丁寧に接しようと思っていたし、こいつの気配のあるところでは『レイチェルさん』なんて、猫撫で声で呼びかける努力もしたし、丁寧に言い聞かせる苦労もしていたのだった。
が。
「エインズワース卿、お嬢様はメイドとはいえ、大公の一人娘であらせられます。それを相手にこのような聞くに堪えぬ暴言はどうぞお控え━━」
「うるせぇなあ」
「━━な!?」
「大公の威を借りてお小言言うのは気持ちいいんか? あァ!? っていうか! 見ろ! 現実を! テメェんとこのお嬢様のこの暴走っぷり! 俺が『待て』と言ったら『待て』や!! 話を聞け! 言葉を理解しろ! それができねぇからこうなってんだよ!」
「あ、あなた、大公令嬢に対しなんと無礼な……!」
「大公令嬢に言ってねぇよ! テメェに言ってんだ! っていうか! なあ! そんなんだから教育に失敗してんだろうが! こいつの可能性を潰しかけた自覚はねぇのかよ!? いいから俺に任せろ! 下手な口を出すな!」
「あなた……! このことは旦那様に報告しますよ!」
「ああ、しろしろ。旦那様の威光を借りてなんもできねぇクソ雑魚従者が奇妙な口出ししてることが正しいわけねぇだろ。そんぐらいの道理もわかんねぇやつが大公ならこの国はおしまいだ! 終われ! 全部!」
と。
そこまで吐き出してようやく『怒り』が俺の極小
冷静になったせいで、とんでもないことをした自覚がわいてきた。
俺は人生において常にこの『怒り』という感情に振り回されてきたのだ。
この感情は『耐えよう、押し込めよう』とするほどにより激しい反発力を発揮して勢いよく飛び出すものであり、その反発に負けないようにと強く強く抑え込むと、雨水一滴ぶんの俺の器はみしみしと
その発露が常に自分の運命を望まぬ方向へ進めてきたことはわかっている。
だが、わかっているから耐え切れるのかといえば、それはまったく違う話なのだった。
むしろ、わかっていて、怒りとそれがもたらすさまざまなことを『いけない、発露すべきでないことだ』という自覚が強まれば強まるほど、怒りは激しく
忍耐力!
俺がもしも神に三つの能力を与えられる機会をいただいたなら、最初に思いつく一つがそれなのだった。
しかし神に切望するものというのは、たいていの場合において自助努力においてはどうにもならない、得難いものだ。
俺の忍耐力もまた、そのご多分に漏れない。
人生のほとんど半分をかけて養おうとしてはいるけれど、それが作り上げられる気配はみじんもなく、だからこうして怒りによる器の軋みを
ちょうど今みたいに。
「……あー……そのー……なんと言いますか、言葉が過ぎていることは、私としてもふと自覚する時がある悪癖の一つでございまして。これについて鋭意努力し前向きに検討していく所存でございますれば、どうぞしばしのあいだ、お目こぼしをお願いしたく……」
「……なるほど。旦那様が気に入られた理由もわかります」
「あの」
「大公にお仕えする者を相手にここまで
「
「たしかに、お嬢様の教育においてローゼンバーグはエインズワースの後塵を拝する立場。まず『話を聞いてもらう』ということさえできていない身で、
「ええ……退いてしまうのか……いや、間違ったことは間違っていると言ってくださらないと、それこそ教育に悪いっていうか」
「ところでお嬢様のお姿がまた消えているのですが」
「ハッ!?」
どんがらがっしゃーん、という音がする。
気配の位置からするとこれはキッチンとかめちゃくちゃになりましたね。
早く帰って来てくれみんな〜!
大公の行動が早すぎてみんなが戻る前に
俺一人であいつを制御するの無理だよォ〜! 助けてくれェェェ!
「破壊されたものに関しては、わたくしが目録をつけ、旦那様が弁償なさる手筈となっております」
「大公、この破壊劇予想済みってことじゃん! 不安要素しかねぇ!」
「お嬢様が物を壊すほど借金の返済が早まる……とも言えますね」
「それでいいなら普通に売って金作るんですけどねぇ! いや伝統があって処分しにくいけど大した金にもならねぇモンしか残ってないけども!」
「それはそれとして行儀見習いに出しているので、成果が見られない場合は家庭教師の資格を問われることにもなりますが」
「滅びろ大公!」
呪詛を吐き捨てて走る。
案の定キッチンには情けない顔をしてこちらをうかがう話聞かないガキ・レイチェル・ローゼンバーグ嬢と、今晩の夕食がおしまいになったことがありあり伝わってくる惨状のキッチンがあった。
でも俺は怒り尽くしてちょっと冷静になっている。だからいきなり『クソガキ!』だの『バカ!』だの言わないこともできた。
「レイチェルお嬢様」
「お、おう……」
「一つ、よろしいでしょうか。ええと……人の話を聞かずに飛び出すことは、おやめくださいね? さもないと、えー、その……」
「……」
「ぶっ殺しますよ」
語彙が冷静になれなかった……
でも結果的にその日、レイチェルは大人しくなったのでめでたしめでたし。
翌日にはまた暴れ始めたので、めでたくなし、めでたくなし。
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