第49話 希望

 ドアの方から何かが爆発したような音がして、その後で犬が激しく吠える声がした。何が起きたのかとエマが音の方へ顔を向けると、ドアが弾け飛んでいた。そして壊れたドアの間から、人が中に入ってくるのが見えた。


 その黒いローブが見えた時、エマは手を伸ばしてその名を呼んだ。

「ルーク!」

 ルークはそのままエマの体の上から人を引き剥がして、大きな音を立てて、ロビンを殴りつけた。その勢いでロビンは近くの壁に派手な音を立ててぶつかって倒れた。


 だけど、ルークは見たこともないほど怒った顔をして、気を失ったロビンの元に歩いていく。その全身から強い怒りが感じられた。

 すでに気を失っているロビンの首元を掴むと、また腕を振り上げた。

「や、やめて!ルーク」

 そのままもう一度殴りつけそうな勢いのルークを抱きついて止める。

「だ、大丈夫だから。やめて!落ち着いて!」

 飛びついたエマに、振り上げた腕を下ろすと、ルークはエマを見下ろした。

 そして眉を寄せる。


 改めて自分でも見ると、エマの格好はひどいものだった。

 髪もドレスもぐちゃぐちゃで……首を絞められたせいか、襟元は乱れている。

 だけど、ルークはエマの首を見て、体をこわばらせた。

 ロビンが首をしめたところに触れて、みるみるうちに顔が真っ青になった。


「君、これ……」

 自分ではわからないけど、おそらくアザができているのだと思う。きっと両側に指の痕があるはずだ。

 それくらい、ロビンはエマの首に力をこめていた。

 おそらく、あと少し遅かったら、息の根を止められてしまうくらいに。


「あ、これは、一応まだ生きているから未遂ってことで」

「あいつ…殺す」

 物騒なことを言って、ルークはそのままエマを置いて、ロビンに向き直った。

 また殴ろうとするから、慌てて止める。


 その時、背後からたくさんの人が部屋の中に駆け込んできて、エマは急いで大きな声を上げた。

「お願い!誰か止めて!」


 たくさんの騎士たちがルークから引き離すようにしてロビンを取り押さえると、ルークはようやくエマに向き直った。肩が激しく上下して、額にびっしりと汗が浮かんでいる。

 確かめるようにエマの頬を両手で挟んで、そしてその手をそのまま後ろに沿わせて後頭部に動かして、エマをぎゅっと抱きしめた。



「もう、ダメかと思った……」



 いつも冷静で、何事も簡単にこなしてしまうルーク・ヘイルズがこんなに焦っているのも、必死になっているのも初めて見た。


 エマはそっとその体に手を回す。気がついたら、手が震えていた。

 それを気が付かれないように、その背に手を添える。

 自分を絶対に守ってくれるその人に、エマは顔を寄せた。


 だけど、エマが震えているのはすぐに伝わってしまった。

「君、震えてる」

「うん」

 ルークはエマを宥めるように、優しくその背を撫でる。

「もう、大丈夫だから」

「うん……」


 ルークがエマに頭を擦り寄せた時、二人の間に割り込むようにロキが飛び掛かってきた。

「きゃあ」

 慌てて体を離すと、ロキが嬉しそうにエマの顔を舐める。

 それに苦笑いしていると、ルークがちょっと怒ったような声を出した。

「相変わらず邪魔ばっかりするな」

 そう言ってため息をついた後で、笑ってロキの頭を撫でた。


「でも、君が見つかったのはこいつのおかげだ」

「ロキの?」

 ルークはそう言ってポケットから何かを出してそれをエマの目の前に出した。


 それはついさっき庭園で見つけた。髪飾りだ。

 エマはルークに笑顔を向ける。

「これ、見つけてくれたんだ?」

「そう。そのあとは早かった。それは、コイツのおかげ」

 ルークがロキをめちゃくちゃに撫でると、ロキは嬉しそうに喉を鳴らした。


 ロビンに引き摺られながら歩いていく途中、エマはポケットの中から髪飾りをとって、それをさりげなく、廊下に落とした。予期せず、それを包んでいたハンカチも髪飾りの少し離れた場所で落ちた。


 これを見つけたら、助けに来てくれるんじゃないかと思った。

 この髪飾りは、エマの希望だった。


 そもそもエマがロビンに捕まった場所は王宮の外れだったから、この髪飾り自体が見つからない可能性もあった。

 だけど、誰かがこれを見つけたら、絶対にルークはエマのところに来てくれるという確信があった。


 きっとルークが探しに来るから、できるだけ時間を稼ごうと思った。

 そう思って話をしたけど、結果、エマの話でロビンを挑発してしまったから、うまくいったとは言えない。



 ルークはエマの体を引き寄せた。

 そうしてもう一度、さっきよりも強く抱きしめた。


「よかった。君が生きていてくれて」


 その言葉に、エマはようやく自分が助かったことを実感した。




 ******


 その後は、全てがあっという間だった。


 レイチェルはロビンが捕まったことを知って、あっさりと罪を認めた。

 


 お茶会の日、レイチェルが毒を使ったことを悟ったロビンは、レイチェルがドレスのポケットに入れていた毒を人に見つからないようにそれとなく回収して、自分で保管することにした。


 あの騒ぎの後、ロビンはすぐに逃亡を考えた。

 でも、ロビンもレイチェルと相談する時間もなく、そしてあの事件の影響でレイチェルの周りには常に人がたくさんいたから、逃げられなくなってしまった。


 どうしようもない中で、ロビンは一人行動を起こした。


 あの日、ロビンはなぜエマを襲ったのか。

 ロビンは過大評価しているけれど、ただの魔術師のエマを襲うことに、あまり意味があるとは思えない。

 きっと一番警備が緩くて、狙いやすかっただけだ。


 だけど、エマにはロビンの行動の意味がわかるような気がした。



 きっとロビンは何か問題になる事件を起こすだけでよかったのだ。

 それなりの事件で問題を起こして、それをきっかけに自殺する。


 その証拠に、探していたギエルの毒はロビンが持っていた。あの時エマの首に手をかけながら、その胸ポケットには粉状のギエルが紙に包まれて入っていた。

 失敗してもしなくても、あの時ロビンは死ぬつもりだったのではないかとエマは思っている。


 そうすることで、きっとロビンは全ての罪を被るつもりだったのではないか。

 全ての罪を一人で被ったら、きっとレイチェルは無実となる。

 ここで皇太子と結婚することは難しいかもしれないけれど……


 望んだように、彼女は新しい生活を始められるのだ。


 だけど、彼はそのことについては全く何も話さないから、本心はわからない。

 それに、きっと言うつもりもないと思うけれど。



 皇太子は隣国の国王宛に婚約破棄の手紙を送り、それは受け入れられた。交換条件的にレイチェルの妹に当たる正妃の娘との婚約を改めて勧められたらしいが、皇太子はキッパリと断ったという。


 レイチェルは来た時と同じように、大勢の女官に連れられて戻ることになった。ロビンは罪人として、隣国で裁きを受けるために囚われた状態で戻ることになった。


 彼らがどうなるのかはわからない。

 隣国の国王はおそらくエマの想像を絶する厳しく、冷たい人のようだから、どうなるかわからない。

 だからと言って彼らをここに匿うことができないのも事実だ。

 だけどできるだけ、彼らに温情を与えてもらえるような手紙を書いたと皇太子は言っていた。


 それを聞いて、ルークだけは不満げだった。

 ルークはいまだに、ロビンがエマを襲ったことを怒っている。

 だけど、その気持ちもわかる。


 ルークがそんな目にあったら、エマもその人を絶対に許さない。




 彼らが隣国に戻る前の日、エマはロビンと面会をした。

 そんな必要はないとルークには散々叱られたけれど、どうしてもエマは話したかった。それは事件から5日が経った時だった。


 牢屋の奥でしゃがみ込んだロビンはエマが来ても顔色ひとつ変えなかった。だけど視線を動かして、エマの少し後ろに立つルークを見て、鼻で笑った。

 その顔を見て、なぜだかエマも笑ってしまった。


「なんの用だ」

「ええと大したことではないけど」

「なら帰れ」


 エマは鉄格子の向こう側に向かって声をかけた。ロビンはエマに顔を向けることすらしない。だからエマは勝手に話し続けた。


「私にもね、いつも私を守ってくれる人がいるの」

 ロビンは前髪の隙間からそっとエマを見上げた。

「その人がいなかったら、生きていられないくらいのことも、何回もあった」


 少し離れたところにいるから、ルークにはこの話は聞こえないと思う。

 聞こえたら、こんな話は絶対できない。


 聞こえないからエマはロビンを見て話し続けた。


「その人には本当に感謝している。私はその人に何もできないし、その人の役に立つこともできないけど、でも、いつもありがとうって思っている。恥ずかしくて普段は言えないけど、心の中ではいつも思ってる」


 ロビンはじっとエマを見ていた。その表情にはなんの変化もないように見えた。


「私は、その人のおかげで強くなれるし、頑張ろうって思える。だからいつか、その人にたくさんありがとうって言いたいし……いつか私がその人を守れるようになりたいと思う」

 エマはロビンに笑いかけた。

「だからレイチェルもきっとあなたに対して同じように思ってる」

 ロビンが視線を動かした。視線があって、エマはそっと笑いかける。


「あなたがいたから、レイチェルは生きてこられたんだよ」

 エマは手を伸ばして、鉄格子を握りしめる。


「誰からも愛されていないなんてウソ。あなたが彼女を愛しているじゃない」


 急にロビンが体を動かした。

 鉄格子越しに、エマの目の前に体を寄せる。


 同時にエマの背後で物音がして、ルークが一歩近づいたのが気配でわかった。

 とっさにエマは手を出して、ルークがそれ以上近寄るのを止めた。


「何が言いたい?」

 ロビンはそう言ってエマを見た。

 力の抜けた体の中で、目だけが光を持った気がした。


「好きな人に守ってもらえて、レイチェルは幸せだと思う」


 ロビンは何も言わなかった。

 だから、エマは最後にもう一度ロビンに笑いかけると、今度こそ立ち上がってルークを連れて牢を出た。



「何を話してたの?」

 牢を出るなりルークが尋ねてきた。エマは少し考えて、首を振った。

「秘密」

「は?言えないってこと?」

「うん」


 あんな会話、ルークにだけは聞いてほしくない。

 どう考えたって、恥ずかしすぎるだろう。


 だけど、ルークはそれを聞いて信じられないという顔をした。

「僕は絶対にあいつを許さないけどね」

 それにエマは苦笑いした。


 あの時、エマを襲おうとしていたロビンにルークは激怒して、気絶しているのにまだ殴ろうとして、それを止めるのは大変だった。怒りがおさまらないから魔力が暴走して、しばらく小さな竜巻が出たり、火が出たり大騒ぎだった。

 そんな思いをさせたのは、エマなのだけど。


「きっと、本当に殺すつもりはなかったよ」

「どうだか」

 ルークはため息をついた。



 翌日、レイチェルとロビンはたくさんの監視のもと、隣国へ戻った。

 ロビンは罪人らしく手を縛られ、護送用の馬車で護衛騎士に監視されていた。


 だけど、国境を越えて隣国に入ったところで彼らの乗った馬車は何者かに襲われた。たくさんの護衛騎士が反撃したが、敵もそれに激しく抵抗し、多くの怪我人を出す事件になった。

 金品を奪って犯人は逃走し、行方は知れない。


 そして、そこからレイチェルとロビンは姿を消した。


 その犯人がどこから来たのかはわからない。

 二人を始末しようとした隣国の国王の指図なのか、それとも本当にあのあたりに潜む盗賊だったのか、それすらもわからない。

 我が国の国境を超えたところの犯罪だから、捜査は隣国が行い、その結果は知らされることはなかった。



 わかっていることは、二人の姿は消え、彼らの消息はわからないまま、と言うことだった。


 だけどエマはきっと二人は逃げ延びて、幸せに暮らしていると信じて疑っていない。


 どこか遠い、誰も知らないところで二人で新しい人生を送っている。

 そう、信じている。


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