新しい関係編

第50話 ただの友人

 あの事件が終わって、あっという間にいつもの日常が戻ってきた。


 相変わらず、エマはパトリシアとルークと皇太子とお茶をする毎日が続いている。変わり映えのしない日々の中で、時々、あの事件のことを思い出す時がある。だけどその回数は少しづつ減っていった。



「お兄様は本当にお人好しよね」

 パトリシアは呆れたように笑った。

「だって、あの二人を責めるようなことは書かずに、いろいろあったから婚約破棄をさせてほしい、としか隣国の王への手紙には書いていないのよ」

 皇太子はそれに苦笑いした。

「私が書かなくても、あの側仕えたちが詳しく報告しているから、これ以上書くことはないよ」

「かなり迷惑かけられたんだから、嫌味の一つも書いてやればいいのよ。大迷惑でしたって」

 それに皇太子はクスッと笑った。


「ひとつ、書いたよ」

「何を?」


 意味ありげな顔をした皇太子に、他の3人が興味深い顔をして聞き返すと、皇太子はエマを見て微笑んだ。



「心に決めた人ができたから、この結婚は遠慮させてほしいって」



 それを聞いてパトリシアは思わずカップを音を立ててテーブルに置いた。

 そしてそのままルークを見て、それからエマを見て、もう一度ルークを見た。

 居心地悪そうに視線を下げる。

「お、お兄様にしては、ずいぶんはっきり書いたわね」

 そう、白々しい笑顔を浮かべた。

 ルークが片方の眉を上げて皇太子を見て、そして口を開いた時だった。



 部屋のドアが開いて、そこから王妃が顔を出した。


 この部屋に王妃が来るなんて珍しい。

 慌てて全員が立って迎えると、王妃は笑ってソファに座る。後ろにいる女官に指図して、お菓子の入った箱をテーブルに置いた。

「いろいろあって、大変だったでしょう?だからみんなの顔を見に来たの。これはお土産よ」

 それはエマも好きなお店のチョコレートで、思わずエマも笑顔になる。

 王妃はそんなエマをめざとく見つけて笑った。


「エマが一番大変だったから、エマの好きなものを探したの。みんなで食べましょう」

「ありがとうございます。よかったわね、エマ」

 パトリシアが笑顔でエマに笑いかける。

 恐れ多いなと思いながら、エマもありがたくそれをいただくことにした。


 王妃はソファに座ると、思い出したようにエマを見つめた。


「そうだわ、エマ。あなた下宿先を探していたのよね?」


「え?」

「………は?」


 エマがキョトンとする。


 確かに、今回の事件が起きる前、エマは下宿先を探そうとしていた。

 それをパトリシアに相談して、怒られたのを今ようやく思い出した。

 だけどその間にいろんなことが起きて、エマですらそのことを忘れてしまっていた。


 だけど、それを聞いて隣でルークは顔を顰めた。

 パトリシアは慌てて体を乗り出して、王妃に声をかける。

「お、お母様、それは……」

「随分前にパティから聞いたのよ。エマがヘイルズ家から出ようとして、新しい下宿先を探しているけど、お母様どこかいいところを知らないかしらって」

 パトリシアは真っ青になってルークを横目で見て、大袈裟なくらい首を振る。


「いや、お母様、それは昔の話で、もうそれは終わった……」

「だから私も親戚に声をかけたりして探したのよ」

 パトリシアが焦ったように弁解しようとすると、王妃が被せるように話し続ける。


 それを聞いていた皇太子がここ最近では一番機嫌の良い笑顔になった。

 そしてエマを振り返る。


「エマ、そういうことは早く言ってよ」

「え?」

 エマが戸惑っていると、それを無視して皇太子は一人納得したように頷いた。

「すぐに部屋を用意させるよ。今日からここに住んだらどう?」


 王妃がそれを見て顔を顰める。

「私の実家の関係でいいところが見つかったのよ。もうお話ししてしまったから、断れないわ」

「いえ、お母様。ですからそれはもういいんですの」



 ふと、エマの隣から恐ろしいほどの怒りのオーラが漂ってきた。

 ついそれにつられて顔を上げると、ルークがじっとエマを見ていた。


 あ、これはとても機嫌が悪い時の笑顔だ、とエマの直感が伝えてくる。


 思わず体を後退させてルークから距離をとると

 反対にルークはエマに向かって足を踏み出して、逃げ道がなくなってしまう。


「僕は何も聞いていないんだけど、どういうことかな?」

「あ、いや。これは……」

「もしかして、何か不手際があったのかな」

「そ、そんなのないって!」

 ヘイルズ家ではとてもよくしてもらっている。

 エマが全力で否定しても、ルークの機嫌は良くならなかった。

「これは、僕たち二人でよく話し合わないといけないね」


 ルークはガシッとエマの腕を掴むと、満面の笑顔を浮かべて王妃へ向かい直った。

「大変申し訳ありませんが、エマと大事な話があるので、少しの間失礼させていただきます」

「……え?」

「行くよ」

 ルークは迷いなくそう言って、そしてエマを連れて部屋を出た。



「ちょっと……ルーク」

 ルークはエマの手を引きながら、早足で歩いていく。その勢いに宮廷女官たちは驚いて、廊下の端に体をよけて、二人のために道を空ける。

「どこいくの?ルーク?」

 返事はしないまま、ルークはどんどん前へ進んで、そうして王宮の庭園のところまで来てようやく足を止めた。

 その背中にぶつかりそうになって慌てて立ち止まると、ルークがゆっくりとエマを振り返った。


 その目がとんでもなく怒っていて、エマは身構える。

 なぜだかわからないけど、とても機嫌が悪い。


「君、あの家を出て行こうとしているの?どうして?」

「あ、いや。別にその不満があるとかではなくて」

 ヘイルズ家ではあり得ないくらいよくしてもらっている。

 それだけは誤解のないようにしておきたい。

「じゃあ、どうして?」


 エマはくちごもった。

 俯いて、少しの間考えて、それから視線を上げた。

 ルークの目を見つめる。


「実は、そろそろルークにも縁談がくるのかなって思って」

「だから?」

「私がいると、やりづらいだろうなって」


 それを聞いて、ルークは驚くほど長い間沈黙して、

 しばらくしてとても大きなため息をついた。


 エマから手を離すと腕を組んでエマを見た。

「一つ言っておく。僕に縁談なんて来ていない。そんなのするつもりもないし、これから先、縁談が来ても全部断る。だから、そんな今後絶対に何があっても起きないことで君が悩む必要は全くない」

「でも」

「何?僕のいうことが信用できないの?」

「……信用してる」

「なら、いいだろ?君が出ていく必要はないし、他の下宿に行くことなんて考えなくていい」


 エマは俯いた。

 そんなエマに、ルークが息を吐いた。

 苛立ったように、乱暴な仕草で髪をかきあげる。


「それより……君は自分のことをちゃんと考えた方がいい」

「自分のこと?」

「前から何度も言おうと思っていたんだ」

 はあああとルークは息を吐いた。


「大体、君はいつも何かに巻き込まれて、それで命に関わるような危険な目に何回も遭っている」

 エマは言い返そうとして言葉を飲み込む。


 だって特に王宮に来てからのことを考えたら、

 ……そんなことない、なんて言えない。


 エマがじとっとした目でルークを見ると、ルークはふいと顔をそらせた。

 その顔が心なしか赤く見えた。


「それは君がちょっと人よりお人好しで、無駄に正義感が強くて、それから威勢のいい所があるから、そうやって事件に巻き込まれてしまうんだ。もちろん、そこも君のいい所だと僕は思っているし、多少は自重して欲しいけど、直す必要はないと思っている」

「……」

 ルークはこほんと咳払いをした。


「だから、これからの君のことを思ったら、誰かちゃんと君を守る人がそばにいないといけない。絶対に君を守れるような、優秀な人間がね」


 そこまでいうと、ルークはエマの肩を両手で掴んだ。




「だから、君、僕と結婚しよう」



「…………え?」



「とりあえず、結婚しよう」



 ルークは早口でいうと、エマの肩から手を離した。

 そうしてまた腕を組んで、考え事をするように顎を上げながら、ため息をつく。


「この間も言った通り、君と僕はで、そうなると、またこの間のように、君が事件に巻き込まれた時、君のことを完全に守れなくなって、困ることになる」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「待たない。君だってわかっただろ?今回みたいなことがあった時に、家族ではない僕には君を守り切ることはできない。でも、いざと言うときにそれでは困るんだ。僕たちが結婚して家族になっていれば、ヘイルズ家の後ろ盾もできるし、僕の持つもの全てで君を完璧に守る事ができる」


 ルークは頭を左右に振って、それから目を閉じた。

「しかも守るって言うなら、頭脳も剣術も魔法だってちゃんと使えないといけない。言っておくけど、その全てにおいて僕は誰にも負けない自信があるし、実際この国で僕以上の人はいない。色々考えると、僕よりうまく君を守れる人間はいないってことになる」

「ま、待ってよ、ルーク」

「つまり、君をちゃんと守る事ができる人間は、この僕しかいないってこと。だから、異論はないよね。決まりでいいよね」

 そう言ってもう一度エマの腕をガシッと握った。


「じゃあ、早速、皇太子と王女に報告しよう」


 腕を強く引かれても、エマは足を動かす事ができなかった。

 足が鉛のように重い。


 そのまま立ち尽くしていると、ルークがエマを振り返って苦い顔をする。


「なに?君、どうしたの?」



 エマは俯いた。


 結婚しよう、なんて言われたら、きっと嬉しいのが普通なのに。

 ちっとも心が弾まない。

 それどころか、自分の気持ちがどこかに置き去られてしまった気がする。

 ルークは戸惑うエマの手を、強く引く。


「ほら、行くよ」


「………行かない」


「え?何、言っているの?」


 ルークがエマの顔を覗き込んだ。

 視線があって、エマはそれを逸らすとルークの腕を振り払った。



「私……結婚しない」

「は?だから、君は何を言っているの?」


「あなたとは結婚しないって言っているのよ。ルーク・ヘイルズ」




 エマはルークから一歩後ろに下がると、その鼻先に自分の人差し指を向けた。

「私、守って欲しいなんて言ってないし、そんな風に嫌々守られなくてもいい。自分でなんとかする」

 その言葉にルークは目を丸くして、そして数秒後に我に返って、うんざりした顔をした。


「大丈夫じゃなかったことしかないくせに、何を言っているんだよ。君、今までのこと、わかってる?」

「わかっているわよ」

 エマはルークの目を見つめ返した。


「ルークが自分しか守れないって使命感で私と結婚するつもりなら、あなたに悪いわ。無理して結婚してくれなくていいし、守ってくれなくていい」

 ルークは手を頭に当てて髪の毛をぐしゃっと乱した。その顔が苛立ったようになる。


「あのさ、それは言葉の問題っていうか」

「だから、そんなんだったら、結婚しなくていいって言ってるの」

 エマはツンと顔を逸らせた。

「別に無理に結婚する必要ない。でいいわよ。で」


 エマの言葉にルークはムッとした顔をする。

「だから、それは……」

 だけどルークが全部言い終わる前に、エマは遮るように大きな声を出した。


「ルークは全然、わかってない」


 そう言ったら、急にエマの目に涙が浮かんで泣きたくなった。

 だけどそれを見せたくなくて、エマはルークに背中を向ける。

 ルークの顔を見たら、泣いてしまうと思った。



「ちょっと、君、落ち着きなよ。そうやって苛立つと人の話を聞かなくなるのは、昔から君のよくないところだよ。まずは冷静に話をしよう」

「私、これ以上ないくらい冷静よ」

 そうしてエマはルークを振り返った。



「もう一度言う。あなたとは結婚しない」






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