第41話 思いがけない反撃
皇太子から指示を受けたと言っても、エマには特に大きな作戦があるわけではない。
皇太子は大まかに考えていることはあるらしいが、教えてはくれなかった。
「まずは好きにやっていいよ」
そう言われても、困るは困る。
ただ、彼女が隣国に戻る前には盛大な舞踏会を催して、そこで皇太子との婚約を正式に発表する予定だという。
舞踏会での正式発表までにはなんとかしたい。
その舞踏会まではあと3週間。
と、なるとあまり時間はない。
できるだけ早くしたほうがいい。
「レイチェルをうまく追い詰められるといいのだけれど」
そう小さく首を傾げた皇太子の顔は何かを企んでいる人間の顔だった。
そう考えるとこの人はやっぱり只者ではないと思う。
エマが皇太子の隣のルークに視線を向けると、目があってすぐに、それを逸された。そのまま部屋を出て行こうとするから、エマは慌ててそれを追いかけた。
「あの、ルーク」
だけどルークは振り向くことなく、歩いていく。ドアを開けて出て行ってしまった。
取り残されたまま、そのドアをじっと見ていると後ろから声がした。
「何?ケンカ?」
「あ、はい」
エマが戸惑いながら返事すると、皇太子は笑った。
「珍しいね、二人がケンカなんて」
「いえ、私たちなんて喧嘩ばっかりですよ」
二人の間の深刻な空気を誤魔化すようにエマが笑いながら言うと、皇太子はじっとエマを見た。
「そうかな。いつもじゃれあっている感じだったけど」
その思わせぶりな視線にエマはどうしていいのかわからなくなって、視線を逸らせた。
そう、私たちは今までもずっと喧嘩ばかりだった。
会えば言い合いをして、話し言葉が喧嘩みたいだった。
だからこんなの慣れっこのはずだった。
それならどうしてこんなに気持ちが落ち着かないのだろう。
昨日あんなに怒りをぶつけられた後から、話しすら、ちゃんとできていない。
こんなに長い間ずっと視線があわなかったり、話をしなかったことなんて、ない。
まだ怒っているんだと思って、エマの気持ちも落ち込んだ。
******
今日も朝からレイチェルがやってきた。
今まで皇太子とルークとやっていたお茶会から皇太子とルークが抜けて、代わりにレイチェルとロビンが参加している感じだ。しかも相変わらずレイチェルは大人数の護衛を連れているから、部屋の中には人がたくさんいて気持ちが休まらない。
「お茶会も飽きましたわね」
優雅にお茶を飲みながらグチを言うレイチェルに、エマは呆れてものを言うのをやめた。確かに外出したりもしたけれど、早々毎日出かけてばかりもいられないし、かといってお茶会もたくさんしたし、そろそろネタ切れだ。
「何か面白いことはないのかしら」
そう言ってエマに顔を向ける。
申し合わせたように、レイチェルとロビンがじっとエマを見る。
エマはレイチェルにも、その隣に当然のように座るロビンにもムッとする。
婚約者のいる女性の隣に座るっておかしいではないかと、ロビンに向ける視線も厳しくなってしまう。
「ねえ、何か楽しいことないかしら?」
そう言ってエマを見るレイチェルの何か考えろと言わんばかりの視線に、エマはうんざりした。
正直言って、遊んでいる暇があったら、さっさと情報を仕入れてこの仕事を片付けてルークと仲直りしたい。
エマが思うのはその一つだ。
そんな気持ちもあって、エマは半ば投げやりに答えた。
「じゃあ、まだやっていないですし、歌合わせでもしますか」
歌合わせとは昔からある貴族の遊びの一つで、決められた単語数の中で詩を創作する遊びだ。季節を表す単語を入れたり、うまく自分の気持ちを込めて作らないといけないから、幅広い教養が必要でかなり上級な遊びになる。
でも昔は貴族の遊びと言ったらこれで、隣国でももちろん行われている。
自分で誘ったのに悪いが、エマも歌合わせは得意ではない。
学校の先生には『あなたの詩には色気が足りない』と言われたこともあるくらい、情感ゼロのつまらない詩しかエマは作れない。
エマの知る限りでは王妃が得意だった。
さすがという非の打ちどころのない詩をあっという間に作ってしまう。
意外なのはパトリシアで、普段は雑なこともあるのに、詩を歌わせるととても上手い。
振り向かない人を想う詩とか、叶わぬ恋を嘆く詩とか、かなりリアルに創作する。
恋愛小説の影響かもしれないと、エマは密かに尊敬している。
得意ではないのにエマがこの遊びを提案したのは楽をしたいという下心がある。
歌合わせではみんなが詩を考える時間があるから、その間に考え事ができるし、会話も最小限で済む。
それにこの遊び自体に長い時間がかかるから時間が潰せる。
必要なものも紙とペンだけだから、準備も片付けも楽だ。座っていられるから体力も温存できる。
どうせレイチェルには馬鹿にされるのだから、作る詩も適当でもいい。
つまり、遊んでいる暇のない今のエマにとってはありがたい遊びなのだ。
パトリシアはエマの提案に頷いた。
「ああ、いいわね。久しぶりにやりますか」
「せっかくだから王妃様も呼びます?」
調子に乗ってエマが言うと、パトリシアも頷いた。
「そうね、お母様も呼びましょうか。お母様は歌合わせが好きだから喜ぶわ」
「じゃあ、早速準備しましょうか」
だけどその時、かちゃんという食器がぶつかる音がした。
音のした方を見ると、レイチェルがカップを乱暴に置いたところだった。
「わ、私は……今日は外に出かけたいわ」
「え?」
パトリシアが困ったように首を傾げる。
「それはできないわ。だって外出するならお兄さまに話して準備しないと、突然出かけるなんて無理よ」
そう言って笑ったパトリシアの笑顔にエマはピンときた。
レイチェルは負けずに言い返した。
「じゃ……じゃあ、明日にしましょう。王妃様も呼ぶなら突然は失礼よ」
「王妃様は歌合わせが好きだから、いつも突然誘ってもきてくれるわよ」
「とりあえず、突然はダメ!ダメよ!」
パトリシアを遮るようにレイチェルは大きな声を出すと、席から立ち上がった。
「歌合はまた今度にしてちょうだい」
そう言い捨てるとドアへ向かう。その背中にパトリシアが声をかけた。
「じゃあ、明日にしましょう。王妃様も誘っておくわね。約束よ」
無邪気に見えるようで、否と言わせない声だった。
だけどその笑顔に、少し意地悪なものを感じた。
レイチェルはそれに立ち止まって振り返った。
その顔が真っ赤だった。
「私はやるなんて言ってない!」
そう言い放つとレイチェルは乱暴にドアを開けて出て行った。その後ろをロビンや側仕えがついていく。
全員が出ていくと、部屋の中は急にガランとした。
バタンを音を立てて閉まったドアをぼんやりと見ていると、急にパトリシアがエマに抱きついた。
「やるじゃない、エマ」
「え?」
エマが驚いてパトリシアを見ると、王女は楽しそうにニヤッと笑った。
「あいつの苦手なこと、どうしてわかったの?」
「は?」
パトリシアはテーブルに残ったお茶を飲んで、嬉しそうに笑った。
「あいつ、歌合せが苦手なのね。だからやりたくなかったのよ」
「え」
「だから、歌合わせが嫌だから逃げたのよ」
そこでエマにもようやく理解できた。
歌合わせは貴族の遊びだ。
きちんとした貴族教育を受けていない人には歌合は厳しい遊びになる。
もし、皇太子の言っていたように、レイチェルがきちんとした貴族教育を受けていないとしたら……歌合わせは彼女にはできないだろう。
だから今日、レイチェルは逃げるように去っていったのだ。
思いもかけず嫌がらせをしてしまったと思っていると、パトリシアが嬉しそうに笑う。
「とっても意地が悪いわね、エマ。最高」
エマは苦笑いする。
褒められても全く嬉しくない。しかも狙ってやったわけではない。
「いや…そんなつもりでは」
「知っていてやるなんて、あなた結構、性格悪いのね」
「いえ、本当に偶然です」
エマは頭を抱えた。本当にそんなつもりはないのだ。
訂正しようと王女へ向き直ったら、王女はニタリと笑ってエマを見た。
「私、あなたをお手本にして、同じやり口で対抗することにするわ」
「お手本って」
「彼女を追い詰めるなら、貴族的な教養で責めるのがらいいわね」
パトリシアは明日の歌合わせでどういうお題を出すかを考え始めた。
その目は輝いている。
ここにきてパトリシア王女は完全に復活した。
そしてその日の午後、エマはパトリシアに言われて図書館に行くことになった。
理由はただ一つ。
「あの女、絶対に自分では歌が作れないから何処かから盗作すると想うの」
「盗作って……」
「その場ではできないから、今日のうちに歌を作って覚えておくと思う」
言いたいことはなんとなくわかる。
歌合わせでその場で歌を作るのが難しい場合は、事前に頭の中で歌を作っておく。それは誰もがやることだ。
全く考えられない場合は……そうやって過去のものを参考にするのも手かもしれない。
王女の予想通りだな、と思っているとパトリシアは力強く続けた。
「女官に歌を作らせるかもしれないけど、いい歌を作れない可能性もあるし、保険のために歌を一個だけじゃなくて何個も作っておきたいから、絶対に昔の歌を調べると思う。図書館には昔の歌集もあるから、調べるにはもってこいよ」
「調べるって……」
「参考にする歌を見つけて、それを自分でアレンジするか、それとも丸ごと盗作するかどっちかよ。私ならそうする」
パトリシアはエマを見た。
「だから、その犯行現場を押さえられたらいいわよね」
それだけでは婚約破棄にはできないけれど、理由の一つにはなるだろう。
「でもうまくいきますかね」
「うまくいかなくてもいいのよ。図書館にずっとエマがいたら、参考にする本も持ち出せないでしょう?だからそれだけでも効果があるのよ」
エマは王女の意地悪さに驚いた。王女は満足そうに笑っている。
それを見てエマも苦笑いする。
図書館に行ってこいという王女の命令には背けない。
だけど一人で行くのは良くないと思って、誰か一人、できれば手の空いている騎士でも借りようと皇太子の部屋に寄ってから図書館に行くことにした。
皇太子の執務室までは距離があるから、エマは早足で歩いていた。
庭に沿った外の廊下を歩いていくと、声がかけられた。
「あなたは結構意地悪な人なんですね」
立ち止まって振り返ると、柱の影から姿を見せたのはロビンだった。
ロビンはゆっくりとエマに向かって歩きながら、いやらしい笑顔を浮かべた。
「善良そうな顔をして、人を追い詰めるのがあなたのやり方ですか?」
「……なんのことですか?」
「わかっていてとぼけるのは、よくないと思いますよ」
そういうとエマの目の前で立ち止まって、じっと見下ろしてきた。
なんとなくこの間の恐怖が思い出されて、背中に冷や汗が伝った。
「どこにいくところですか?」
色素の薄い瞳がじっとエマを見る。感情のない瞳がとても怖く思えた。
「言う必要、ありますか?」
「へえ、教えないつもりですか」
エマはため息をついた。
「今日のことは特に意図はありません。王妃様やパトリシア王女は歌合わせが好きなので、提案しただけです。だから変に勘繰らないでください」
「じゃあ、明日の歌合わせは中止にしてください」
「……それは私にはできないです。もう王妃様に招待の手紙を送ってしまいましたから」
勢いづいたパトリシアは早速招待の手紙を出して、しかも王妃も喜んで参加の連絡が来た。
ロビンは目を細めた。
感情が見えないけれど、怒っているのはわかる。
「それでは今からでいいです。明日は中止として、……そうですね、街に外出にしてください」
「だから私にはできません。レイチェル様が皇太子様にお願いすればいいでしょう?」
「そうでしょうか?あなたが頼めばあの皇太子はいうことを聞くでしょう」
エマは足を止めると、ロビンを見上げた。
「断る、と言ったら?」
ロビンはエマを見てニヤリと笑った。
「もしあなたが私のお願いを聞いてくれたら」
ゆっくりとエマの周りを歩いて、最後に正面からエマを見た。
「あなたがほしいものをお返ししますよ」
勿体ぶった喋り方でロビンが言って、ポケットから何かを取り出した。
中から出てきた物を見て、エマは息を呑んだ。
それはあの時ロビンがエマから奪っていった髪飾りだった。
「本当は私たちが国に帰るときに返す予定でしたが……もし教えてくれたら……これを今、お返ししますよ」
その目に鈍い光が走った。
「すぐに、あなたにお返しします」
そう言って、エマの目の前にその髪飾りを差し出す。
咄嗟に手を伸ばして奪おうとしたら、それより先にロビンがそれを自分の掌の中に握り込んだ。片方の口角を上げて笑う。
「これがあなたの手の中に返って来るかどうかは、あなた次第ですよ」
エマはロビンの手をじっと見つめた。
できれば今すぐ返してもらいたい。
だけど、この人の言う通りになるのは、絶対に嫌だ。
エマは頭の中で少しの間、迷った。
でもすぐに考え直す。
やっぱりこの人の言う通りになんて絶対になりたくない。
もし、今は戻って来なくても、この人が隣国に戻る前になんとか取り返そう。
そう思って、断ろうと顔を上げた。
ロビンはエマと視線があうと、小さく息を吐いて笑った。
「時間切れですね」
時間切れ?
その言葉の意味をエマが理解する前に、ロビンが髪飾りを握っている右手を大きく後ろに振りかぶった。
そしてそのまま腕を回して大きな弧を描きながら前へ動かして……
そしてそのまま前へ、放り投げた。
髪飾りを。
庭に向かって。
それはそのまま大きな放物線を描いて遠くへ飛んで
王宮の庭園の中できらりと光って、そして消えた。
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