第39話 王妃の役割
皇太子はエマをじっと見つめた。
「私はね、彼女との婚約を破棄したいんだ」
エマはとても驚いて、なんとか息を整えてから口を開く。
「それって…」
彼女に愛がないから?
彼女の態度を見て、王妃にしたいと思えなくなったから?
……なんと言っていいのかわからないから、言葉が弱くなる。
皇太子は表情をちっとも変えないままで、その様子は清々しいくらい普通だった.
「エマはレイチェルを見ていて、どう思う?」
「どうって……」
「率直な感想だよ。彼女がこの国の王妃となった場合に臣下として彼女を支えていきたいかどうか」
もちろん、あんな人を支えたいとは思わない。
だけど、素直にそう言っていいとは思えないから、伺いを立てるようにそっとルークを見ると、目線で好きにしろと言ってきたので、エマは渋々話し始めた。
「美人ですし、最初のころはとても素敵な方だと思っていました。ですが……」
「だけど?」
先を急かすように、皇太子が反応する。
エマは大きく息を吐いてから、話し続けた。
最初に私の考えですが、と前置きをする。
「王妃はただ美しく着飾って、笑っているだけの存在ではないと思います」
皇太子の目がじっとエマを見つめる。
「王妃には王妃の義務があります。どうやって国王や国を支えるのか……しっかりとやるべきことを考えて努力する必要があると思います。でも……」
ふっとこの間のレイチェルの顔が浮かんだ。
彼女は結婚して、周りを見返すのだと言っていた。
そんなことを考えている人に、王妃はつとまるだろうか。
国を支えていけるだろうか。
きっと……そんなことはないだろう。
エマは皇太子の目を見つめ返した。
「あの方は王妃になって自分が得る利益とか名誉とか……自分のことしか考えていない。自分の生きる場所になるこの国のことを、考えていないと思います。」
エマはそこで口をつぐんだ。
本当は言いたくはないけれど……一番大きな理由がある。
レイチェルは皇太子を愛する努力をしていない。
政略結婚であっても、今はそこに愛がなくても……
歩みよる努力を、愛そうとする気持ちを見せて欲しかった。
皇太子と結婚して、二人で国を築き上げていくのだから、きちんと向き合って欲しかった。
だけど彼女はそうではない。
二人で話をするどころか、その場に自分の恋人を連れてくる人なんて
絶対に信用できない。
思い出したら、また怒りが込み上げて
エマは胸の前でグッと手を握りしめた。
「だから、彼女は王妃にふさわしいとは思いません」
エマが顔を上げると、皇太子がにこりと嬉しそうに笑った。
隣のルークを見て、満足そうに頷く。
「エマは王妃の役割をよくわかっているね」
それにルークはものすごく苦い顔をした。
「私もね、そう思う。……だから、婚約は解消する。これはよく考えた末の結論なんだ」
皇太子はエマに視線を戻した。
「事前調査の時点で彼女を王妃にするのは迷いがあった。そしてこの目で彼女を見て、私も彼女はこの国の王妃にはふさわしくないと思う。彼女を王妃にしたら、きっと国が混乱する」
だけどそこで息を吐いた。
「でも、それは全て憶測や噂話だから、周りを納得させる婚約破棄の理由にはならない。それはエマもわかるよね」
エマも頷いた。
彼女と会った人は誰もが、彼女噂通り美人で優しい人だと思っていて、本当の姿は誰も知らない。
周りから問題がないとされる婚約を破棄するにはそれなりの……特に隣国を納得させるだけの理由が必要だ。
誰もが仕方ないと諦めるような、決定的な証拠。
皇太子はニッコリと笑ってエマを見た。
「だから、私にエマの力を貸してくれないかな」
「私の?」
「このまま王宮にエマがいたら、きっとまたエマは狙われると思う。だけど」
「だけど?」
言葉を切った皇太子がエマをじっと見つめる。
その目に何か企みがあるのを感じた。
「彼女たちが君を狙う所も決定的な証拠をつかむために利用したいと思う」
エマが最初に思ったのは驚きよりも納得だった。
つまり、婚約破棄に持ち込むには、確実な証拠が必要だけど、今はまだその証拠が掴めない。なんとかしてその証拠を手に入れたいけれど、そのためには協力者がいる。
皇太子は私にその役割を頼んでいるのだ。
エマが黙ったままでいると、皇太子はエマの隣のルークに視線を向けた。
そしてルークがとんでもなく鋭い瞳で自分を見ているのを、苦い顔で受け止めた。
「私が情報を集めたり、時にはおとりになったりするってことですか?」
エマの言葉に皇太子は挑むように笑った。
「はっきり言うと、そうだね」
チラッとルークに視線を走らせた。
「エマには危険が伴うから……」
皇太子がそこまで言ったところで、耐えきれないというように、ルークが皇太子の机に大きな音を立てて手をついた。
その全身からものすごい殺気が漂っている。
ルークが息を吐いて口を開くと同時に、エマも口を開いた。
「許可できません」
「私、やります」
エマとルークの声が重なった。
ルークは本当に信じられないという顔をしてエマを見た。
エマはルークに向かって微笑んでから、皇太子を見つめた。
「私、やります」
「ちょっと待て、だめだ、エマ。僕は絶対に許さない」
皇太子は焦った様子のルークを見て苦笑いした。
「エマはこう言っているけど、どう?」
エマがじっとルークを見つめると、苦い顔をして顔を逸らせた。
だけど横顔が絶対に嫌だと言っている。
「もちろん、エマの安全については最大限に配慮するけど、危険なこともないとは言えない。それに簡単な仕事ではない。だけど、力を貸してほしい」
真顔になった皇太子がじっと、エマを見つめた。
「私の国造りを手伝ってくれないか」
その言葉は、魅力的だった。
エマみたいな人間が、これから皇太子が国を作るのを手伝う……なんて。
ものすごく素敵な言葉だ。
だから、つい、エマは頷いてしまった。
「やります」
隣のルークがエマを見ているのがわかった。
きっとその顔が苦いものになっているのも。
小さく笑った皇太子がルークを見つめる。
「エマはそう言っているけど、いい?ルーク」
顔を上げたらルークと視線があって、それをあっという間に逸らされた。
ものすごく、怒っている。
少しして、低い声で返事をした。
「本人がやるというなら、僕には止める権利はありません」
それを聞いて皇太子が満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、話は決まったね」
皇太子はエマに向けて手を出した。そのまま期待のこもった目でエマを見る。
これは一体……。
その手をぼんやり見ていると、クスッと笑う声がした。
「エマ、これは一緒に仕事を始める前の挨拶だよ」
「あ、なるほど」
「共犯者……というより、相棒かな」
エマは恐る恐る手を差し出すと、皇太子の手を握った。
存外、強い力で握り返された。
そのまま手を握って皇太子は笑った。
「君の働きに期待しているよ。エマ・バートン」
******
皇太子はエマの手を放すと、エマを見て考えるような顔をした。
「実は気になっていたのだけど……、どうして急にエマはレイチェルに狙われるようになったのかな?」
「それは……」
まさかそれに気がついていたのか、と驚いた。
皇太子は全くレイチェルのことに無関心に見えて、しっかり見ていたのかと驚いた。
返事に困っていると皇太子が眉を寄せる。
「最初はレイチェルはパティを標的にしていたけど……途中でエマに変わったのには、何かがあったと考えていいよね?」
エマは返事に困った。
なんと言っても隣のルークからの圧がすごいのだ。
ルークとは先日約束をした。
何かあったら報告するという約束を、理由はどうであれ、破ってしまった。
しかもその言っていない話を本人の目の前で暴露されることほど辛いものはない。
ルークを見ないようにしながらエマは苦笑いした。
だけど皇太子は構わず顎に手を当てる。
「何かあったとすれば、あのお茶会のあたりじゃないかな」
まるで見ていたかのように皇太子は言い当てるから、エマは目を丸くしてその顔をじっくり見てしまった。
そしてそれが答えを教えてしまうことになった。
皇太子は朗らかに笑う。
「ああ、やっぱりそうか。あの辺りからエマの様子はおかしかったからね。ねえ、ルーク」
そう言われて、エマは驚いた。
自分ではできるだけ今まで通りにしようと頑張っていたのだ。
まさか周りの人にはバレていたなんて。
隣を見ると、ルークは眉間に皺を寄せたまま、頷いた。
「私、おかしかったですか?」
皇太子はいまさら何を、と呆れた顔になった。
「おかしかったよ。常に気を張っていて、どんどん顔色も悪くなるし、何かあったと思った」
そうしてエマを見る。
「私は、いつもエマのことを見ているからね」
今度こそエマは口ごもった。
そんなことを、今この場で言わないでほしい。その証拠にルークの体がわずかに反応した。
エマの戸惑いもルークの苛立ちもわかっているだろうに、皇太子は意地が悪い。
「それで、どんな話をしたの?」
でもその質問にも困ってしまう。
だって、全ては言えない。
レイチェルとロビンのことは言いにくい。
だけど、戸惑うエマを見ながら、皇太子はこともなげにそれを口にした。
「もしかして、エマはレイチェルとあの護衛騎士のことを知っているの?」
エマはそれにとても驚いて、本当に言葉を失った。
だって皇太子がそれを知っているなんて。
目を丸くしていると、皇太子は苦笑いした。もう全部わかっているって顔だった。
「そうか。エマにも気を使わせたね」
「あの、どうして知っているのですか?」
「結婚相手の身辺は徹底的に探るものだよ。向こうもそうだし、こっちも同じだ。その段階でレイチェルのごく近くに一人の男性がいるとわかって、しかもその二人の間には親密という言葉以上の空気が流れているから、見ていればすぐにわかったよ」
皇太子の大きなため息が部屋に響いた。
「彼女がここにくる前から、二人の関係は知っていたんだ」
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