第36話 隣国の王女

 隣国の王女、レイチェルの訪問は隣国出身の我が国の初代王妃の墓参りという名目だった。だけど実際は皇太子との顔合わせと言うことは誰もが知っている。


 目を奪われるような美人で、性格も優しく慈悲深い。立ち居振る舞いも優雅で踊っても歌を歌っても素晴らしい。

 レイチェルにはそんないい噂しかなかった。


 エマは絶世の美人でなくても、レイチェルが良い人ならそれでいいと思っていた。

 心の優しい人で、皇太子の事を好きになってくれたらいい。

 そして二人で幸せになってくれたらいいのにと、あれから元気がないままの皇太子を見るたびに思っていた。



 レイチェルはたくさんの女官と護衛を連れてやってきた。

 彼女の女官のために、女子寮を整理して部屋を増設したが足りなかった。

 つまりエマが女子寮を追い出されたのは、レイチェルの女官のためだったと言うことになる。


 実際のレイチェルは噂通り、華やかな美人だった。

 輝く金髪に白い肌、少し切長の目には憂いがあって、大人びた色気が漂っていた。スタイルも良くドレスを着て立っているだけで周りの視線を集めた。

 完璧なマナーとそつのない会話で、国王や王妃にも好印象だった。


 いい人だとエマもほっとした。

 これなら皇太子も幸せになれるだろう。


 だけどそれは最初だけだった。


 レイチェルはとんでもない人だった。




 ******


 その日パトリシアはとても怒っていた。


 その日の昼にパトリシアはレイチェルから誘われて、王宮の自慢の庭園でお茶会をした。もちろん、しっかり準備をして万全の状態で出かけた。


 そのお茶会でパトリシアはレイチェルに意地悪をされたらしい。

 だけどあの美しいレイチェルが意地悪するなんて想像できない。

 一緒に行った側仕えに話を聞くと、二人は首を傾げた。


 二人で話をしたいと言われて、テーブルには二人とレイチェルの護衛騎士の一人だけが残って、他は遠くから見守ることになった。だから側仕えにも会話の中身はわからない。

「あの女、人に知られないようにやってくるのよ!」

 顔を真っ赤にした王女は怒鳴るように言った。


 王女は護衛と側仕えと3人で行ったのに、向こうは10人程女官や護衛を連れていて、最初から精神的に圧を感じていたという。

 お茶会が始まると、レイチェルはそれとなくパトリシアの言葉使いや所作の荒さを指摘してきた。挙句にわがままだという世間の噂や、どこから聞いたのか王女の数々の悪戯の話などをしてきたという。


 イライラしながらも、きちんと対応していたパトリシアだけど、最後に

「早く良い方が見つかって、この国を出られるといいですね。あ……でも、やっぱりわがままな姫では相手も見つからないのでしょうか?」

 と笑われてプチンと切れた。



「本当に、許さないわ!」

 王女は悔しそうな顔をする。

「ドレスの事だって、絶対に嫌がらせだったのよ!」

 それを聞いてエマもドレス事件を思い出した。


 ドレス事件とはレイチェルが来てすぐに、王族のみでレイチェルを歓迎する食事会を開いた時のことだ。

 通常は出席する女性のドレスの色が被らないように事前に調整する。

 身分の高い人から自分のドレスの色を決めて、女官経由で他の女性に伝えていくのだ。


 今回一番優先されるのは客であるレイチェルで、ついで王妃。パトリシアは最後になる。

 パトリシアは、誰とも被らない色のドレスを選んで、それはエマも確認した。

 だけど当日のレイチェルとパトリシアのドレスは同じ色で、パトリシアは王妃から怒られてしまった。エマも王妃から呼び出しを受け、直々に注意を受けた。


 パトリシアの名誉のためにエマはきちんと弁解した。

 王女はメチャクチャなところはあるけど、やるときはちゃんとする。大事な場面ではきちんと礼儀を弁えて行動する。今回もきちんとドレスの確認をした事をはっきりと説明した。


 王妃の呼び出しがあることを知って、同行していたルークはエマを見た。

「君、ちゃんと確認した?」

「もちろん。何度も確認したわよ」

 ルークは考えた後で、口を開く。

「向こうの女官にも話を聞いてみましょうか」

 王妃がルークを諌めるように見た。

「やめましょう。今は結婚前の大事な時だから」

 事を荒立てたくないと言う王妃の気持ちが透けて見えて、二人はため息をついた。

 結局、この話はこれで終わり、誰もがわがままなパトリシアがうっかりドレスを間違えたと思っている。



「あの人、本当に性悪よ」

 パトリシアは机を叩いた。

「私が邪魔だから、嫌がらせしているのよ」

「確かに王女がずっとこの国にいたら嫌ですよね」


 パトリシアがずっとこの国にいるのは嫁としては嫌だろう。早く結婚して、できれば遠い国に行ってもらうと助かる。

 つい同意したら、王女は嫌な顔をした。

「エマまでそんなことを言うのね!」

 王女はエマを睨みつけた。

「エマだっていいの?あの女、ルークにも色目を使っていたじゃない!私は見たわよ」

 エマは顔を曇らせた。


 レイチェルがこの国に来てすぐの頃、ルークがレイチェルに王宮を案内した。

 そこでレイチェルはルークが気に入ったのか、その後もルークに声をかけたり、直接仕事を頼むこともある。

 あんなにたくさん女官を連れているのに、だ。

 文句を言う権利はエマにないし、皇太子妃になる女性に頼られるのは名誉なことでもある。


 だけど、気になるのは………レイチェルの様子だ。

 二人の距離があまりにも近いように思えてしまう。

 触らなくてもいいのに腕に触れて、小声でなくてもいいのに顔を寄せる。


 レイチェルの体は出るところは出て、しまっているところはしまっている女性らしい体つきで、つい、エマは自分の薄っぺらい体と比較してしまう。


 いやいや、女性は中身だって。

 そう自分を慰めるけれど、見た目も中身も特別良い訳でもないエマは落ち着かない。



「お兄さまをおいて、あいつに色目使うとか、人を見る目が腐っているわよ」

 王女は鼻を鳴らした。

「お兄さまがあの女と上手くいっていないのがせめてもの救いよ。婚約解消になればいいのに」

 ひどい事を言っているが、あり得ない話でもない。


 周りから見ても皇太子とレイチェルの間は、上手くいっていない。

 皇太子はほとんどレイチェルと話さないし、会う機会も最低限にしようと思っているように見える。そんな気配を察したのか、最初は皇太子にべったりだったレイチェルも今は近寄らない。

 その様子は見ていて心配になるほどだった。



 王女はテーブルの上の焼き菓子を口いっぱいに頬張った。

「もう絶対に許せない」

「あの方とはあまり会わないようにしましょう」

 エマの言葉に、パトリシアは腕を組んでエマを見た。

「ダメよ。明日の朝の会にレイチェルを招待したから、お願いね」

「は?」

 エマが聞き直すと、王女は大きく頷いた。

「悔しいから言ってやったのよ。私たちは毎朝お茶会をしているけど、あなたとお兄さまが結婚しても続けますからねって」

「どうしてそんなことを言ったのですか?」


 あの時以来、朝の会はほとんどやっていない。

 たまに開いても、どことなく空気はギスギスしていて、以前のような楽しさはない。

 そんなところにレイチェルが来ても、誰も喜ばない。


「だって、あの人が私のこと馬鹿にするから。私とお兄さまの仲の良さを見せてやろうと思って。エマにだっていい機会よ。いつものように、あなたたちのことを見せつけてやりなさいよ」

「別に私たちは見せつけて無いです」

 即座にエマが否定すると、王女は嫌そうな顔をした。

「いつもうっとおしいくらいベタベタしているくせに何を言っているのよ」

 とりあえず、と王女は手を叩いた。

「明日、よろしくね。頼むわよ」

 もう避けることはできないと、エマはため息をついた。



 予定通り、レイチェルはお茶会に登場した。

 朝から完璧に装ったレイチェルの姿は美しくて、見惚れてしまうほどだった。


 だけど、準備は大変だった。

 エマは気合を入れて、お茶もお菓子もレイチェルの好みに合わせて文句のないようにした。


 身近な人の小さな会と伝えたはずなのに、レイチェルはたくさんの護衛を連れていて、そのせいで部屋の中にはなんとも言えない圧があった。

 ソファに座った皇太子の正面にレイチェル、いつも座っているソファをレイチェルに譲った形のパトリシアは普段エマとルークの座るソファに一人で座った。

 エマとルークはソファから少し離れたところに立つ。

 だけど、後ろからレイチェルの護衛に見張られているようで、落ち着かない。


 王女は護衛を見て尖った声を出す。

「こんなに人がいると落ち着かないわ」

 レイチェルは困った顔をする。

「でも、私は人見知りで……ここではひとりぼっちですから、このくらい許してはもらえないでしょうか?」

 俯いて頼りなげにいう姿は、周りの同情を十分に集める。

 だけど苛立ったようにパトリシアが言い返す。

「私たちは信頼されていないってことかしら」

「慣れない場所で何かあったらと心配で……やっぱり一人では心細くて」

「私たちが何かするって言いたいのですか?」

「そんな……せめて護衛騎士くらい、近くに置かせてはもらえないでしょうか」

 俯くレイチェルに言い返すパトリシアを見て、エマは頭を抱えた。


 これでは王女が悪者になる。

 どう見てもレイチェルの方が上手だ。


 レイチェルが皇太子をねだるように見て、ため息まじりに皇太子が許可すると、レイチェルは途端に満面の笑みになる。

「ありがとう存じます。皇太子様の優しさに感動いたしますわ」

 大袈裟に言ってチラリとパトリシアを見る。


 その横顔は勝ち誇ったようで、確かに意地悪なものが感じられる。

 エマは王女が言っていた事を理解した。


 じっとレイチェルを見ていると、こっそり腕を突かれた。

 ルークがエマの耳元で話しかける。

「あの二人、何かあった?」

「実は……」

 そこで二人の間に割り込むように声がかかった。


「お二人はとても仲がいいんですね」


 顔を上げるとレイチェルの護衛騎士がじっと二人を見ていた。

 エマと目があってにこりと人好きのする微笑みを浮かべと

「初めまして、レイチェル様の護衛騎士のロビン・キャンベルです」

 そう言ってエマの前に手を差し出してきた。


 エマもその人には覚えがあった。

 レイチェルの護衛騎士で、王女の一番近くにいる、おそらく最重要人物だ。


 長身に騎士らしいしっかりとした体つきに精悍な顔つきをしていた。


 その手を取るべきか考えていると、先にロビンがエマの手をとって、その指に唇を寄せた。

 長めの茶色い前髪から覗く色素の薄い瞳が、じっとエマを見つめる。

 貴族的な挨拶に慣れていないエマはこう言ったことに弱い。

 だからつい、エマは動揺してしまう。


 ロビンはエマの手に唇をつける寸前で止めるとそのままにっこりと笑った。

 その姿は少しわざとらしく、こうしたら女性が喜ぶだろうと思わせるようなものだった。


 きっとこうして爽やかに微笑まれて、恥じらう女性は多いのだろう。

 その証拠にエマだって警戒しながらも、顔が赤くなってしまう。

 なんというか、自分の売り込み方をよく知っている。



 すぐにロビンは視線を外して、隣のルークに笑顔を向けた。

「すみません。エマ様に声をかけるには、ルーク様の許可が必要でしたか?」

 その言い方と笑顔に多少のトゲを感じた。

 だけどルークは口を歪めて笑っただけだった。


 ロビンはそんなルークには構うことなく、笑顔で話し続ける。

「この国にはたくさん魔術師がいて羨ましいです」

「そうでしょうか」

「我が国には魔術師が少なくて……ですから良い魔術師は喉から手が出るほど欲しいのです」

 そうなのか、とエマが考えていると、ロビンがエマを見て笑った。

「エマ様は魔法学校をとても優秀な成績で卒業されたそうですね」

「……いや、そんなことはありませんよ」


 どうせ隣のルークのせいで万年二位でしたけど。

 思い出して苦い顔で答えると、ロビンは大袈裟なくらい驚いた顔をする。

「いえいえ、とても優秀だったと聞きました。素晴らしいですね。この国では無理でも、我が国ならきっとその力を活かして活躍できますよ」

「はあ」


 褒められ慣れていないエマは、こう言う時どうしていいのかわからない。

 だから曖昧に返事するとロビンがエマを見て笑った。

「この国にいては勿体無いですから、よければ我が国に来てください。魔術師として活躍できる場所がたくさんあります」

「そうは言っても……」

 エマは適当に返事をしたけれど、ロビンは熱心に勧誘してきた。


「我が国はとてもいいところです。きっとエマ様に気に入ってもらえます。もし来るのなら、魔術師の仕事だけでなく、私生活も全力でサポートします。必要なものはなんでも準備しましょう。希望されるのなら……幸せな家庭も」

「幸せな家庭?」

 思わずエマが首を傾げると、グッと腕を引かれて、エマとロビンの間にルークが体を滑り混ませた。

 ルークは強い瞳でロビンを見ている。


「からかうのはそこまでにしてください」

 硬い声のルークにロビンはあくまでも朗らかだった。

「冗談ではないですよ」

「エマはこの国でも大切な人間ですので、国外に出すつもりはありません」

「大切なのは、ルーク様にとって……ではないですか?」

 からかうように笑うロビンを、ルークは刺すような冷たい視線で見つめ返した。

 それを楽しそうに見ていたロビンは、スッと体を後退させた。

「これ以上は本気で怒らせてしまいそうなので、やめておきます」

 ロビンがおかしそうに笑うと、ルークが体を硬らせた。

 咄嗟にエマがルークのローブを掴んだ時、皇太子の声がした。



「ルーク、時間だ。行こう」


 振り返ると皇太子がじっとこっちを見ていた。

 ルークとロビンと、最後にエマを見て、もう一度言う。

「行こう」

 そうして体を翻すとドアへ向かう。

 ルークが心配そうにエマを見ていたけど、エマがそっと頷くと、ルークは皇太子を追って出て行った。


 その後ろ姿を見ていると、今度はレイチェルの声がした。

「ロビン、私たちも戻りましょうか」

 ぎこちない空気には気がついているはずなのに、いつもように微笑みながらレイチェルが声をかけると、ロビンはその隣に寄り添って、スッとその背に手を当てた。


 それを見て、エマはちょっとした違和感を感じた。


 だけど、その時エマをじっと見つめるレイチェルと視線があった。

「では失礼します」

 そう言って、レイチェルはロビンとたくさんの護衛を連れて部屋を出た。



 レイチェルが出ていくと、パトリシアがエマに抱きついてきた。

「悔しい!また、やられた」

「ど、どうしたんですか?」

 パトリシアは見ていられないほど顔を歪めた。

「あいつ、遠回しにこの国の生活がつまらないって言ってきたのよ。ずっと王宮にいて、閉じ込められてつまらないって!」

「え?」

「お兄様が困って、今度お出かけを予定するって言っていたけど、失礼にも程があるわよ!」

 確かに普通ならあり得ない発言だ。

 もてなしてもらっていないと不満を言っている事になる。


 エマは考え込む。

 婚約者の国に来てやる態度ではない。

 こんなことをしていたら、きっと早い段階でレイチェルはこの国で嫌われてしまう。


 何が目的なのだろう。


 エマのことをパトリシアがバシッと叩いた。

「エマは何を話していたの?」

「え、ああ。うちの国はいいところだから、ぜひきてくださいって」

「え?あの女の護衛が?」

「必要な物は全て用意するからって。でも、家とか家庭とか準備されても微妙ですよね」

 エマがそう言って笑うと、反対に王女は顔を真っ青にした。

「え、家庭?そんなことルークの前で言ったの?」

「はい」

「命知らず……」


 王女はいつも自分が座るソファを掃除するように女官に言うと、皇太子が座っていたソファに座る。

 そして泣きそうな目でエマを見つめた。

「私、エマがいないとだめ」

「え?」

 パトリシアはエマの袖をグッと掴んだ。

「一人ではあの女に勝てない。だから一緒に戦って、エマ」

「え?戦う?」

「そうよ、私のこと、助けてよね、エマ」

「助けるって」


 エマには荷が重い。

 それに二人で戦うのは限界がある。


 だけど王女はエマの手を掴んだ。

「お願い、エマ」


 エマはため息をついた。

 今までもこうして王女に頼まれて嫌と言えずに、巻き込まれている。


 なんだか嫌な予感がした。




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