第35話 知られてもいい秘密
あまりにも予想外の質問に、エマは戸惑っていた。
その答えなんて、わからない。
だけど皇太子の目がなんでも見通すようにエマを見るから
ごまかせないことがわかって、どうしていいかわからなくなる。
あの時、ルークがいろんな犠牲と引き換えにエマを助けてくれたのを知っている。
その全部をルークはエマには教えてくれない。
それはつまり、大変なことも面倒なこともあったってことだと思う。
でも、それを気にしてエマがルークのそばにいるわけではない。
エマとルークの間には、今まで一緒にいた時間で育った何かがあるとエマは思っている。それが、エマをルークのそばにいたいと思わせるのだ。
もし、あの時助けてくれた人がルークではなかったとして、その人が自分の隣に当たり前のようにいるところなんて想像できない。
むしろ、あの時、エマはルーク以外の人が助けてくれるなんて、考えてもいなかった。
助けてくれるのは絶対にルークだと、どこかで信じていた。
「エマ?」
皇太子の声がして、エマは首を降って視線を落とした。
「そんなの……わからないです」
すると、困ったような声が降ってきた。
「ごめん。困らせたね」
「……いえ」
正直なことを言えばとても困っている。
今日の皇太子はとても、あり得ないくらい変だ。
「怒っている?」
繋がれた手を軽く引かれた。
ほんの少し視線を上げるだけで、その顔はとても近くにあった。
青い瞳がじっとエマを見つめる。
その目には気遣いが見えているから、エマは冷たく拒絶できない。
「……怒ってはいないですけど」
「けど?」
「……困ってはいます」
目をそらしたら、皇太子が困ったように眉を寄せた。
「ごめん。だから機嫌を直して」
そう言うくせに、手は放してくれない。
それがとても居心地が悪くて、エマは苦い顔になる。
「あの…」
エマは俯いたまま、自分の手を引こうとした。
だけど、それはびくともしない。
「何?」
「手を……」
気がついていない皇太子に、エマは手を引くことで訴えてみたけれど、わかってもらえないようだった。
繋がれたままの手を見ながら、どうしようと思っていると、皇太子が笑った気配がした。
「手を繋ぐのは、嫌なの?」
「あ、いや。そう言うわけでは……」
またしても返事に困るエマは、言葉を濁す。
「私と手を繋いだことを知ったら、ルークは怒る?」
エマの顔を、皇太子が覗き込んだ。
その瞳がまた真剣な色を帯びている。
「今日のことは、ルークに話すの?」
「え?」
皇太子は親指でエマの手のひらをそっと撫でた。
それにエマの背中がぞくりとした。
「このことを、ルークに話す?」
正直な話、ルークには話したくない。
言ったら、多分……いや、絶対にルークが不機嫌になる気がした。
だけど、それがまた皇太子との秘密になるのは、もっと嫌だった。
こんな風にどんどんルークに言えないことが増えてしまう。
隠し事やごまかしを自分とルークの間に入れたくない。
だってエマとルークはずっと本音をぶつけ合ってきたから。
身分とかしがらみとか関係なく、側にいた。
いつも正直で対等でいたからこそ、今の関係があると思う。
秘密が増えていったら、その関係も壊れてしまう気がした。
そして、エマは今のルークとの関係は絶対に失いたくない。
失いたくないのが、この関係なのか、それともルーク自身なのか、その両方なのか……それはわからない。
でも、失いたくないことは決まっている。
大切なのだ。
言葉で言えないくらい。
「あ、あの……」
エマが声を出すと、皇太子がじっとエマを見つめた。
そしてエマの言葉をかき消すように口を開いた。
「私はね」
皇太子はエマを見つめた。
「私はルークに知られても、構わないよ」
エマは息を飲んだ。
驚くエマと反対に、皇太子は顔色一つ変えていなかった。
「だから、このことをルークに言っても、いいよ」
心臓が壊れるかと思うほど、強く鳴った。
わざわざルークとの間に亀裂が生まれるようなことを言わなくてもいい。
でも、逆に言えば、そうまでして、このことを伝えたいと言うことにもなる。
それは、なぜ?
ここから逃げたいのに、エマは皇太子から目が離せなかった。
エマをずっと見つめていた皇太子は、しばらくして目を逸らせた。その横顔が悲しそうに歪む。
「でも、もしルークに話したら、ルークが君をどこかに閉じ込めてしまうかもしれないね」
皇太子はふっと笑った。
「エマに会えなくなるのは嫌だから、これもやっぱり秘密にしようか」
その目が挑むようにエマを見て、そして繋がれた指に力を込められた。
その力は強くて、まるでエマが放すのを許さないと伝えるようだった。
エマはずっと、皇太子は年齢よりも落ち着いた大人の男性だと思っていた。
いつも静かで、大きく感情を乱すことはない。
それはつまり、何かに激しく心を揺さぶられることもないと言うことで。
だから、皇太子はどちらかといえば冷めた人間だと思っていた。
だけど今、エマの手を握る皇太子の手はとても熱かった。
そしてその深い蒼い瞳には、強い感情が溢れていた。
この人は、本当はとても熱い人なのかもしれない。
そう思った。
それからしばらく、皇太子はエマの手を放さなかった。
そばにいた護衛がとても言いにくそうに仕事だと呼びにくるまで、エマの手を握っていた。
******
その日の夜、ルークはいつものようにエマの部屋にやってきた。
もうそろそろ眠る時間だからロキを連れて行くのかと思ったら、ルークは迷いなくエマが座るソファまで歩いてきて、黙ってエマの隣に座った。
「どうしたの?」
「ちょっと疲れた。休ませて」
そういうとエマの膝に頭を乗せて、ごろんとソファに横になった。
いつの頃か忘れたけど、こうしてエマの膝に頭を乗せて横になるのを、ルークは好んでやるようになった。
そのまま長い時間、エマの膝の上で過ごすこともある。
一度その姿を見たハンナが、お行儀が悪いと顔をしかめても、ルークはやめなかった。
エマも別に嫌いではない。
一度ルークが本気で眠ってしまったことがあって、その時は起こしていいのか、寝かせておいた方がいいのか困ったけれど、嫌だと思ったことはない。
ちょっと重い時もあるけど、どちらかというとその時間は好きだったかもしれない。
だってルークがとてもリラックスしているから、
その顔がとても穏やかで、いい表情だから、だからエマもつい、これでいいと思ってしまう。
だけど、今日はいつもと違った。
ルークは顔を天井に向けると指を伸ばして、下ろしたままのエマの髪の毛を指に絡めて遊び出した。
髪を下ろした姿をルークは気に入っているのか、こうしていることは多い。
だから今日も、エマはその様子を見つめていた。
そこで初めてルークの手をしっかりと見た。
ルークの指は細くて、長くて……。
昼間見た皇太子の手とは、全く違った。
そんな事を考えていると、ふとルークと視線があった。
その目が真っ直ぐだから、エマはつい動揺してしまった。
「ど、どうしたの?」
「いや、別に」
どうしてだか気まずい思いがして、エマは焦って口を開いた。
「疲れているって……忙しかったの?」
「そうかもしれないね」
ルークはあまり多くを語らなかったから、エマも黙り込んだ。
普段のルークはエマの膝の上でもっとくつろいだ気配を出すのに、今はそんな感じが全くない。
そのせいか、なんだか居心地が悪い。
くい、と髪の毛を引かれて驚いて見下ろすと、ルークと目があった。
その目がじっと……まるでエマの心の中まで見通すように見るから、エマはドキッとする。
「あ、あの…」
反射的に口を開くと、ルークが急に体の向きを変えてエマのお腹に自分の顔を押し付けた。
ルークの手が背中に回って、強く引き寄せられる。
いつもにはない体制に、エマは戸惑う。
「え、と……ルーク……」
戸惑うエマのお腹に額をつけて、ルークは大きなため息を吐いた。
「君、なにか僕に言うこと、ない?」
エマは心臓が止まるかと思うほど、驚いた。
ルークに言うべきことって、あれしかない。
そう、皇太子との一番新しい話。
今日の昼間のこと。
「話すこと、ない?」
ものすごく悩んだ。
昼間のことも、話してしまいたかった。
だけど話したことで、皇太子とルークの間が悪くなったらどうしようと考えてしまう。
「あ、あの」
「うん」
エマはそっとルークの頭に手を置いた。
「話したいけど、今はまだ無理っていうか……」
「は?なにそれ」
「私の勘違いかもしれないから、まだルークには言えないっていうか」
もちろん話してしまいたい。
だけど、どう考えても最近の皇太子はおかしい。
多分、結婚の話などで忙しくて、そのせいではないかと思う。
だから、わざわざルークに話してことを大きくするべきではないと思う。
あと少しでいろんな事が落ち着いたら、そうしたら皇太子も元に戻るだろう。
「あの、話すけど、それは今ではないというか……」
突然、ルークが体を起こした。
目の前にルークの顔が来てエマをじっと見つめる。
だけど、いつもの澄んだ青い瞳からはなんの感情も読み取れない。
ルークはそのまま間近でエマの目を見ると、口を開いた。
「完全に秘密にするつもりじゃないなら、いい」
それはどう言うことなのだろう。
ルークは驚くエマの体を両腕でふわりと包んだ。
「君が話してくれるのを、待つことにする」
そのくせ、ものすごく我慢しているような声で言うから、エマはとても苦しくなる。
背中に回ったルークの手に、ぎゅうと力が入った。
エマの頭にルークがコツンと額を当てて、大きなため息をつく。
「あ、あの……」
「今、僕はとても悩んでいる」
「なにを?」
ルークはエマの頭に頬をすり寄せた。
「君に魔法をかけるか、迷っている」
「……どんな?」
「君がこの家から出られなくなる魔法、もしくはこの家を出たら他の人から姿が見えなくなる魔法」
「ええ?」
恐ろしい魔法だと思って、驚いてルークの顔を見つめたら、ルークは困ったように笑った。
「嘘だよ」
エマはホッとして息を吐いた。
そんな恐ろしい魔法があるなんて知らなかった。
「そ、そうよね。そんな魔法、存在しないわよね」
だけどルークは真剣な顔になった。
「いや。あるよ」
「え?」
「やったことはないけど、一度本で読んだことがある。だから……多分できる」
一度読んだだけで、何でもできる優秀な頭脳が羨ましいけれど、こんな時ばかりはやめてほしい。
じとっとルークを見ると、ルークは苦笑いした。
「でも、それは君が嫌がるだろうから、やりたくない」
その時のルークの顔はとても悩んでいることが伝わるようなものだった。
だから、もしかしたらこの人は本当にやるつもりだったのかもしれないと思った。
エマは慌てて首を振る。
「わ、私。変なことはしないから。その……」
「わかっているよ」
「ちゃんと、する。ただ、真面目にやっていても、時々おかしなことがあるというか。昔からそういう時があるんだけど、余計混乱するというか」
「……知ってる」
ルークが私の額に自分の額を当てた。
頭を左右に振って、息を吐く。
「僕は誰より君のことをわかっているつもりだよ。だからこそ、心配なんだけど」
もう一度、大きなため息を吐いた。
「でも、そんな危なっかしい君の事をちゃんと守れるのは僕だけだと思っている」
「うん」
そっとルークの背中に手を添えた。
目を閉じたルークがエマの肩にもたれかかる。
「それでも時々、不安でたまらないんだ」
それからしばらく、ルークはエマのことを抱きしめたままでいた。
近くにいるのに、エマはものすごく不安でたまらなかった。
その数日後、皇太子と隣国の王女の婚約が正式に内定した。
そして隣国の王女が、この国にやってくることが決まった。
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