第29話 とても意味のある、失いたくないもの

 ダフネ・ハントは人形のように可愛らしい格好をしていた。

 フリルとレースをふんだんに使ったドレスは、少し幼く見えるけれど、ダフネによく似合っていた。髪は綺麗にまとめて、首には大きな石のネックレスをしている。

 今日のためにかなり前から準備をして、おしゃれしてきたと誰がみてもわかる格好だった。


 だけどその顔は可愛い格好にはそぐわないものだった。

 顔を真っ赤にして、じっとエマを睨みつけたダフネの様子に、周りの人が怪訝な顔をする。このままここで話をするのは難しいと判断して、エマはダフネを連れて会場を出た。

 舞踏会の会場で大声で騒ぎ立てられても困る。


 廊下に出ると、警護のために廊下に立っていた騎士が、何かを感じたのか、エマに視線を向ける。エマに大丈夫かと問いかけるような騎士に、エマは笑顔で頷いた。

 大騒ぎになって周りに迷惑をかけるわけにはいかない。


 人に知られないように、二人で話して終わらせたかった。


 それに……

 今回はエマの知らない所で全部ルークが動いていた。

 でも、今回の始まりは、あの外出の時に判断ミスをした自分だとエマは思う。

 自分と王女を助けるために無理をした、いわば巻き込まれたルークが一人でその後始末をつけるのは違う。

 動くべきは自分だと、エマは思っている。

 いつまでもルークに守ってもらう訳にはいかない。


 ここは私ひとりでなんとかしないといけない。

 強い決意を胸に、エマはぎゅっと手を握りしめた。



 会場を出ると廊下から庭園におりる。両側に綺麗な花が植えられた道を歩くと、庭の真ん中に噴水があって、そこでエマは立ち止まった。

 会場の賑やかな声もわずかに聞こえるだけで、ここなら会場からも遠いし、ダフネが騒いでも大丈夫だろうと思った。



 振り返るとダフネが眉を寄せてエマを睨んでいる。

 だけど睨んでいるのに、泣きそうにも見えた。

 ダフネはエマに向かって足を踏み出すと、うわずった声を出した。


「どういうことよ」

「どういうって……」

「どうしてあなたとルーク様が踊っているのよ」

 ダフネは首を振った。エマは話して聞かせるような声を出した。


「それは、ルークが決めることだから」

「違う!私と踊るって言っていたのよ!ルーク様と踊るのは私だけのはずなのに!どうしてあなたが踊るの?それに……どうして今日はあんなにたくさんの人と踊っているの?」

 エマはため息をついた。

「ルークはあなただけとは言っていないはず」

「嘘よ。勝手なこと言わないで」

 ダフネは首を振ってエマの言葉を否定する。


 息を吐いて、エマは口を開いた。

「あなたのお父様は、ルークに無理を言ってダンスの相手を頼んだのよ。だからこれは、ルークが望んだことではないの」

「そんなことない」

 エマは首を振った。

「信じられないかもしれないけれど、そうなの。あなたのお父様はずるい手を使ったのよ」

「そんなことない!」

 認めようとしないダフネにエマはため息をついた。


 きっとダフネは父親にルークと踊りたいとわがままを言っただけで、ルークと直接話してはいない。

 だから、父親がルークに何をしたか……知らないのだろう。

 父親がどんな風にダフネに説明したかはわからない。

 でもダフネは父親を信じて、素直に喜んだだけなのだ。


 エマは思わず顔を歪めた。

 それはとても、悲しいことのような気がした。



 顔を上げるとダフネと視線が合う。

 ダフネは大きな声を上げた。

「なによ。あなた、今、私のことを笑ったでしょう」

 そのとんでもない言いがかりにエマは驚いた。

「笑ってないわ」

「嘘、笑ったわ。私のこと馬鹿にしているんでしょう」

 半泣きになったダフネはエマに詰め寄った。

 その普通ではない様子に、エマはまずいと焦る。

 足を後ろにずらして逃げても、ダフネはさらに距離を詰めてくる。

 エマの足が噴水の淵に触れた。


 これ以上は逃げられないところまで追い詰められてしまった。

 エマは焦る。


 ダフネはもう冷静ではない。

 傷つけられることはないと思うけれど、目が据わっているので、何かされないとも限らない。

 思わず恐怖を感じた。


 エマはチラリと舞踏会の会場を見る。

 だけどそこは遠くて、助けを呼ぶには遠すぎる。

 二人だけでこんなところまで来てしまったことを後悔する。


「自分が選ばれたと思って、いい気にならないでよ」

 選ばれた人間の顔をしろとルークに言われてダンスはしたけれど、自分でもそう思っているわけではない。

 もしダフネがそう思ったなら、ルークの狙いは当たった事になる。

 けれど、この場合はよくない方向にしか働かない。


「あそこにいるのは私の予定だったのに。あなたが私から奪ったのよ」

 ダフネがエマの体を突いた。

 その強さに思わず体のバランスを崩す。

「あなたがいなければ……全部上手くいったのに!」


 エマは急いでダフネから離れようとしたけれど、その前にダフネがエマの腕を掴んだ。

 エマの腕から手を離して、ダフネがさらに手を伸ばしてくる。

「ちょっと…何を」

 ダフネの手が掴もうとしているものを見て、エマは目を見張る。

 さっき、ルークがつけてくれた、お揃いのバラだった。


 咄嗟にエマは体を捩る。

 どうしてもそれを取られたくないと思った。


 これをつけてくれた時のルークの真剣な目とか、長い指とか

 それをつけて満足そうに笑った顔とか

 そんなことが一気に思い出されて、取られたくないって思ってしまった。


 これはただのバラだとか、別にこれがなくなったからって困らないとか

 いろんな考えが浮かんだけれど……でも、ダメだった。

 だって、これはルークがくれたものだから。


 ただの花じゃない。

 少なくてもエマにとっては、とても意味のある、失いたくないものだった。

 だから、取られたくなかった。



「こんなのつけて、自慢げに歩かないで」

「やめて」

「これは私のものよ」

 エマに向かって勢いよく伸ばしされたダフネの腕が、さらに大きくエマの体を勢い良く突き飛ばした。


 今度こそ大きくバランスを崩したエマは、後ろの噴水に向かって体が傾く。


「あなたがいなければ……!」


 そんな声とともに、ダフネがエマの体をもう一度押した。


「え?」

 エマの口から小さな悲鳴が漏れた。


 目の前にダフネがいて、だけど彼女は落ちていくエマをただ黙って見つめていた。


 掴むものを求めて伸ばしたエマの手は、虚しく空を切った。

 体が大きく沈むのがわかった。


 落ちる。

 あと少しで噴水に落ちることを覚悟して、エマは目を瞑った。



「エマ!」


 その時、懐かしい声がして、エマの手がぐいっと引かれた。

 体が宙に浮くような感覚と、体が強く引っ張られるのを感じたすぐ後に、

 ……エマは誰かに抱きしめられた。



「間に…あった…」


 エマを抱きしめて大きく息を吐いたのは…

「……ルーク」

 ルークは息を吐くと、目を閉じてエマの体を強く引き寄せる。


「間に合わないかと思った…」

 苦しそうに息を吐きながら、確かめるように、手でエマの頭を自分の肩に押し付けた。

「よかった……」

 横目で見ると、ルークの額には汗が浮かんでいた。

 エマはそっと手を伸ばしてルークに触れようとして、その手が見てわかるほど震えているのが見えた。


「彼が、何かおかしいって呼びに来てくれて……」

 ルークが後ろを見てそこにさっきドアのところで会った護衛がいるのが見えた。

「よかった。間に合って」

「ルーク」

 ホッとしたせいか、じわっと涙が浮かんだ。

 エマの体制を整えると、ルークは息を吐いた。

 そうして確かめるように、もう一度エマをぎゅっと抱きしめると、顔を上げた。


 ルークはエマの体に手を回したまま、ダフネに顔を向ける。

 その顔は優しさが感じられない、冷たいものだった。


「君……自分が何をしたか、わかっている?」

 ダフネは真っ青な顔で、じっとルークを見ている。

「や…約束が違う」

「僕は約束なんかしていない。君のお父様が僕を脅迫しただけだ」

「嘘よ!ルーク様が私と踊るって約束なのに、どうしてその人と踊るの?……私と約束しているのに」

 ルークは首を振った。

「僕は君と踊る約束はしたけど、最初に君と踊るとも、他の人と踊らないとも言っていない。だから君に責められることじゃない」

 エマの体に回した手を離すと、そのままエマの手を握った。

「でも、……もうその約束は無しだ」


 ダフネの顔が弾かれたようにルークへ向けられる。

 ルークはとても静かな顔で、ダフネを見つめ返した。


「君は僕の大切な人を傷つけようとした。だから僕は絶対に君を許さない」


 ダフネはルークの腕に縋りついた。

「いやよ。どうして?お願い」

「離してくれ」

「いや、絶対離さない」

 ルークはダフネの手を外すと、じっとダフネを見下ろした。


 縋るように見つめるダフネをルークはこれ以上ないくらい冷たい顔で見た。

 この人がこんなに冷たい顔をするなんて思わなくて、エマは驚いた。


「離してくれないか」


 その冷たさに、空気が凍るような気がした。

 ダフネが目を見張って、それから少ししてその手がルークから離れていく。

 その顔はもう色を失って、泣く寸前だった。


 それを見て、ルークが騎士に顔を向ける。

「君、彼女を連れて行って」

「かしこまりました」

「ま、まって、私は何もしてない」

 それに、ルークは大きな息を吐いた。

「今回のことは罪には問わない。だけど、今日はもう帰ってくれ。君の顔は見たくない」

 騎士がダフネの腕と背中に手を当てて逃げられないように拘束して、その場から連行しようとする。

 ダフネはもう諦めたのか、大人しく歩き出した。


「そうだ。ダフネ・ハント」


 ルークが思い出したように口を開いた。

 ダフネがゆっくりと振り返る。ルークは横目でダフネを見た。


「君の家の領地で不正があったという報告があった。証拠も見つかっている。今週には会議で君の父上に処罰が下る」

「え……」

「父上にも伝えておくといい」

 それだけいうと、ルークは騎士に合図を送った。

 騎士は頷いて、そのままダフネを連れていった。



 その後ろ姿を見ながらエマはルークに尋ねた。

「ダフネのお父様の処罰って……」

 ルークはきっちり整えられた髪の毛に手を当てた。

「領地の作物の生産量を過少申告して、その差額を自分達の懐に入れていた。元から噂があったけど、たまたまそれをちゃんと調べただけだ。……思ったより時間がかかったけど、数日前にようやく話がまとまった」

 それを聞いて、だから最近のルークは忙しかったのかと理解した。


 今度はルークがエマを責めるような眼で見た。


「それより、君、何?」

「え?」

「一人でなんとかしようとか、やめてくれない?」

 言い返そうとして、だけど、あの時息を切らせて駆け寄ってきたルークを思い出したら、文句は言えなかった。


 どう見ても、誰が見ても

 あの時のルークは必死だった。


「ごめんなさい」

「それから、君は魔術師なんだから、魔法でなんとかできない?君、成績は良かったんだから、何かできないの?」

「あ……確かにそうか」

 考えなかったけれど、自己防衛の魔法とかあったかもしれない。

 すっかり自分が魔術師であったことなんて、忘れていた。


 だけど、そこでエマはもう一つの事実に気がついた。


「じゃあ、ルークだって魔法を使えば良かったじゃない。急いで走らなくても、魔法ならもっと楽にできたかもよ。あなたの方が私よりずっと魔法が得意なんだから」

 確かにそうだ。ルークはエマよりも魔法がうまいのだから、走ってエマを助ける以外に、魔法でもっと簡単になんとかできたかもしれない。


 それを聞いて、ルークは本当に嫌な顔をした。


「うるさい」

「どうして魔法を使わなかったの?」

 自分のことを棚に上げてエマが聞くと、ルークは気まずそうに顔を逸らせた。

「……君が溺れるかもって思ったら、何も考えられなかった」

「え?どう言うこと?」

「……手を伸ばすことしかできなかったんだよ。悪い?」

 不貞腐れた顔をするルークを見て、思わずエマは固まった。


 使い慣れた魔法よりも、自分の手で守ってくれたことにじわりと胸が熱くなる。

 それをとても嬉しく感じた。


 いま、自分がとても嬉しそうな顔をしていることを、エマ自身もわかっている。

 その笑顔のまま、ルークを見上げた。


「悪くない」

 笑ったエマをルークは苦い顔で見つめ返した。



 だけど、ルークはすぐに何かに気がついたようにエマの手を引いた。


「まずい、急いで戻ろう」

 舞踏会の会場に向かって走ろうとするルークにエマは驚いた。

「何?何かあるの?」

 ルークは当たり前と言う顔で振り返る。

「もうすぐ最後のダンスの時間になる。急がないと間に合わない」

「え?それ、もういいんじゃない?」


 あれはダフネに対抗するためにやったことだ。

 だから全てが片付いた今、二人が踊る必要もないことになる。


 だけど、ルークは思い切り嫌そうな顔になった。


「約束しただろ?最初と最後のダンスは君と踊るって」

「したけど……」

「約束は破りたくないんだ。特に今日は」

「どうして?」

 ルークはほんの少し目線を上に上げて、それからエマを振り返った。

 エマの胸元のバラを指でつつく。


「君が一生懸命、これを守ってくれたから」


 そうしてエマを見て、指でエマのおでこを弾いた。


「だから、今日は絶対にもう一度君と踊る」


 エマは言い返せなかった。

 あれを見られていたのかと、気まずくなって、

 だけど、なんだか泣きそうになって、慌てて口を引き結んだ。


 そんなエマを見て、ルークは笑った。


「ほら、いくよ」


 ルークが繋いだ手を強く引くから、エマは仕方なく走り出した。




 そうしてエマとルークは今日2回目のダンスを踊った。


 今日1回目のダンスよりも2回目はもっと上手く踊れた。

 そして、とても楽しかった。



 周りの人は普段ダンスなんてしないルークが今日はたくさんの令嬢とダンスをしたことに驚いて、

 それからエマとは2回も踊ったことにもっと驚いた。


 だけど、本当は二人が踊るのは、これが3回目になる。


 それを知る人は、他にはいないけれど。





 舞踏会が終わって、家に帰った。

 ドレスを脱いですっかりいつものスタイルに戻った。

 魔法が解けた後みたいに全てがいつも通りに戻った。

 いつもなら眠る時間だけど、色々あって気持ちがたかぶっていたせいか、眠気は全く起きなかった。



 隣の部屋で小さな物音がしたのが聞こえて、エマはそっと立ち上がると、隣へ続くドアに向かった。


 隣からかすかに物音が聞こえて、ルークもまだ起きているとわかった。



 少し迷った後で、エマは大きく深呼吸すると、

 勇気を出して、そのドアをノックした。






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