第28話 本当のこと
広い会場に国王と王妃が登場すると、大きな銅鑼が鳴って、舞踏会は始まった。
こういう場は初めてだからエマはヘイルズ家の人たちと一緒にいることにした。舞踏会ではまず、国王に挨拶するのが普通のようで、驚くことにヘイルズ家は数多くいる貴族の中で一番に国王に挨拶した。
格の違いに驚いたけれど、ゲイリーもエレノアも堂々とした様子で挨拶をしていて、その会話の内容も、王族と特に親しいことを感じさせるものだった。
後ろで黙っていると、エマを呼ぶ声がした。
「エマ、会えてよかった」
声のした方を見ると、パトリシアがエマに向かって笑顔で手を振っていた。
そういうパトリシアも、念入りにお化粧して着飾った今日は、見た目だけなら絵本から飛び出したように可愛らしい。
「エマ、素敵!今日はおしゃれしているのね」
今日は行動も王女仕様になっていて、いつもの様子と全く違う。
「そうですね……」
「エマ、来ないかと思って心配していたのよ。ねえ、お兄様」
王女は隣にいる皇太子に笑顔を向けた。
声をかけられた皇太子は顔をエマに向けると、じっとエマを見た。そうしてその目がエマの胸元に飾られたバラを見て、スッと細くなった。
本当にわずかな変化だから、誰も気がついていないと思う。
だけど、その一瞬、皇太子はエマの目を見た。
その目には落胆が見えた気がした。
それを隠すように、皇太子は視線をすぐに逸らせてしまったから、思わずエマは動揺する。
「ね、お兄様。エマ、とても素敵ね」
王女が腕をひくと、皇太子は口角を上げて笑った。今度こそエマを見て、それから当たり前のように隣にいるルークを見た。
「そうだね」
皇太子が何か言おうとしたところで、挨拶を終えたエレノアとゲイリーがその場を離れたから、ルークもエマの手を引いた。
「僕たちも行くよ」
「あ、はい」
その場を離れようとしたら、後ろから皇太子の声がした。
「エマ」
振り返ると、皇太子が手をあげてエマの胸元のバラを指差した。
「今日は私の出番はないようだね」
エマは思わず足を止めた。
「エマと踊れないのは残念だな」
それがいつもの皇太子の笑顔よりも、少し寂しそうに見えて、エマは息を飲んだ。
「あ、あの……」
口を開いた時、エマの手が前から引かれた。
ルークがじっとこっちを見ていた。
「エマは僕と踊ります。そう、決めました」
強い視線でルークが皇太子を見ると、二人の間の空気が少し張り詰めたような気がした。
ルークが珍しく強い視線で皇太子を見て、皇太子もそれをじっと受け止めていた。
だけど、すぐに皇太子は視線を逸らせて、ふっと口元を綻ばせた。
「そう。じゃあ、今日はルークにお願いするよ」
「今日だけじゃなくて、これからもずっと……です」
ルークの声が少し尖っている。だけど皇太子は気にしていないように笑った。
二人の顔を見ていると、エマの手がグッと前に引かれた。
顔を上げるとルークがエマを見つめた。
「行こう、エマ」
そう言ってルークはエマの手を引いてその場を離れた。
それから少ししたら、楽団がワルツを演奏し始めた。
その場にいた人たちが少しずつ前に出て、音楽に合わせて踊り始める。
「踊ろうか」
「でも……ちょっと」
「なに?」
エマは目線をあたりに動かした。つい俯いてしまう。
「あなた、すごく注目されているから……」
周りの女性たちはじっとルークを見ている。きっとルークが踊るのか、その相手がエマなのか、気にしているのがわかる。
こんなに素敵だったら、誰だって踊りたいと思うわよね。
気後れしてしまうエマに、ルークは苦笑いした。
「君のことを見ている男だってたくさんいるよ」
「そんなことない」
「……君が気付いていないだけだよ。全く…油断できないな」
ルークはそっとエマの手を引くと、エマの体を自分へと引き寄せた。
ちょっと近寄りすぎなくらい体を寄せて、エマの顔を覗く。
「周りの目が気になるかもしれない。……でも、今は堂々としていて」
「え?」
ルークはエマを見て挑むように笑った。室内の灯りに、その青い瞳が輝いた。
「この僕と最初に踊るのは君だ。僕に選ばれたって自信を持って胸を張って」
どんな自信だと、エマは苦笑いする。そんな余裕はない。
「無理」
「できるよ」
そのままルークは横目でエマを見て笑った。
「君ならできるよ、エマ。僕が保証する」
そうしてエマの手を引いてダンスの輪の中に入っていった。
ルークと踊るのは2回目だけど、今回の方が緊張した。
だって周りがじっとエマとルークを見ているから。
正確にはみんながルークを見ているから、エマまで緊張してしまう。
こんな注目の中で踊ったら、自分がちゃんと踊れているのか、心配でうまく踊れない。
「君、ダンスに集中してよ」
ソワソワしていると、それをルークに注意されてエマは気まずくなる。
「だって、あなたのことをみんなが見ているから」
「僕じゃない。君のことを見ているんだよ。腹立たしいことに」
そういうとルークはエマの手を引いてぐいっと体を大きくターンさせた。
その拍子にスカートがふわっと揺れて広がった。
エレノアが言った通り、スカートのたっぷりしたドレープが宙を舞って、とても綺麗だった。
周りで見ていた人からため息が聞こえた。
大きく体を揺らされたせいで、崩れそうになるエマの体をルークが抱き止める。
そのせいで目の前にきたキレイな顔に、エマは不満たっぷりな顔を見せる。
「ちょっと……転んだらどうするのよ」
「僕を誰だと思っているの?簡単に転ばせないよ」
理解してやっているのがわかる笑顔のルークを、エマは睨んだ。
「それにみんなが見惚れてた」
「誰に?」
「君、と言いたいけど、ここは僕かな」
からかうように言うルークに、思わずエマは目を丸くした。
ここにきて、こんなこと言うなんて。
「信じられない」
思わず大きな声で不満を漏らすと、ルークは笑って、エマの耳に顔を近寄せて、楽しそうに笑う。
「嘘。君だよ」
二人の距離が近いから、周囲から悲鳴みたいな声が聞こえた。
視線を上げたら、ルークの笑顔が目の前で、ドキッとした。
その目に甘い光が宿っているのがわかって、自覚した瞬間に胸が早く打つ。
微笑んだ顔が、驚くほど優しいから、
エマも、それから周りの人もルークから視線を逸らせない。
ルークがエマの耳元で囁く。
「この曲が終わったら、僕は他の人と踊るけど」
耳元に息がかかってくすぐったくて、エマは肩をすくめた。
それに構わずに、ルークはエマの目を覗き込む。
「最後のダンスは僕と踊るって言ったのを、忘れないでね」
青い瞳が煌めいて、エマを射抜くように見つめる。
「わ、わかってるわよ」
「よろしい」
ルークがにこりと笑うと、ちょうど一曲終わった。
「君はうちの親か王女と一緒にいるようにして」
「はい」
「じゃあ、また後で」
心配そうにエマを見た後で、ルークがエマの手を離す。
そのままダンスの輪から離れた。
エマがルークから離れていくと、早速ルークに声をかけている女性が目の端に入った。それに驚くほど愛想のいい笑顔を浮かべたルークが彼女の手をとって歩いていく。それを見た女性たちが列を作るのが見えた。
1曲の途中で、ルークはどんどんパートナーを変えていく。
こんな風に踊るのも、疲れるだろうなと思った。
休みなしで踊って、大丈夫なのだろうかと、勝手に心配になった。
ぼんやりと立っていたエマに、隣からためらいがちに声がかけられた。
「あの……」
「はい?」
顔を上げると見たこともない男の人が目の前にいた。少し年上だと思うその男の人は、エマを見て少し目尻を赤くした。
「実は王宮で姿を見かけたことがあって、ずっとお話ししたいと思っていて」
「え、あ、そうなんですね」
エマが慌てて返事すると、その人は照れたようにエマに笑いかけた。
「約束しているんですよね?ダンス」
「え?」
彼の目がじっとエマの胸のバラを見ているのがわかって、エマは苦笑いした。
「あ、これは……」
「約束した人以外とは、踊らないつもりですか?」
さすがのエマにもこの人が自分をダンスに誘っているのだとわかった。
どうしようか迷って、最後にエマは頷いた。
「今日は約束があるので、ごめんなさい」
そう言ったら、誤魔化すように笑って目の前の男性はいなくなった。
これでよかったのかと悩みながらその後ろ姿を見ていると、後ろからパトリシアの声がした。
「ちゃんと断れたわね」
エマと目があって、パトリシアは苦笑いした。
「気をつけないと、ルークがやきもち焼くわよ」
エマへ顔を向けると、珍しくとても真面目な顔になった。
言いにくそうに口を開いた。
「ごめんなさい。今回のこと、私が原因なのよ」
「原因って……」
王女は声をひそめた。
「あの事件の時にルークが問題を起こしたと言われて処分を受けた話はしたわよね。でもその後もダフネの父親がルークの処分を求めてきたの」
「ダフネの父親が?」
「そう、ルークをお兄様の専属から降格させようとして、文句を言ってきたのよ」
「そんな……」
あまりのことに、エマは唇を噛み締めた。
「それを見逃す条件の一つがダフネとダンスをすることだったのよ」
パトリシアは苦い顔をした。
「断ると、エマに何かあるかもしれないって思って、仕方なく受けたみたい」
それを聞いて、エマはようやく納得できた。
細切れの情報はあったけど、ちゃんと全てを順序立てて話してくれた人がいなかった。
だから、エマもわからないことがたくさんあった。
でも、全てを知っていたら、エマだってあんな風にルークと喧嘩したりしない。
ダフネと踊ることだって、責めたりしなかった。
自分のことばかり考えて怒ってしまった自分が情けない。
「もっと早く言ってくれれば……私だって」
エマが唇を噛み締めと、パトリシアが笑った。
「そんなことしたら、あなたは自分を責めるから、あいつは絶対に言わないわよ」
「でも……」
「ダフネと踊るところを見せたくなくて、ルークはあなたをこの会に呼びたくなかったのよ」
王女はため息をついた。
「ルークもお兄様も、エマが悲しむのは見たくないから、この会に呼ばなかったのよ。全く、過保護なんだから」
まあ、でもそれを知らないお母様がエマに話してしまったんだけどね。
王女は苦笑いした。
そうして、王女は会場の真ん中に視線を投げた。
「あいつ、すごいわね」
呆れたような顔をして、踊るルークを見ている。
「あんなことをするのね、あいつ」
「あんなことって」
「そうでしょう?みんなと踊れば、ダフネと踊っても、特別だなんて思わない。だけど、あなたとは一曲ちゃんと踊って同じものを身につけて……。誰があいつにとって特別かなんて、誰が見てもわかるわよ」
王女はため息をついた。
「私がダフネなら、踊らない。踊りたいとも思わない」
ダフネは言っていた。
『ルークと踊る初めての女性』になりたいって。
でも、それはもう叶わない。
初めてはエマが踊って、そしてその後もひっきりなしにダンスを誘う女性と踊っているから、
ルークと踊ることも、特別ではなくなってしまった。
そしてこんな形でダンスをしても、ルークの心を捉えることなんてできないだろう。
ダフネの望みは、もう全部叶わない。
王女は静かに息を吐いた。
「あいつがあんなことをするなんてね」
その遠くを見つめる横顔は、いつもの王女よりもずっと大人びて見えた。
王女はエマの顔を振り返って、笑った。
「あなたたち、もう仲直りしたのよね?」
じっと見つめられて、エマは苦笑いした。
「……多分」
ちゃんと仲直りしたとは言えないけれど、きっともう大丈夫だ。
エマの顔を見て、王女は笑った。
「そう。ならいいわ。あなたがいないから、朝の会もつまらないの。二人とも真面目な顔で仕事の話ばっかり」
うんざりした顔をしたパトリシアに、エマは笑った。
「明日から、ちゃんと行きます」
「そうね。だけど目の前でベタベタするのはやめてね。私もお兄様も困るから」
「ベタベタはしてないです」
「………無自覚は怖いわ」
王女のそばに女官が寄ってきた。女官と話すと王女はエマに声を掛ける。
「私、呼ばれたから戻る」
「はい」
「何かあると困るから、あなたはおじさまのところにいなさいよ」
意外に心配性の王女に言われて、エマもその場を離れてゲイリーとエレノアのところに行くことにした。
だけど人が多すぎて、後をついていくのが難しくて、パトリシアとあっという間にはぐれてしまった。
追いつこうにも、簡単に近寄れない。
王宮の舞踏会って本当に人が多いとエマは改めて驚く。
見ればゲイリーもエレノアも遠くにいる。
この人混みの中を歩いて簡単にそこまでいくことはできない。
落ち着くまでここで静かにしていようと決めて、エマは壁際に移動した。
ぼんやりと遠くを見て、会場の真ん中でルークがまだ踊っているのを見た。
ずっと踊っているから、きっと疲れていると思う。
でも、王女から話を聞いた今となっては、申し訳なく思ってしまう。
だって、全てエマのためにしたことなのだ。
それなのに、勘違いして怒ったりして……本当に悪いことをした。
エマは息を吐いた。
今日、家に帰ったら、ルークに謝って、それからありがとうを言おう。
きっとあの人はなんでもない顔をするだろうけど、たくさん優しくしようと心に決める。
ルークのためにできることは全部やろう。
エマはそう決心して、手をぎゅっと握りしめた。
そこに人が近づいてきた気配がして、エマは顔を上げた。
でも、そこにいた人の顔を見て、エマは驚いた。
そこにいたのは、ダフネ・ハントで
彼女はこの間よりもずっと怒った顔をして、エマを睨んでいた。
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