第27話 君のせい

 舞踏会の日、エマはいつになく緊張していた。

 だって全てが初めての経験なのだ。


 メイドに丁寧にお化粧されたり、髪を結ってもらうと、鏡の中の自分が自分では無くなっていく。見慣れない自分が恥ずかしい。


 エレノアが選んでくれたドレスは、鮮やかな青い色のドレスで上半身は体に沿う形で、少し高いウエストの位置からスカートがフワッと広がっている。上等な布をふんだんに使っているから、動くたびにドレスは艶やかに光って見えた。


 おしゃれに興味がないと思っていたけれど、こうして着飾ると心が弾んで、エマは鏡の前で何度もくるりと回って仕上がりを確認した。


「あら、素敵ね」

 エレノアも嬉しそうに微笑んだ。

「エマは線が細いから、こういう可愛らしいドレスが似合うわ。……ダンスをすると、この形のドレスはとてもキレイなの」

 楽しみね、そう言ってエレノアは笑った。


「これでダンスをしたら、きっと会場中の男の人の注目を浴びるわよ」

 それにエマはドキッとする。ダンスの腕前には相変わらず自信がない。

「私、踊れますかね?」

「あんなに練習したのだから、大丈夫よ。せっかくだから踊って楽しんで来なさい」

 エレノアは励ますように笑った。

「あの子の足なんて、いくらでも踏んでいいのよ」


 急に頭の中にルークの顔が浮かんで、でもすぐに彼は違う人と踊るのだと思い出す。

 エマを突き飛ばしたダフネの怖い顔を思い出して、もうすっかり治っているのに、また肩が痛むような気がした。


 踊る相手もいないし、そう思ったところで、一人の男性の顔が浮かんだ。

 皇太子の顔だった。


 この間の皇太子の言葉が思い出された。

 踊りたくなったら、いつでも言って。

 そんなことを言っていた。


 エマが誘ったら、本当に踊ってくれるだろうか。

 皇太子こそ、いろんな人と踊る必要があると思うけれど、本当に頼んでもいいのだろうか。

 そうしたら、絶対にエマ以外の人とは踊らないって…本気だろうか。


 皇太子を独り占めするなんて、恐れ多い。

 でも、もし、踊りたいと思った時は……本当に誘ってもいいのだろうか。


 ぼんやり考えていると、エマの全身を後ろからチェックして、エレノアは笑った。

「ルークは男の子だからつまらないわね。やっぱりこうして一緒に楽しめるから、女の子っていいわ」

 そうしてエレノアは大きく頷いた。



 その時ドアが開いて一人の男の人が入ってきた。

 エマはひと目見て、その人がルークの父親のゲイリーだとわかった。


 ルークはエレノアに似ていると思ったけれど、こうしてみると父親にもよく似ている。

「君が、エマ・バートン?」

 そしてその声はルークによく似ていた。


 しっかりと正装をした姿は国の重役だけあって、やっぱり全身から威厳が漂っていた。

 エマは緊張しながら挨拶をする。

 ゲイリーは失礼にならない程度にエマをじっと見つめて、笑顔になった。

「そうか、君か」

「はあ……」

 なんだか勝手に納得しているようなゲイリーに驚いていると、エレノアが戸惑った顔をした。

「どうしたのよ、あなた」

「昔からよく君の話を聞いていたから、ようやく会えたと思って」

 それにエレノアも頷いた。

「確かにそうね。私も初めて会った気がしなかったわ」

「だろう?」

「あの……私の話って」

 戸惑いながらエマが尋ねると、ゲイリーとエレノアはエマを振り返った。

 二人が笑顔でエマを見る。

「ルークがいつもエマの話をしていたからね」

「一体どんな話を……」

「どれもいい話だよ。大丈夫」


 きっとろくな話はされていない自信はある。つい苦笑いするエマにゲイリーはそっと手を差し出した。

「じゃあ、行こうか。エマ」

 その手をとってもいいのか迷うエマに、ゲイリーは笑いかけた。


「今日の会は、何があってもわたしたちが守るから、エマは楽しんで」

「守るって……」

 すぐに、ダフネのことを思い出した。


 またダフネに何かを言われるかもしれない。

 舞踏会でそんなことをされたら、どうしていいのかわからないけれど、こうしてエレノアやゲイリーと一緒にいれば、そんなことはないだろう。


 そう思ったら、急に気持ちが軽くなった。


 隣でエレノアがニッコリ笑った。

「そうよ。エマは楽しめばいいの」

 エマは笑顔を返して、ゲイリーの手に自分の手を載せた。



 舞踏会に向かう馬車にはゲイリーとエレノアとエマだけが乗った。

「あの……ルークは?」

 エマの質問に、エレノアは首を振った。

「あの子はもう王宮にいるわよ。なんだか仕事があるらしくて」

 それに頷くと、馬車で王宮に行くまでの間、ゲイリーはルークから聞いたエマの話をたくさん教えてくれた。


 魔法学校に入ってから、卒業するまでの間のたくさんの恥ずかしすぎる話ばかりを聞かされて、エマはどうしていいかわからなくなった。


 それにしても、ルークはどうしてこんなどうでもいい話ばかりを、よりによって親にするのだろう?

 もう、あり得ない。


 エマはため息と共に、視線を落とした。




 ******


 会場にいるたくさんの人のいる中をヘイルズ家の人は堂々と歩いていく。

 ゲイリーとエレノアの後ろを歩いていたエマは、突然後ろから伸びてきた腕に手を取られた。


 驚いて振り返ったら、そのまま体を引かれて柱の影に連れていかれる。

 顔を上げて、その手の主を見て驚いた。

「ルーク!」

 ルークはエマを掴む手を緩めると、ホッと息を吐いた。


 その姿を見てエマは息を呑んだ。

 黒い上等な正装に身を包んだルークは、驚くほど格好良かった。

 卒業パーティの時もきちんとしていたけれど、あの時ですら、本気の正装ではなかったのだと実感した。


 今日のルークは完璧に装っていて、その整った美貌が通り過ぎる人の視線を集めていた。


 ルークもエマを見て、驚いた顔をした。

 だけどすぐに真剣な目でエマを見た。

「な、なに?」

 エマがそっと視線を逸らせようとしたら、それより早くルークがエマの手をぎゅっと握った。


「君に言っておく」

「……なによ」

「僕は今日、ダフネと踊る」


 それを聞いて、エマはムッとした。

 そんなのもう知っている。エマが知っていることをルークも知っている。

 なぜ、それをもう一度言うのだ。

 何度も聞きたくないことだってある。


「知っているわよ」

「最後まで聞いて」

 腕を振り払おうとするエマを止めるように、ルークは繋いだ手に力を込めた。

 その切羽詰まったような瞳にエマは動きを止める。


「ダフネと踊るし、その他にも誘われたら、その全員と踊る」


「な……」


「時間の許す限り全員と踊る。踊ってみせるよ」


 この人は何を馬鹿なことを言っているのだろうと思った。

 ルークが誰とでも踊ると知ったら、声をかける人なんてたくさんいるだろう。

 その全員と踊るなんて、できるはずがない。

 どうしてそんなおかしなことを言うのだろう。


「でも、一つだけ言わせて」

 ルークは繋いだ手を緩めると、エマの指に自分の指を絡めた。



「最初と最後のダンスは、君と踊る」



 青い瞳がじっとエマを見つめた。


「他の人とは1回しか踊らない。だけど君とは、2回踊る。……この意味、わかる?」

「意味って……」

「君は特別だってこと」


 そう言ってルークはエマの手を離した。

 反対の手のひらを開いて、そこから一輪の白いバラを出すと、それをエマのドレスの胸元に飾った。

 ルークのジャケットの胸元にも、同じバラが飾られている。

 そのバラの意味がわからないほど、エマは鈍感ではない。

 これはルークとエマが約束をしている証拠だ。



 それをエマの胸元に飾る。


「言っとくけど、反論は許さないから」

 青い瞳がエマを覗き込んだ。

「いい?」


 結局、エマはほんのわずかな時間も迷わなかった。

 エマはルークを見て首を縦に振ると、ルークの顔が安心したように綻ぶ。


 エマの背中に手をあてると、

「じゃあ、行こうか」

 そう言って歩き出した。



 二人で並んで歩くと、通り過ぎる人たちが、ルークを見てそれからエマを見てざわめく。

 自分がどう思われているのかわからなくて落ち着かない。

 つい隣のルークを見上げる。

 その横顔の顎のラインが前よりシャープになっている気がして、気になった。


「何?」

 じっと見ていたら、ルークがエマを振り返った。

「あ、なんだか感じが変わったから……痩せた?のかな」

 戸惑いながら聞いたエマに、ルークは苦笑いした。

「そうだな。ずっと忙しかったし、痩せたかも」

「そう……」

 隣でルークが笑った。

 見上げたら、苦笑いしたルークと視線があった。


「君のせいだよ」


「え?私?」

 そう、頷いてルークはため息をついた。

「君のせい」

「どういうこと?」


 私も落ち込んだけど、と思ってムッとした顔をしたエマに、ルークは息を吐いた。


「君に泣かれたし、嫌われたって思ったし、それから全く会えないし。今日も断られるかもしれないって、不安になったよ」

「随分弱気ね……なんだかあなたじゃないみたい」

 そう言ったら、ルークは肩をすくめた。

「そうだよ。僕をこんな風にするのは君だけだよ」

 背中に触れるルークの手に力がこもった。


「ずっと、君のことばかり考えてた」

「……嘘ばっかり」

「嘘じゃない」

 ルークは立ち止まって、エマの目を見た。

「もう一度言うよ。君のことばかり、考えてた」


 その瞬間、エマにはルークしか見えなかった。

 ただ、その青い瞳に映る自分を見ていた。


「わ、私は……」


 私もあなたの事ばかり考えてた。


 ドアの前まで何回も行った。

 どうしているのかとか、疲れているのかとか。

 考えるのは、ルークのことばかりだった。


 そう考えたら、なんだか泣きそうになった。


 私だって落ち着かなくて、不安で、それから寂しくて

 それも全部、ルークのせいだ。



 エマは口を開いた。

「私も」

「え?」

 ルークがエマを見つめる。

 エマはスカートを握りしめた。

「私も……」




 だけど、全部を言い終わる前に、二人に声がかかった。

「あら、会えたのね」

 振り返ったら、ゲイリーとエレノアが二人に歩み寄ってきた。

 そのせいか、ルークは背中の手をパッと離してしまった。


 エレノアがエマとルークの胸に飾られたバラを見て、笑った。

 そうしてルークを見て、少し責めるような声を出す。

「こういう事をするなら、最初に言っておいて頂戴。ドレスのデザインに影響するじゃない」

 ルークはため息でそれを聞き流すから、エレノアは苦笑いして、エマを見て、耳元でエマにだけ聞こえるように囁いた。


「いい舞踏会になりそうね」



 それに笑顔で答えると、エマは隣のルークを見上げた。

 ルークは何も言わなかったし、エマの方を見ようともしなかった。


 その代わり、ドレスの裾に隠れてエマの手を取ると、そっとその手を握りしめた。



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