第14話 彼と王女の話
ルーク・ヘイルズはパトリシア王女が苦手だった。
従兄弟という関係上、子供の頃からの付き合いである。でもそのわがままぶりについてはよく知っていた。
父親に連れられてやってきた王宮で、初めてパトリシアと会った時のことをよく覚えている。
「私がお姉さんになってあげる」
そう笑顔でパトリシアに言われた時、正直鳥肌がたった。
ルークを着せ替え人形にして、女の子の格好をさせて遊ぶパトリシアの姿が容易に想像できて、思わず顔が固まった。
子供なりに気を遣ってありがとうございますと言ったけれど、顔で拒絶したことは認める。
そのルークの気配を悟ったのか、その後パトリシアがルークに絡むことは無くなった。
助かった。
一緒に遊ぶようになって、パトリシアのわがままを体験すると、あの時の自分の行動が正しかったことを悟った。
国王が自分の父親と酒を飲みながら
「この子がパトリシアの歳上だったら、パトリシアの結婚相手にしたのだけれど」
と言ったのを聞いた時、パトリシアより二年遅く生まれた自分の幸運に心から感謝した。
国王はわがまま姫の結婚相手は歳上しかないと思っていた。
今でもルークはその意見に賛成している。
何かと面倒な人ではあったけれど、パトリシア王女は勘の鋭い人だった。
魔法学校にいるときも、ルークはよく王宮に来て皇太子とその弟とパトリシアの4人で話をした。
その時、いつも必ずエマの話をした。
みんなも面白がって話を聞いていたと思う。
……ちょっと喋りすぎたと気がついたのは、何年目だったかわからない。
「エマを私に会わせてよ」
パトリシアは、そうしつこく言うようになった。
きっと話を聞いて会ってみたくなったのだろう。
迷うこともなく、答えは否、だ。
ルークはそれを断固、拒否した。
だけど、パトリシアは諦めが悪くて、それからも飽きることなく、エマに会いたいと言い続けた。
エマの何がパトリシアの心を掴んだのかわからない。
だけど実際に会わせたら、パトリシアは絶対にエマを気にいるような気がして、ルークは絶対に会わせるのはやめようと心に決めた。
いま思い返せば、パトリシアはすでに、ルークの心の中の一番奥の感情に気がついていたのだろう。
もしかしたら、本人よりも先に。
学校を卒業して、仕事を始めた今も、ルークがパトリシアが苦手な気持ちに変わりはない。
ただ、一つだけ感謝していることがある。
それはエマの就職の事だ。
魔法学校では、誰もが卒業する一年前から就職活動をする。ルークは皇太子の専属魔術師になることが決まっていたから、何もしていない。それでも周りの動向には気をつけていた。
一つだけ、気になることがあったから。
それがエマの就職先だった。
魔法学校の卒業生は、国の魔術団に入る人が多く、それ以外は国の領地の魔術部を希望する人や、魔法学校職員になる人もいる。
それから……少ないけれど王宮内の魔術部に就職する人もいる。
だけど、人数はとても少ない。
そこで勤めるにはかなりの好成績と、ちゃんとした人からの推薦状が必要になるからだ。
ルークはエマに王宮の魔術部を薦めようとしていた。
エマの成績なら、間違いなく合格する。
推薦状は誰か知り合いの有力貴族に書いて貰えばいい。
もし、エマが王宮で勤めるようになったら……
そうすれば、今まで通り、近くにいることができる。
ルークがいつその話を切り出そうか迷っていると、噂でエマが国の魔術団の内定を取ったと聞いた。
それを聞いて思わず舌打ちした。
確かに国の魔術団は、魔法学校の成績優秀者は試験なしの面接のみで優先的に入団できる。入団が決まった以上、それを覆すことはできない。
それを聞いてルークははっきりと、落ち込んだ。
違う場所で働けば、もうエマとは会うことはないかもしれない。
その落ち込み方は、予想よりもひどかった。
もう会えなくなるなら、せめて最後の卒業パーティで一緒にダンスをしたい。
これからも会ってくれないかと話してみたい。
ルークの中にいろんな考えが浮かんだ。
でも、実際にエマに話そうと近寄ると、エマはまるで逃げるようにいなくなる。ダンスに誘うことも話すことも難しいと思うルークを助けてくれたのは、
まさかの、パトリシア王女だった。
卒業式を明日に控えた日。
王宮でいつも皇太子がしているお茶会に呼ばれていった時だった。
パトリシアが思わせぶりに声をかけてきた。
エマを王女の専属魔術師にしたいと聞いたとき、ルークは激しく迷った。
もちろん、エマには会いたい。
王宮で、しかも王女の専属で働くようになったら、きっと今までと同じように……もしかしたらもっと長く、近く一緒にいられるだろう。
ルークにとって、それはとても魅力的だった。
だけど、悩む理由が二つあった。
一つはパトリシアの専属魔術師ということ。
パトリシアのわがままにエマが振り回され……結果として自分も振り回される気がした。
それから……パトリシアに弱みを握られることも、嫌だと思う理由の一つかもしれない。
あの『あなたの気持ちはお見通しですよ』と語るような顔は、正直面倒だった。
これから毎日あの顔をされるのは、ちょっと……どころでなくうんざりする。
もう一つは……パトリシアの二人の兄のことだった。
その二人とも、とても端正な顔をしている。
2番目の兄は留学中だが、一番上の皇太子はこの先もずっとこの国にいる。
その皇太子は男のルークが見ても美男子だった。
ルークが気にしていたのは……
……エマが皇太子に心を奪われるかもしれないということだった。
でも迷ったのは、1分にもならない時間だった。
結局毎日エマに会いたいという気持ちが勝って、エマはパトリシア王女付きになった。
かなり慌ただしい人事異動だった。
周りはパトリシアが初めて人を指名したことに驚きながら、なんとしても王女の望む人を専属にしようと、必死になった。
もちろん、皇太子の名前を最大限に活用したのは自分だと、ルークはちゃんとわかっている。
いろいろあったけれど、エマは無事にパトリシアの専属となった。
エマと毎日会えて、ルークはご機嫌だ。
エマとは朝食後のお茶会で必ず会う。
通常、魔術師は王宮内で黒いローブを着るのが規則だけれど、パトリシアがそれを嫌がるから、エマは普通のドレスを着ている。
髪は学生の時のように後ろで一つに結ぶのはやめて、きれいにまとめてかんざしで留めている。
そのかんざしは卒業パーティでもつけていたものだ。
「それ、気に入っているの?」
一度それとなく聞いたら、エマは思い切り動揺した。
モゴモゴと言葉にならない声を出して、それからふいっと顔をそらせた。
その拍子にかんざしについた石が揺れた。
「これしか持っていないのよ」
「ふーん」
ルークは手を伸ばしてそれに触れると、エマは大げさに体をのけぞらせた。
「近寄らないでよ」
そう言ってソファの端に体をずらせる。
「別に近寄ったつもりないけど」
「距離が、近いのよ」
「このソファが狭いから、仕方ないよ」
かんざしについた石に触れると、それは陽の光に反射して光った。
「いいよね、これ。似合っているよ」
それにエマは顔を真っ赤にした。
狭いソファだから、あっという間に距離は縮められる。
困って顔を赤くするエマを見ると、つい、もっとからかいたくなってしまう。
エマが私服でいるのも、新しい髪型もそのかんざしも、毎日会える環境も
ルークはかなり気に入っていた。
その全てがパトリシアのおかげだと思うと、苦い気持ちになるけれど、そこはもちろん感謝している。
時々、『あなたの気持ちはお見通しですよ』と言う顔をされるのは、やっぱり面倒でたまらないけれど。
******
働き始めて一年ほどして、王女が恋愛小説に熱中した。
最初にそれを知った時は本当に驚いた。
王女のことは、実際どうでもいい。
初めて聞いた時、あの小説を好んで読んでいるのはエマだ。と言われたことに、ルークは心底驚いた。
あの本はどれもあり得ないほどの夢物語だった。
主人公が男性と出会って、魔法を使ったり冒険をしたりしながら結ばれる、というのが大体のストーリーだった。
問題はそこではない。
小説の主人公は大抵下級貴族の娘。もしくは女官。
相手役は全員、金髪碧眼の見目麗しい男性だった。
その男性の身分は5冊中3冊が王子、1冊が国王。1冊が上級騎士。
つまり、簡単に言ってしまうと、
主人公が金髪碧眼の美男子と身分違いの恋をする話になる。
絶対にそれを目的として選んでいるのがわかった。
それを見て、浮かんだ考えは一つ。
エマの目の前には美男子の皇太子がいる。
本に出てくるような金髪碧眼の美男子が。
まさか、エマは皇太子に恋心を……?
そう疑ってしまったルークは、別におかしくないと思う。
誤解はすぐに解けたけれど、ルークはしばらく皇太子に笑顔を向けられなかった。
「そろそろ機嫌直してくれないかな」
2日後に皇太子にそう言われて、ルークは自分の大人気ない行動を反省した。
******
その日は仕事が山のようにあったから、本当ならとても忙しい日のはずだった。だけど何故か仕事が驚くほど進んだ。
ルークは皇太子の専属魔術師ではあるけれど、最近の仕事は文官のように書類処理をすることがメインになっている。だから朝から皇太子の執務室でいつものように働いていた。
「今日は余裕があるから、午後にパトリシアとお茶をしようか」
皇太子がそう提案した。
ルークは時計を見て、それから残った仕事を確認する。そのくらいの時間は取れそうだから、ルークもそれを了承した。
「では向こうに伝えておきます」
どうせ王女はあの恋愛小説を読み耽っているのだろうから、お茶会の準備もできるだろうと思いながら、ルークは手紙を書いて、文官見習いに王女の部屋に持っていってもらうことにした。
そのまま仕事をしていたけれど、しばらくして手紙を持っていった文官が首を傾げながら帰ってきた。
「……どうした?」
ルークが尋ねると、文官見習いは首を傾げて考えるような顔をした。
「あ、いや。メイドの様子がいつもと違ったので」
「いつもと違うって?」
「うーん。うまく言えないのですが……メイドがドアから顔を出して、いま王女は休んでいるので後で渡しますと言われたんですよ。なんか様子がおかしいというか」
皇太子が苦笑いした。
「また読書だろう」
恋愛小説を読んでいるのはエマではなく王女だと、すでに全員が理解している。
「あ。いや。でも……」
文官見習いはまた首を傾げた。
「いつもの専属魔術師もいなかったので、珍しいなって。ドアの隙間から部屋の中も覗いたけど、そこにもいないようだったので」
ルークはそれに反応した。
王女の姿が見えないことも気になったけれど、
何よりもエマがいないということが気になった。
書類を置いて椅子から立ち上がると、皇太子に向き直った。
「一度、見てきます」
パトリシアの部屋をノックすると、扉を少し開けてまだ若いメイドが顔を出した。時折パトリシアのところに手伝いにくるメイドで、ルークも顔は見たことがある。
ルークは顔を俯ける彼女に向かってにっこりと微笑む。
「エマを出してくれる?」
メイドは視線を泳がせて、それから数秒後に口を開いた。
「え、と。王女様は今、休まれているので」
「王女のこととか、僕はどうでもいい。エマに会いたいんだよ。……早くエマを出してくれない?」
「…え、ですから、い、……今はいません」
そう言ってメイドは強引にドアを閉めようとした。
だけどドアが閉まる前に、ルークはそのドアの隙間に手を滑り込ませると、手に力をこめてドアをぐいっと押し開けた。
メイドの目が見開かれて怯えた目でルークを見つめる。
「だ、だめです!」
そのまま部屋に入って、ルークは中を見渡す。
部屋の中には誰もいない。
「エマは?」
メイドは驚きで腰を抜かして、震えている。
視線があって、小さくその首を左右に振る。
ルークは眉をしかめると、王女の勉強や稽古に使う奥の部屋へ向かって、そのドアを開ける。
でも、そこには誰もいなかった。
つまり、ここには王女も、エマも、いない。
体の向きを変えてドアまで歩くと、まだ座り込んだままのメイドのそばに片膝をついて座った。
「ねえ、エマはどこに行ったの?」
メイドはルークの目を見ると、がばっと大きく頭を下げた。
「すみません!すみません!」
泣き出したメイドがパニックになったように大声を出す。ルークはその肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「まずは話を聞かせてもらっていいかな?」
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