第13話 その願いを叶えるために
エマは自分がパトリシア王女に弱いのは自覚している。
だけど、こればっかりはダメだと思う。
王女は今も恋愛小説に夢中だった。
その勢いは皇太子に見つかっても、変わることはなかった。むしろ勢いが増した。
毎日寝る間も惜しんで読書をし、授業を何回もサボって読書に耽り、ついにこの間は勉強の邪魔になると家庭教師に本を没収された。
没収された本が燃やされる直前で、王女はそれを奪還して、また読んだ。
いろんな作家のたくさんの本を読んで、ついに手持ちの本では物足りなくなった。
そのせいでエマが王宮を出て本屋に行く回数も増えた。
……そして、王女はついにある願いを抱くようになった。
それは、
本屋に行ってたくさんの本を見てみたい。
自分で本を選んで、その本を読みたい。というものだった。
「私、一度お忍びで街に行ってみたいの」
パトリシアがそう言い出した時、エマは露骨にとても嫌な顔をした。
そう言い出した理由はエマにだってよくわかる。
パトリシアが読む本はいつも本屋に行ってエマが買ってくる。
その本屋とは首都の中でも一番栄えている場所にある大きな本屋で、そこが国中で一番恋愛小説を揃えている。
エマは相変わらずその小説を読んだことがないから、どれがいいとか、どの作家がいいとかわからない。
どうやって選んでいるかというと、その店にいる女性の店員さんにアドバイスをもらって、買っている。
ちなみにその店員さんも恋愛小説の大ファンだというから、もしララやパトリシアと話したらとても盛り上がるだろう。
「いつもエマばっかり本屋に行ってひどいわ。私も一度行ってみたい」
エマはさらに嫌な顔をした。
パトリシアの言い分は、本屋で自分の好きなものを選びたいと言う、小説好きなら誰でも抱く願いだ。
パトリシアの気持ちはよくわかる。
だけどパトリシアの立場を考えたら、どう考えてもそれは無理だ。
皇太子も国王もダメだというだろう。
護衛や側近で周りを固めていく。と言ってもおそらく許可されないだろう。
エマはため息をついた。
「今まで通り私が買ってきます」
「ダメよ。私が読みたいものを選びたいの。だってエマが選ぶものしか読んでいないのよ。もっと面白いのがあるかもしれないじゃない」
恨めしそうに見つめられて、エマは思わず目を逸らせた。
それはそうだ。
だってエマは店員さんの言うがまま買っているのだから。
「……それはそうですけど」
「じゃあ、お願い。エマ」
「ダメです。私が怒られます」
「大丈夫。すぐに行って帰ってくるならいいでしょう?バレやしないわ」
パトリシアは顎の下で両手を組み合わせてエマに向かって祈るような形をとる。じっとこっちを見る目は潤んでいて、言っている内容がもっと常識的だったら、すぐにでも願いを叶えてあげたいくらいだった。
エマはまた、ため息をついた。
パトリシアには側仕えは少ない。最近はエマが一人で面倒を見ているようなところがある。だからと言って、何時間も王宮の部屋を空けておいていいはずがない。
「皇太子に話して正式におでかけしては?」
「ダメよ。大事になるし、大体あの小説は私が読んでいないことになっているじゃない」
「実は私が読んでます、と言ってみては?」
「……それはイヤよ」
なんのプライドだ、と思うが、パトリシアは絶対にそれを認めようとしない。
パトリシアはじっとエマを見る。
「ねえ、お願い。少し行くだけだから。エマと一緒に行って、すぐに帰る。それだけならいいでしょう?エマだっていつもすぐに帰ってくるじゃない」
パトリシア王女はエマを見つめる。その濡れた瞳と視線があって、エマはもう一度ため息をついた。
「お願い、エマ」
ダメ押しのようにパトリシアは声を震わせる。
「私には、エマしかいないの」
パトリシアはエマの性格をよくわかっている。
自分の可愛さとか、どうしたらそれが効果的に見えるか全てわかって、頼んでいる。
エマがお人好しで、こんな風に頼まれたらダメと言えないのをわかっている。
天井を見上げて、エマは大きなため息をついた。
結局、エマはパトリシアに勝てなかった。
翌日の昼。たまたまマナーの先生が風邪でお休みになったこともあって、エマは変装したパトリシアを連れて、馬車に乗り込んだ。
とは言っても、簡単にできることではない。
まずはエマが街に行く申請を出した。
女官が街へ出るには申請がいるけれど、申請は出せばすぐに許可が降りる。特に申請書にパトリシア王女からの緊急の依頼とかけば、却下されることは絶対にない。
今までも恋愛小説を買うときに使っていた手法だから、今回もすんなり許可がおりた。
だけど、いつもと違うのはエマが乗る馬車に女官に変装したパトリシアが乗り込んだこと。
パトリシアは髪を下ろして魔術師の使うようなフードのある洋服を着ていた。そのフードを被れば、洋服と髪で顔が隠れてよく見えない。
「あれ、今日は二人なんですね」
いつも馬車を出してくれる従者に声をかけられてエマは苦笑いした。
「そうなの。たくさん買いたくて」
「そうですか。わかりました」
ごまかし笑いを浮かべるエマに、まだ若い従者は楽しそうに笑うと、なんの疑問もなく馬車を走らせた。
******
「すごい!素敵、素敵!」
その本屋に入るなり、パトリシアは歓声を上げた。
恋愛小説をおいてあるスペースは、壁一面の本棚にたくさんの本が並べられていて、そのスペースの入り口には新作やおすすめ本が並べてある。
パトリシアは目をキラキラさせて本棚の本を見渡した。
いつもエマに本をすすめてくれる店員が来て声をかけてきた。
「今日はお友達といらしたんですね」
「そ、そうなんです。彼女がこういう話が好きで……」
店員さんは熱心に本を探すパトリシアに声をかけた。
「これも新作で、おすすめですよ」
パトリシアはガバッと店員に向き直った。
差し出された本を見て、頷く。
「これ、いいわね。読んでみたい!」
「この作家さんの本もおすすめですよ。この作家さんはちょっと障害のある恋愛をテーマにした作品が多くて……」
予想通り、二人の話は合ったらしく、異常に話が盛り上がっているのをエマはソワソワしながら見つめる。
普段エマが本屋に来るときは、買い物には大して時間がかかっていない。
来るなり店員さんにおすすめを聞いて迷わず購入して帰るから、往復の時間も含めて1時間と少しかかるのみ。
どうしてそんなに急いでいるのかといえば、パトリシアの元にはしょっちゅう女官や皇太子やルークが顔を出すから、エマですらいないと不審がられる。
あの後も恋愛小説の話題が出ると、なぜかルークが過敏に反応するから、今でも恋愛小説を買いに行っていることを周りに、特にルークには知られたくなかった。
早く帰りたい。
時計を何度も見るエマだけれど、パトリシアは店員と話をしながら楽しそうに本を見ていて、このペースならもっと時間がかかりそうだ。
そこでパトリシアはエマを振り返って不満そうに口を尖らせた。
「ねえ、エマが持っている本って主人公の相手役はいつも金髪の王子様だったけど、違うタイプの人が相手のこともあるのね」
「え?そうなんですか?」
とりあえずいまだに1冊も読んでいないエマにはよくわからない。
そういえば大抵金髪の王子だった気もする。
「そうよ!あれはエマの好みなのね」
パトリシアはそう文句を言うと、本棚に向き直った。
エマはため息をついた。
結局、本屋にはかなり長い時間いることになってしまった。
本屋を出て、少し離れたところに停めてあった馬車に、買った大量の本を詰め込むとエマは馬車に乗ろうとした。
だけど、パトリシアは馬車に乗ろうとしない。
「思ったより時間がかかってしまったので、早く帰りましょう」
エマがパトリシアへ顔を向けると、パトリシアは首を横に振った。
「え?王女?」
王女は両手をグッと握り締めてエマを見た。
その目に強い拒否の気持ちが浮かんでいる。
「イヤよ。帰りたくない」
「ええ?」
思わず大きな声が出てしまった。
パトリシアは馬車のドアの前で立ち止まると、俯いて首を横に振った。
「せっかくだから、少し街を歩いてみたい」
「え?なにを言っているんですか?すぐ帰るって約束だったじゃないですか」
本屋に行ってすぐに帰る。
そう言っていたのは自分ではないか。
だけど、そこでエマは気がついた。
パトリシアが王宮を出て外に遊びに行って、本屋だけで済むはずがない。
よく考えてみれば、簡単に想像ができることだった。
だけど、これ以上外にいると、申請書に書いた王宮に戻る時間もオーバーしてしまうし、もしパトリシアに何かあったら大変なことになる。
そもそも本屋に行くだけのつもりだったから、護衛もなにも連れていない。
せめてルークには言っておくべきだったかも。
エマの胸にそんな考えが浮かんだ。
実は今回のこともルークに言っておいたほうがいいかもしれないと思いはした。
王女の説得をしたりとか、もしかしたら何かいいアイデアをくれるかもしれないと思ったのだ。
だけど、やめてしまった。
すぐに帰るだけだと思っていたこともあるし、
もしかしたら、自分が規則を破ることをルークに言えなかっただけかもしれない。
「また街に出る許可をちゃんともらって、改めて遊びにきた方がいいです。今日は帰りましょう」
「イヤよ!」
「でも、今日はダメです!」
エマも苛立って大きな声を出すと、パトリシアの腕を掴んだ。
「帰りましょう!」
だけどパトリシアはエマの手を振り払った。そして今度は弱々しく首を振る。
「いいじゃない。あと少しの時間、自由にしたって」
パトリシアの可愛らしい顔が、悲しげに歪んだ。細い肩が小刻みに揺れる。
「恋愛小説くらい読んだっていいじゃない。どうせ私は会ったこともない、好きでもない人と結婚するのだから、物語の中くらい、夢を見たっていいじゃない」
「それは……誰だって好きな人と結婚できる訳ではないです。私だってそうですよ」
とっさにエマが励ますようにいうと、パトリシアは即座に首を振った。
「エマは好きな人と結婚するわよ。絶対に」
「そんな……」
「そうよ。絶対にそうよ。私にはわかる」
なぜそんな力強く言えるのだと思ったけれど、パトリシアは頷いた。
「でも私はそうじゃないし」
パトリシアはキッパリと言って、それからエマを見た。
視線は強いのに、その姿は驚くほど頼りなかった。
見ているエマの方が泣きそうになってしまうほど、悲しい顔だった。
全身で自分の感情を表すパトリシアの勢いに、エマは圧倒されてしまった。
「どうせ私はあと少しで好きでもない人と結婚して、そうしたらこの国からいなくなるのよ。でも今まで一度も王宮の外に出たことないのよ。一度くらい自分が住む国を歩きたいって思ってもいいじゃない。それって間違っているの?」
「……」
「ほんの少しだけ。これが最後のチャンスなのよ。お願い」
パトリシアはエマの服の袖を掴んだ。
「お願い。エマ」
******
結局エマはまたしても、パトリシアに勝てなかった。
今、パトリシアはエマの隣で楽しそうに屋台を見ている。
あの後、馬車の従者には同じ場所で待っていてもらうように頼んで、本屋から少し歩いた先にある市場までやってきた。
「すごい!すごいわ!エマ」
パトリシアは目を輝かせて辺りを見渡している。
ずっと王宮の中にいたパトリシアからしたら、店先に無造作に置いてある野菜や花や古着ですら輝いて見えるのだろう。
その証拠に王女の笑顔がイキイキしていた。
王女の機嫌が良くなったことに安心して、だけど、反対にエマの気持ちは暗くなった。
これがバレたら、多分、私クビになる。
多分ではなくて、クビ確定だ。
そう思うと気持ちがどっぷり落ち込んだ。
「ねえ、エマ。これ美味しそう!」
屋台で売っているお菓子をパトリシアが見つめている。
エマは半ばヤケクソで提案した。
「食べます?」
もう申請書に書いた戻る時間を大幅に遅刻しているし、怒られるのが決まっているなら、これを食べる数分間で何かが変わることもない。
「いいの?食べたい!」
パトリシアの顔が輝いたのを見て、エマはポケットから財布を出してそのお菓子を買った。
屋台が並ぶ場所から少し離れると、そこに広場があって近くに置いてあるベンチに並んで座って、まだ熱いそのお菓子を差し出すと、パトリシアは美味しそうに頬張った。
小さなパンを揚げて砂糖をまぶしたお菓子は、特別美味しいものではない。王宮で出るお菓子の方がよっぽど美味しいと思う。
だけど、それをパトリシアは美味しそうに食べた。
その顔がとても幸せそうだから、エマはこれでいいかと思うことにした。
パンを食べ終わって立ちあがろうとすると、パトリシアが足を気にしているのに気がついた。そっと足を見ると、右足の踵が腫れている。
「足、痛みますか?」
パトリシアは困ったように微笑んだ。
「大丈夫よ。痛くないわ」
「でも、腫れてますね」
今日履いているものはいつもの王女の靴ではない。慣れない靴で長い距離を歩いて、靴擦れができたのだろう。
「私のものと交換しましょう」
「でも、エマが」
「あとは帰るだけですから」
エマはそう言って自分が履いていた靴を脱ぐ。エマの靴はヒールもないし、作りもゆったりしているから、楽だろう。
確かにエマがパトリシアの靴に足を通すと新しい靴のせいか硬いし、少し高い細身のヒールのせいで、街歩きには向いていない。
王女なりに我慢したのだと思うと思わず苦笑いした。
パトリシアは困ったように笑った。
「……ありがとう」
いつも強気でとんでもないことばかり言うパトリシアが、素直にお礼を言ったのをエマはこの時初めて聞いた。
驚いてじっとパトリシアの顔をじっと見てしまうと、パトリシアはその視線に気がついて、苦い顔をした。
「なによ」
エマは思わず吹き出してしまった。パトリシアは気まずそうに顔を逸らす。
「いえ。とても素直だったので」
「今だけよ」
その言い方がいつも通りだったから、エマはもう一度パトリシアに笑いかけた。
「でも、来て良かったかもしれませんね」
そう言ったらパトリシアは目を丸くした。
「来てよかったですね」
エマがもう一度いうと、パトリシアは少し眉を落とした後、すぐにいつもの少し生意気そうな顔に戻した。
「だから言ったでしょう」
そのあまりにもいつもの言い方に、エマは苦笑いした。
エマはおそらくクビになるだろうけれど、こんなに王女が楽しく過ごしてくれたなら、それはそれでいいかもしれない。
最初王宮勤めは気が進まなかったけれど、辞めることになるかと思ったら、なんだか寂しく感じる。
頭の中にふっと浮かんだ顔があって、エマはそれを振り払うように首を振った。
「じゃあ、帰りましょうか」
「そうね。思ったより長くなってしまったわ」
エマの声にパトリシアも頷いた。そして立ちあがろうとした時だった。
「ねえねえ。お嬢さん達、なにをしてるの?」
目の前に黒い影がさした。
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