第12話 王女と恋愛小説

 パトリシア王女は変わった王女だった。


 見た目はとても可愛らしい。ちょっとつり目がちの目は気の強さを思わせるけれど、小柄で細身の体つきのせいか、思わず守ってあげたくなるような姿形をしている。

 だけど、性格は反対。

 気が強いし、思ったことはなんでも言うし、ちょっと……どころでなく強引なところがある。



 本来王女の側使えはたくさんいるはずなのに、普通ではない王女のせいでみんながすぐに辞めてしまうから、王女の側支えは少なかった。

 専属魔術師となったエマの仕事は、王女の話し相手兼側仕えという状態だった。



 エマが王女のそばで働き始めて一年と少し経った。

 その間にいろんなことがあった。


 王女がマナーとか語学の授業をサボるのは日常茶飯事。

 王族の集まりでも嫌な時はどこかに隠れていなくなることも珍しくない。

 その時に王女を探すのはエマの役目だった。


 エマが授業を代わりに受けさせられたり、試験を替え玉受験させられたり、パトリシアが食べたいと言った街の有名なお菓子屋のケーキを買うために朝から行列に並ばされたこともある。

 そのどれもあっという間にバレてしまうのだけれど、王女は懲りずに悪さを続けている。



 一年以上王女の側仕えが続いたのは、エマだけだ。

 今も悪さばかりなのに、周りの話では、エマが来てからパトリシアはとても落ち着いたらしい。

 これで?と思わなくもないがパトリシアはエマの言うことは素直に聞くらしく、やめないでほしいと王宮のメイド長からも泣いて頼まれた。



「私、魔術団に入ったはずなのに」

 おかしいなと思いながら独り言を言う。


 エマはじっとパトリシアを見つめた。

「私……ここに必要ですか?」

 だけどパトリシアは大きく頷いた。

「当たり前よ。みんながエマを必要としているわ」

 みんなって誰だ、と思ったが黙っておく。


「私のどこがいいんですか?」

 パトリシアの返事はいつも決まっている。

「面白いところ」

「は?」

「あなたがいると飽きないのよ」

 女性に面白いって褒め言葉なのか?と思ったけれど、それも飲み込んでおく。



 パトリシアは時々よくわからない。




 ******


 とは言っても、パトリシアがエマを大事にしているのは事実で、エマもそれを感じる。疲れている時にはさりげなく早退させたり、薬をくれたりする。お菓子やドレスなどを気前よく譲ってくれることもある。

 評判ほど悪い人ではないと、エマにもわかっていた。

「エマは私のところに来てどれくらいかしら?」

「もう一年になります」

「一年か。長いわね」

 まだ一年しか勤めていないのに、パトリシアの中では長い付き合いになる。

「だいぶエマも慣れてきたわね」

 そう言ってパトリシアが笑って、エマも笑顔を返した。


 仕事には慣れたけれど、まだ慣れないこともある。


 慣れないこと。

 実はそれが大きな問題だった。


 パトリシアは皇太子ととても仲がいい。だからよく皇太子と会っている。

 そして皇太子の隣には、あいつがいる。


 ルーク・ヘイルズが。



 卒業したら会うことはないと思っていたのに、気がつけばルークとは毎日会っている。


 絶対に会うのは朝。

 朝食の後にいつも王女は皇太子とお茶会をする。

 そこで毎日ルークと会う。


 それから夕食前にも会うし、それから……昼や午後のお茶の時に会うことはある。

 もしかして……とエマは眉を寄せた。


 むしろ以前よりもよく会うし、いろんな事を話すようになっている。





 朝のお茶会の時間はいつも優雅だ。

 広い部屋の奥にソファとテーブルが置かれている。


 一人がけのソファに座った皇太子とパトリシアが向かい合う。その横の二人がけソファにエマと……ルークが並んで座る。

 お互い王族の専属魔術師をしていて、その王族二人が同じ時を過ごせば、当然のことだと言える。


 だけど……エマはまだ慣れない。


 決して大きくないソファに二人が並べば、お互いの洋服は重なるし、肘を動かせばすぐに触れ合うし、顔もとても近くにある。4人で話すこともあるけれど、大抵、エマはルークと小声で二人で話す。


 知りたくもないのに、ルークの今日の予定を聞いて、それからルークについてのあれこれ……実は剣術が上手い事とか、音楽も嗜んでいるとか、そんな今まで知らなかったことも知った。


 くるくる変わる表情がすぐ目の前にあって、隣からルークの呼吸も感じられる。

 その距離感がなんだかくすぐったくて、エマはまだ慣れない。



 その日もパトリシアは皇太子と話していて、エマはソファの端に座ってぼんやりしていた。

 テーブルの上にはお皿に載ったチョコレートがあって、それをエマはついじっと見てしまった。


 とても美味しそうだったから、食べたいと思ってしまったのだ。

 でもこんなところで食べたいなんて、言えない。



 すると隣から肘で突かれた。

「君、チョコレート食べたいの?」

 隣を睨みつけると、ルークがエマを楽しそうに見つめている。

「そんなこと言ってないでしょ。やめてよ、人前で」

「そんなに物欲しそうにみていたら、誰だって気がつくよ」

「見ていただけよ」

「食べたいんでしょう?食べれば?」

「仕事中だから、無理に決まっているでしょ」

「いいよ。取ってあげる」

 隣に座ったルークが笑う。


 小さな声でしていたはずの会話はすぐに他の二人にも聞こえて、皇太子がエマを見た。

 にっこり笑ってチョコレートの載ったお皿をエマに向かって押し出した。

「どうぞ、エマ」

 最初は怖い印象だった皇太子だけど、慣れたのかなんとか話せるようになった。それは皇太子も同じで、時々エマに気軽に声をかける。


 皇太子の笑顔を見て、思わずエマは苦笑いした。

 皇太子の見た目は恐ろしく整っている。キラキラ光る金髪の美男子が笑顔でチョコレートを勧める姿は、女性の心を掴んで離さないはずだ。


 でも不思議とエマは皇太子に胸がときめくことはなかった。


 それに……

 こうしてお菓子を勧めてくれるのは嬉しいけれど、仕事中だからためらう。


「いえ、大丈夫です」

「エマはチョコレートが好きなの?」

 パトリシア王女もエマに顔を向けた。エマは苦笑いする。

「ええ、まあ。そうです」

「なら食べればいい。ほら」

 皇太子がお皿を持ってエマに手渡してきて、思わずそれを受け取ってしまう。


 エマは戸惑った。

 食べるのがよくないことはわかっているけれど、食べないとは言いにくい。



 エマが迷っていると、隣から伸びた腕がさっとそのお皿を奪い取った。驚くと、ルークがお皿をテーブルに置き直した。

「今は仕事中ですから、やめておきましょう」

 とんでもなくそっけない態度だった。

 ルークはお皿を置くと立ち上がって皇太子を見る。


「そろそろ執務の時間ではないですか?」

 その少し硬い声にパトリシアが反論する。

「あら、まだ時間はあるわよ」

「今日は忙しいので。暇なのは王女だけです」

「ちょっと、何が言いたいの?」

「そのままです」

 パトリシアはムッとした顔をする。


 エマがふと視線を上げたら、偶然皇太子と視線があった。

 パトリシアとルークのやりとりを聞いて……思わず同時に苦笑いした。


 だけど次の瞬間、エマと皇太子の間に黒い影が現れた。驚いて顔を上げるとルークがエマと皇太子の間に立っていた。エマの目の前にはルークの黒いローブしか見えなくなる。


「もう時間です。行きましょう」

「そうだな。行くか」

「ええ?もう?」


 不満そうなパトリシアの声は無視されて、二人は部屋から出て行った。

 閉まったドアを見ていると、隣から腕を突かれた。



 振り返るとパトリシアがニンマリと笑ってエマを見ている。

「……なんですか?」

 パトリシアは思わせぶりに笑ってエマの腕をつつく。

「……別に」

「別にって顔じゃないですよね」

「私が言うことではないわ」

 そう言ってとても嬉しそうな顔をする。



「ルークもあんなことするのね」



 エマは頭の中でルークが関係あるのか?と思ったけれど、パトリシアは機嫌良さそうに笑うと、テーブルの上のチョコレートを摘んで口に放り投げた。

 そうしてエマを見てニンマリと笑った。


「あなたがいると、本当に飽きないわ」



 パトリシアは時々よくわからない。




 ******


 パトリシアがエマを気に入る理由はよくわからない。だけど1年間これほど近くで過ごした側近はいないと言う。


 パトリシアには甘え上手なところがある。

 困ったような顔をして、だけど上手に押しつけがましくなくおねだりするから、ついエマは言うことを聞いてしまう。


 エマのお人好しのところにつけ込まれている気もする。

 でも頼まれたら、嫌と言えないのだ。




 その王女が最近ハマっているものがある。

 いわゆる恋愛小説だ。

 それも通常よりも甘さ5倍マシの、超溺愛系の恋愛小説だ。



 始まりは半年ほど前にさかのぼる。

 エマは王宮に住み込みで働いている。そこに半年前にララから荷物が送られてきた。中を開けるとたくさんの本が出てきた。


 その本は全部恋愛小説で、お姫様が王子と結婚する話や、身分違いの恋をして結ばれる女官と王の話だとかで、どれも最近流行っている入手困難な本らしい。エマがパッと見た感じでは、王子様系の話が多かった気がする。

 ちなみにあらすじを読むとどれも甘すぎるほど甘い話だった。


 中にはララからの手紙が入っていた。



   親愛なるエマへ

   お仕事は忙しい?

   ルークと同じ職場なんですってね。

   仲良くしてね。


   空いた時間でこれを読んで恋愛の勉強もしてください。

   ララ


 そう書いてあった。

 それを見て恋愛の勉強とは?と考え込んだ。


 そもそも忙しいし、エマが読むジャンルの本ではないから手付かずだったけれど、偶然エマの部屋にパトリシアがやってきた時に、その本が王女に見つかった。

「エマも夢物語が好きなのね」

 そう言ったくせに、王女は読み始めたら止まらなかった。

 男らしい性格のパトリシアだけれど、王道ど真ん中の恋愛小説を好む乙女な一面があったのかとエマは驚いた。


 王女はララから送られた5冊を2日で3回づつ読み、同じ作家の新シリーズが欲しいと言ってきた。飽きっぽいパトリシアのことだから、そのうち忘れるだろうと最初は聞き流したが、パトリシアはしつこかった。

 根負けしたエマはララに手紙で、入手困難というその本を扱う本屋を教えてもらって、王宮を抜け出してそこまで走り、なんとか手に入れた。


 卒業して初めて親友にした連絡が、恋愛小説の購入法を聞く話だったことにはエマも驚いた。半ば投げやりになって書いた手紙だったのに、意外にもララは『ついにエマにも乙女心がわかる時が来たのね』と喜んでくれた。

 自分はまだ読んでいなくて、3回も繰り返して読んだのは王女だとは言えなかった。




 だけどさすがの王女も、授業をサボって本を読んでいることを皇太子には知られたくないようだった。

 必死に隠していたけど、それはすぐにバレてしまった。


 朝食後のお茶会を休んでこっそり読書しようとしたパトリシアのそわそわした態度はすぐに皇太子に怪しまれ、その隠し持った恋愛小説たちはあっという間に見つかった。


 妹の隠した恋愛小説を見て驚く王太子に、あろうことかパトリシアは言い放った。

「こ、これはエマの本よ」


「え?エマの?」

「…………は?」


 言葉を失った王太子はその視線をエマに向けた。

「そ、そうか。エマのか。確かにパティが読むにはちょっと……イメージが違う気がしたから」

「そう、そうよ。エマが夢中だから、私は付き合いで読んだだけよ」

 皇太子は困ったように笑ってエマを見た。

「そうか。邪魔をしてすまない。エマ」

 その視線が痛かった。



 でも、もっと辛いことが起きた。



「これ、本当に君が読んでいるの?」

 テーブルに置かれた本をパラパラとめくるのは、よりによってルーク・ヘイルズだった。

 本の中身を見て、その形のいい目が驚きで見たことないくらい見開かれ、心なしかその手が震えている気がする。


 私が仕事そっちのけで遊んでいるように思われてしまう!

 よりによって、この人に!


 エマはルークを睨みつけた。

 その目が悔しさで涙目になってしまった。



「ち、違うわよ」

 ルークは隣で全ての本を手にして中身を確認する。それが終わると、本を無造作にテーブルに置いて、ため息をついて天井を仰いだ。

 信じられない、というように頭を左右に振る。

 本当に、驚いている様子だった。


「まさか……」

 そんな独り言を言って、それから顔を下ろすとエマの顔を本当に心配そうに覗き込んだ。

 

 テーブルの上の1冊を手にすると、それをエマの目の前に差し出した。

 その本の表紙には金髪碧眼の王子と可愛らしいお姫様が寄り添う姿が描かれていて……エマの恥ずかしさも頂点に達した。



 僕に勝つとか言っていたくせに、君は本を読んで遊んでいるんだね。



 そんな嫌味を言われるだろうと、覚悟した。



「なによ」

「確認だけど……君はこういう話が好きなの?」

「こう言うって?」

「その……女官と王の身分違いの恋、とか」


 その質問にエマは固まった。

 はっきり言う。何度でも言う。

 エマはその本を読んでいないのだ。


 身分違いの恋の話だとも知らないし、

 そんなことを考えたこともない。



 エマは首を振った。

「そんなはずないでしょう!」

「本当に?」

 ルークはずいっとエマの前に顔を突き出す。いつもの余裕のある顔はどこかに行って、とても焦った顔でその目が真剣にエマを見ている。

 ちょっと悲愴感が漂う顔だった。


「わ、私は読んだこともないのよ!」

 すぐ隣のルークにだけ聞こえるような声でそう言うと、ルークはピシリと固まった。


「本当に?」

「本当よ」

「神に誓って?」

 大袈裟だな、とエマは苦い顔をした。

 だけど、ルークの顔はこれ以上ないくらい、真剣だった。


 だからエマも真っ直ぐにルークを見て頷いた。

「神に誓うわ」

 それを聞くと、ルークは嬉しそうに笑った。



「そうだよね。君はこんな話は好きではないよね」

「だから、読んだことないんだってば」

「そうだろうね。君がこんな身分違いの恋に憧れているとは思えないよ」


 うんうんと頷きながらルークはその本をテーブルの奥に押しやった。

 そうしてエマを見て嬉しそうに笑った。



「君には王子様は似合わないよ」



 どういうことだ。


 そう思ったが、ルークは笑いながらエマの頭を撫でた。


「なにするのよ」

「いつものことだろ」

「いつものって……」


 こんなことしていいなんて言っていない。


 そう言おうとしたけれど、目の前のルークがものすごく満足しているような顔をするから、エマはつい文句を言いそびれてしまった。




 もちろんその姿は王女と皇太子にばっちり見られていたのだけれど、二人は気がついていない。




 その日からしばらく、ルークの機嫌は抜群に良かった。



 パトリシアだけでなく、ルークも時々よくわからない。



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