第32話 『こうかい』
僕は真白と空音の事に真剣に向き合おうと思った。僕は真白を愛している。僕の自分の気持ちははっきりした。でも、僕は空音を遠ざける事ができないでいた。空音をあんな風にしてしまったのは僕のせいだ。だけど、僕には空音を治す事はできない、空音にしてあげられる事は、空音を突き放す事だけだった。僕にとっても辛い。僕は空音を甘やかす事が大好きな人間だからだ。
「(空音は僕がいなくなったら、死んでしまうんじゃ?)」
真白は僕が振られた時、僕が死んでしまう事を心配したようだ。僕の時は真白が来てくれた。でも、もし、空音が一人で孤立してしまったら……
僕が空音にしてあげられる事は突き放す事ともう一つ……
僕は一通のLi〇eを思いついた人に送った。多分、彼なら、僕の気持ちを汲んでくれる。おせっかいやきで、僕と違って、相手の事を考えられる人物が一人だけ頭に浮かんだ。
僕は心の準備はできたが、それでも、タイミングがとれない様な気がした。僕は優柔不断だから…でも、タイミングは他でもなく空音の方からやって来た。 誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。妹の琴里だ。足音でわかった。
「お兄ちゃん、空音お姉ちゃんが来たんだけど、どうする?」
妹の琴里が伝言に来た。琴里の表情は物憂げだ。それはそうだろう。
空音が僕を振って、僕がどれだけ落ち込んだか。
真白のおかげでここまでようやく立ち直った事を知っている。
琴里にしてみれば、当然そうだ。その癖、琴里と空音は仲の良い姉妹の様に育った。僕と同様、琴里も空音を突き放す事ができないのだろう。
「空音と会うよ」
「お兄ちゃん! 駄目よ! 真白お姉ちゃんの事考えて!」
妹は真白の事が頭に浮かんだのだろう。僕が優柔不断で真白を傷つける様な事をするんじゃないかと心配なんだろう。でも、僕は違う意思で空音に会うつもりだ。
「琴里、少し思い違いをしているよ。多分、僕が空音と会うのは今日が最後になる」
「お、お兄ちゃん…そこまで…」
「それが空音の為だ。真白や僕の為だけじゃなくて」
「琴里にはわからない。でも、お兄ちゃんの意思は尊重するよ」
そう言って琴里は空音を呼びに行った。しばらくして、空音があがってくる音が聞こえた。懐かしい、何度も聞いた音。空音の足音は僕には区別できる。家族みたいなものだから、
「悠馬、こんな時間にごめんね。私、謝りたくて…」
「この間、謝ってくれたじゃないか?」
「違うの、この間、真白に言われて…悠馬が自殺を考える位落ち込んだって聞いたら、私」
「…自殺までは考えなかったよ、真白のおかげで」
「真白ちゃんがいなかったら?」
「……」
「ご、ごめんなさいっぃ」
「僕は死んだ訳じゃないし、振られたのは僕に魅力がなかったからだよ、空音が謝る事じゃないよ」
「私、そんなつもりじゃ! それに、悠馬が死んだりしたら、私、生きていられない!」
「…僕は生きているよ」
「悠馬、部屋に入れて、顔を見せて、それ位いいでしょ? 真白ちゃんの事はわかったよ。真白ちゃんには私、勝てない。私が悪い、でも、顔位見せてよ、駄目?」
「空音、僕は君を部屋には入れない。僕は二度と空音に会わない事にした。大学も、東京の大学に行こうと思う」
「そ、そんな、何故? 私、確かに悠馬に酷い事したけど、お願い、それだけは、それだけは許して、お願いだから!」
「もう決めたんだ」
「どうして? 一緒に地元の国立行こうって話してたじゃない、それにどうして二度と会ってくれないの? 酷い事したのはわかっているけど、お願い、私、悠馬に二度と会えないだなんて、考えられない」
「…空音の為だよ」
「わ、私の為? どうして? 私には悠馬が必要なの! 迷惑なら、時々でいい、一年に一回だっていい、二度と会えないだなんて言わないで! お願い!」
「真白に言われたろ。僕と空音は最悪のカップルだったんだ。僕は空音を甘やかしたい人だ。そして空音は僕に甘えたい人。空音の恋愛観を歪ませてしまったのは僕のせいだ。でも、僕には空音を治せない。一緒にいると空音はいつまでも自分では何もできない甘えん坊のままだよ」
「私、自分で頑張るから、一年に一度でもいい、十年で一度でもいいから、お願い、二度と会わないだなんて言わないで! 十年に一度でもいいの、悠馬に会えるのだったら!」
「僕は空音に振られた時、全てを失った様に思えたよ。それは事実だ。僕はあの時半身を失ったんだ」
「それは私が悪くて…」
「あの時に僕は違う悠馬になったんだ。半身、空音の為の僕がいなくなって違う僕になったんだ」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、私が悪いのね、私が悠馬の半身を殺してしまった!」
「…もう、いないんだ。あの頃の僕は」
「ごめんなさい、でも私、絶対、悠馬がいなくても全うな女の子になるから、だからお願い! 悠馬の彼女になれないのは仕方ない、真白ちゃんがいるから。でも、幼馴染の空音は見捨てないで! お願い! 私、悠馬を失ったら何に縋って生きて行けばいいの!」
「空音、人は誰かに縋って生きるものじゃないよ。人は自分の足でたって、生きるものだよ」
「わ、私、で、できない」
「僕がいなければできるよ。人はいなければいないで何とか生きるよ。誰だってそうだよ」
「わ、私の馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! なんであんな事したの! ちょっとドキドキ楽しむだけのつもりだったのに! 悠馬がいなくなるって知っていたら、あんな事!」
「……」
「お願い、悠馬、ドアを開けて、せめて最後に一度だけ顔を見せて、後生だから、お願い」
空音がドアを叩く、
「……」
僕は無言で返した。それは絶対的な空音への拒絶だ。
「お、お願い、一目だけ、一目だけ悠馬の顔、見せてよ、お願いだから!」
「……」
空音がドアを叩く音が響く、でもうちの中は静かだった。家族もわかっているのだろう。最後の時だと言う事が、
「ひっ、ひっ、ひっく、お、お願い、お願いだから……」
空音が泣き崩れた様だ。ドア沿いに空音が泣き崩れるのが感じられた。でも、僕は心を鬼にして、無言を貫いた。
「ど、どうして、ゆ、悠馬は優しくて、何でも私の言う事を聞いてくれたのに…どうして私の最後の望みだけは叶えてくれないの?」
空音はなおも泣き続けた。僕は尚も無言を貫いた。だって、僕も涙が止まらないんだ。両の頬に涙が伝わる、僕はドアを開ける事も声をかける事もできなかった。泣いているのが知られてしまうから…
空音は延々と泣き続けた。僕も泣き続けた。空音との幼馴染としての思い出がたくさん頭を過った。三人で一緒におままごとしたり、縄跳びしたり、三人で隣街まで遠出をして、帰りが夜になって、三人で泣きながら帰ったあの日。もう、三人で会う事はないんだ。もう、三人では…僕達は二人になってしまった。もう三人では会えない。そう思うと涙がどんどん溢れてきた。
空音に告白した時、空音は言ってくれた。「……私もずっと好きだった」と、そして涙を流してくれた。空音と彼氏彼女になって、初めてのデート、あの時はドキドキした。何度も一緒に出歩いてるくせに、いつもと何も変わらないのに、いつもより少しおしゃれにして来た空音にいつもと違う事を感じた。初めてのデート、いつもと同じショピングモールでのお買い物。でも、あの時はいつもと同じじゃなかった。
『空音!』
何度も声をかけそうになった。だけど、真白の顔を思い出して思いとどまった。
初めてのキス、あの時も空音は涙を流して喜んでくれたね。「何があっても一緒になろうね」そう言ってくれた。でも、僕が悪い、僕が空音の恋愛感を歪ませた。僕が空音を一人では何も出来ない子にしてしまった。空音は僕が傍にいちゃ駄目なんだ。僕は空音の傍にいたら、空音を助けてしまうだろう。空音が傍にいたら、目が空音に行ってしまうだろう。例え真白が横にいたとしても…空音、僕の恋人だった人、いや、空音は僕の家族、僕の妹の様な存在…いっその事、妹ならよかったのに…一生近くにいても良かったのに…
でも、僕達は他人だった。僕ができる最良の方法、空音が一人で生きる事ができて、僕が人を傷つけないで済む方法、それは空音の前から消える事だ。
気がつくと、空音は泣きはらして、帰って行った。お母さんが空音の背中をさすって、癒してくれた様だ。でも、僕は明日から空音には会わない。
2年生の夏に僕は空音に永遠の別れを告げた。これから、すれ違う事はあったとしても、交わる事はない。僕は僕の道を、空音は空音の道を歩んでいく。
僕は空音との十七年を後悔した。僕が自分の事だけを考えていたから、空音はおかしくなってしまった。僕のせいだ。
『誰か僕の代わりに空音をお願いします』
僕は誰にともなく祈った。
「…さよなら空音」
そう呟いて、僕は更に泣いた。
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