おかえり

増田朋美

おかえり

新年、あけましておめでとうございます。そんな言葉が、アチラコチラに響き渡っている季節である。これを言うのが少々面倒という人も居るし、日常ではないので嫌だという人も居る。いずれにしても、子供や若い人は、楽しい季節という人が多いだろう。勉強から開放されるとか、仕事をしなくても良いとか。そういう事を喜べるのは、人生でほんの数年だけである。

その日、杉ちゃんとジョチさんは、デパートの初売りセールをしているというので、静岡市内の百貨店に出かけた。二人が、駅員さんに手伝ってもらいながら、電車を降りて、駅の自動販売機で、ジュースを買ったりしていると、反対側のホームに、電車がやってきた。多分、身延線の電車だと思うけど。その電車を、ホームでぼんやりと眺めている女性がいた。何故か、みんな乗ろうとしているのに、乗らなかった。女性と言っても、多分、高校生位の女性だと思われるが、なんだか、電車に乗らないで、電車を呆然と眺めている。誰も、彼女を気に留めることはなかったけど、杉ちゃんは、彼女に、

「おい、お前さん、そこで何をしているつもりかな?まさか、電車に飛び込もうとしたが、それができなくて、呆然としているんじゃないだろうな?」

と、杉ちゃんが言った。女性は、何を言われたのかという顔で、杉ちゃんたちの方を見た。

「はあ、図星か。」

杉ちゃんとジョチさんは、彼女のところに近づいた。

「なあ、なんで、お前さんが、電車に飛び込もうとしたのか知らないが、それ、実行する前にさ、ちょっと、僕らに話してみないか?ああ、もちろん悪いやつじゃない。僕達は、お前さんを利用して金儲けしようとか、そういう事は一切しないから、大丈夫。それは、安心して、利用してやってくれ。別に専門的な知識があるわけじゃないけどさ。もし、お前さんがここで電車に飛び込んじまったら、僕らは、なんだか、申し訳ないというか、情けない気持ちになるぜ。」

「そうなんですか?」

と、彼女は言った。

「なんだか偉く思い詰めているようですけど、何を悩んでいるんですか?親御さんにも言えないようでしたら、他人を頼ってもいいと思います。そのために、餅は餅屋という言葉があるんだし。」

ジョチさんが、優しく言うと、彼女は、

「そんな、私、もう、この世の中から、さようならできると思ってたのに。」

と、小さい声で言った。

「いやあ、さようならするには、お前さんはなんか若すぎるような気がするんだけどなあ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそういった。

「そうですよ。まだまだ、可能性はありますよ。それなのに、自らさようならしてしまうのは、もったいないことです。」

ジョチさんも、杉ちゃんに続いてそういったのだった。

「でも私、どうしたら。」

そう言って、再び泣き出しそうになる彼女に、

「まあまあ、気にするな。お前さんは、やり方を知らないだけで、さようならしないで、乗り越えられる方法は、あるかもしれないよ。そのためにはそうだなあ。人を増やして、話してみることだ。まずはじめに、お前さんは腹が減っていることだろう。悩みがあるやつは、大体腹が減っているんだよ。じゃあ、今から、」

「敬一に何かつくってもらいましょうか。」

杉ちゃんは、そう言うと、ジョチさんは、にこやかに言った。そして、スマートフォンを出して、何か話し始めた。よろしくおねがいしますと言って、電話を切り、

「敬一が、焼肉をつくって待っているそうです。敬一というのは、僕の義理の弟ですけど。ちなみに、あなたのお名前は?」

と、彼女に聞いた。

「私は、永原萌子です。」

彼女は、小さい声で自分の名を名乗った。

「わかりました。永原萌子さんね、僕は、影山杉三で、こっちは、曾我正輝さん。僕らは、ジョチさんと呼んでいる。ちなみに僕のことは杉ちゃんと呼んでくれ、杉ちゃんと。」

杉ちゃんにそういわれて、ジョチさんが、よろしくおねがいしますと頭を軽く下げた。

「それでは、行きましょうか。今頃、敬一が、焼肉焼いて居るはずですから。」

ジョチさんにそういわれて、彼女は、食べたくなってしまったらしく、杉ちゃんたちに着いていった。二人は、迎えに来てくれた小薗さんのワゴン車に乗って、ジョチさんの自宅兼店舗である、焼肉屋ジンギスカアンに到着した。二人が、車を降りると、

「おかえり、兄ちゃん。待ってたよ。で、えらく悩んでいる人がいると聞いたけど、度の人なんだ?」

と、胴回りはジョチさんの二倍近くありそうな、大きな体をしたチャガタイこと曾我敬一さんが、二人を出迎えた。太った人は、大体そうなんだけど、心の底に優しい気持ちを持っているのだ。チャガタイもそうだった。早速、萌子さんを、店の中に案内して、個室席に座らせた。萌子さんは思わずわあと言ってしまう。目の前には、美味しそうなしゃぶしゃぶ肉がたっぷり置かれている。

「じゃあ、悩みが和らぐまで、腹いっぱい食べろ。」

と、杉ちゃんが言うと、萌子さんは、は、はいといって、肉を焼き、急いで食べてしまった。始めは躊躇してるようであったが、肉はとても美味しかったらしく、一度食べると、我慢しきれず食べてしまうのだった。

「で、お前さんは、今日はどうして、電車に飛び込んで死のうと思ったの?」

と、杉ちゃんが、お茶を飲みながら、でかい声で言った。

「ええ、なんかお二人には、とても小さな悩みに見えるかもしれませんが。」

と、彼女、萌子さんは、小さい声で言った。

「悩みに大も小もないよ。悩んでいることはみんな苦しいさ。それは、誰でもそうだから、隠さずに話してご覧?」

と、チャガタイが、優しそうに言った。

「そうそう、チャガタイさんの言うとおりだ。なんでも話して、頭を楽にしちまえ。」

杉ちゃんにいわれて萌子さんは、

「実は、私、今、高校3年生なんですけど。」

と、言い始めた。

「急に家の事情が変わって、働くことにしたいと担任の先生にお願いしました。そしたら、急に先生の態度がかわって、お前はうちの高校の恥だと、怒鳴り散らしたんです。」

「はあ、お前さんは、どこの高校なんだ?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい。藤高校です。ブランドと言われる高校ですが、進学する意思はなく、会社で働きたいと、はっきり言いましたけど、担任の先生が、そう怒鳴るものですから。」

と、彼女は答えた。

「藤高校ですか。あそこは、名門の進学高校ですからね。あそこの生徒さんは、ほぼ百%が進学すると聞いたことがありますよ。その中で、就職したいと言っても、厳しいでしょう。なぜ、あなたは、就職しようと思われたんですか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「はい。弟が居るのですが、弟が重い障害を持っていて、私が、進学して勉強するのではなく、弟の世話をする環境にいたほうが、良いと思ったからです。」

と、萌子さんは答えた。

「はあ、今どき珍しいね。お姉さんとして、他の高校生よりも、ずっとすごいことをしていると思うんだけどなあ。それを、学校の先生は、怒鳴るのか。その先生は、異常だなあ。」

チャガタイが、彼女に優しくそういうことを言った。

「はい。私は、就職試験を受けたいのに、その前に、センター試験を受けろと怒鳴られて。センター試験は、この学校に居る全員の義務だからって。私は、そんなもの受けたくないのに。」

萌子さんは、泣き出してしまった。

「でも、私の家族も、せっかく藤高校に入ったんだから、学校生活を全うしてほしいと思っているみたいで、私は、学校にも行けないし、家にもいられなくなってしまって。それで、もう死ぬしかないと思って、電車に飛び込もうと思ったんです。」

「そうかそうか。もう泣かなくていいよ。お前さんは、弟さんにとっても大事な人だろうから、お前さんの就職したい気持ちは、間違いじゃない。でも、先生が、そういうふうに取ってしまうというのも、また事実だよな。人間、できることなんて、事実に対してどういう事を考えるか、しかできることはないんだから、それに対して、嬉しい悲しいとか考えることなく、何をできるか考えよ。」

杉ちゃんは、泣いている彼女を励ましてあげた。

「まずはじめに、高校を変わるべきですね。最終学歴は、もちろん、藤高校ではなくなりますが、就職した場合、あまりそれは関係ありません。学歴で人生は薔薇色と学校の先生は言いますが、それは、真っ赤な嘘だと思ってください。」

ジョチさんは、リーダーらしく、しっかりといった。

「でも、親や家族をどうやって説得したら良いんですか。親は、私が、藤高校に入った時、すごく大喜びしていたので、それを裏切るような真似はしたくないんです。」

萌子さんがそう言うと、

「そうですねえ。それは、弟さんの状態によると思います。弟さんが、障害が重くて、家族と暮らしているのであれば、ご両親も世話するのが大変だとわかっているはずです。弟さんは、どんな障害を抱えているのでしょうか?肢体不自由とか、そういうことですか?」

と、ジョチさんは、そう質問した。萌子さんは、それを恥ずかしそうに、小さくなって、でも答えなければ行けないという雰囲気になった事を察して、困った顔をした。

「でも、教えてもらえないかな。僕達悪いようにはしないから。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、とてもいいにくいことなんですが、弟は、とうしつなんです。」

と、彼女は小さい声で答えた。

「そうですか。」

ジョチさんは、反応を変えずにそういった。

「統合失調症ですね。何も恥ずかしがる必要はありません。恥じる病気でもないし、怖がる必要も何もありません。それより、弟さんの現在の症状はどうなのでしょう?」

そういう事をいわれて、萌子さんは、なんで何もいわないんですかという顔をした。

「ええ、何も言いませんよ。それが何だと言うのですか。肢体不自由が善で、精神疾患は悪という法律はどこにもありません。それより、弟さんがどれくらい、障害を織っているのかが、気になります。」

ジョチさんにそういわれて、萌子さんは戸惑った顔をした。

「俺たちが、反応を変えないので、びっくりしているんだな。精神疾患となれば、誰もが身を引く病気だからな。逆に兄ちゃんみたいな反応をされれば、誰だってびっくりするよ。」

チャガタイが、そう言って彼女を慰めた。確かにチャガタイの言うとおりなのだった。精神疾患といえば、みんな避けて逃げてしまうものだ。でも、ジョチさんは、何も態度を変えないのだから、驚いて当然だ。

「僕は、驚きませんね。精神病院を買収したことありましたからね。それは、患者さんのためを思ってやったことですし、何も違和感は感じませんよ。もう一度聞きますが、弟さんは、どのような症状を出されているのでしょう?」

ジョチさんが今一度そう言うと、

「はい。ずっと寝ています。それで、時々、窓の外で、女の人が見えると言って、泣きます。誰かに怪我をさせるとか、そのような事はないんですけれども、マンションの三階の窓に女の人が顔を見せるということは、まずできませんので、私達は、幻覚を見ているんだと思っています。」

と、彼女は言った。

「わかりました。お医者さんには、見せたんですか?」

ジョチさんが聞くと、

「はい。週に一回定期的に通っています。お医者さんには、比較的軽いほうだといわれますけれど、でも、薬は飲み忘れた事もないです。ですが、どうしても、女の人の顔が見えてしょうがないというものですから。」

と、萌子さんは答えた。

「そうですか。わかりました。確かに、弟さんには、そう見えるんですから、いくら周りが言ってもきかないというのは仕方ないことだと思ってください。まず、始めに、生活を支援してくれる専門家に見せることですね。よく、自分を大切にとか言いますけど、そういうところは、難しいときもありますよね。もしかしたら、弟さんに私の人生をとられたと、考えてしまうこともあるかもしれないです。でも、それもまた、あなたの人生何だということも、忘れないでくださいね。」

ジョチさんは、偉い人らしく、彼女を励ました。

「いつでも、そうできるとは、限らないかもしれないが、人間にできるのは、事実に対して、どうしたら良いかを考えるだけだ。それは、忘れないで、いきていってくれよ。それに対して、甲乙つけたり、嬉しいとか悲しいとか、そういう事を思うことができるのもまた人間なんだけど、それは殺して、事実に対して何をするか、考えることを頭に入れて生きていってくれ。」

杉ちゃんにいわれて、萌子さんは、ハイといった。

「わかりました。ありがとうございます。私の弟は、家族の支えが無ければ何もできないということはわかりますし、これからも、弟の世話をしていきたいと思います。もし、学校を変わったほうが良いと思うんだったら、私、変わってもいいですよ。そうしなければ、就職できないのなら、私、そうしなければいけないんだし。杉ちゃんさんが、教えてくれたとおり、嬉しいとか悲しいとか、そういう事を殺して、私は、事実をどうするか、に向き合うことにします。」

「さすが、若いねえ。そうやって、直ぐに、答えが出るんだから。若い人は、決断が早くて、羨ましいなあ。」

と、チャガタイが彼女を明るく受け止めた。深刻な決断かもしれないけど、彼女にはそうするしかないのだと思われた。

「そうですね。まあ、あなたが、そう決断できたとしても、親御さんがどう反応されるかのほうが、心配です。きっとあなたのように、すぐに、決断できることはないと思います。」

と、ジョチさんが、ちょっと不安そうに言った。

「あの、食べさせて頂いてありがとうございました。私、親にちゃんと自分の事を話してみますから、今日は、帰ってもいいでしょうか?」

と、萌子さんは言った。

「ええ、小薗さんに、あなたの自宅近くまで送らせますから、自宅の住所を仰ってください。」

ジョチさんがそう言うと、

「はい、富士市の久沢です。」

と言って萌子さんは、自分の住所を言った。

「じゃあ、久沢までお送りします。」

ジョチさんが、立ち上がると、

「兄ちゃん、一応、ついていってやりや。」

と、チャガタイが、急いで言った。ジョチさんは、わかりましたと言った。萌子さんは、ありがとうございましたと言って、席をたち、小薗さんの運転する車に乗り込んだ。心配だからと杉ちゃんもジョチさんも、乗り込んだ。車は、久沢へ向かって走り出した。

三人がついたところは、久沢にある三階建のマンションだった。彼女が住んでいる部屋の隣の部屋は現在入居人がいないそうなので、たしかに弟さんが外から見えている顔は、幻覚と言って良いかもしれない。

萌子さんは、ガチャリと玄関ドアを開けた。

「ただいま。」

と、彼女がマンションの部屋に入ると、お母さんと思われる女性が、すぐに彼女を出迎えた。

「おかえり。遅くまでどこに行ってたの?心配で学校に電話かけたんだけどとっくに帰ったというから。」

お母さんはちょっと苛立っている様子だ。

「お母さん、私、学校変わるから。あんなに、進学進学ってうるさく言う学校はもう嫌だから。真司のこと考えれば、私は、進学する意味がないじゃない。それより私は、はたらいて、真司も含めてみんなが幸せにくらせるようになりたい。」

萌子さんは、一生懸命そういったのだった。

「何を行っているの!萌子が、藤高校に行ってくれた事は、お母さんの楽しみだったのに!卒業しないだなんて。」

「だって、この偉い方が、そう言ってくれたわ。就職すると、学歴は無関係だって。私は、その言葉を信じて、今は働くことにする。そっちのほうが、進学に縛られた高校に行って、つまらない授業をするよりずっといい。真司にとってもそうでしょう。だから私、働くことにする。良いでしょう?」

萌子さんは、そう言うが、お母さんは、納得できない様子だった。

「真司は私が見るから、萌子は、大学に行ってもいいと言ったのに。」

と、お母さんは悔しそうに言うと、

「でも、今の状況だったら、私は、真司の面倒を見ている方が幸せだと思う。気まずい思いを背負って大学へ行くよりも、働いている方が良いわ。それにね、ここに居る杉ちゃんさんが教えてくれたの。人にできることは、事実に対してどうするかを考えれば良いんだって。良いとか悪いとか、そういうことは考えなくてもいいって。私は、それで、随分楽になった。だから、お母さんも、そう考えてほしいな。」

と、萌子さんは、にこやかに笑って、いったのだった。同時に、まだ青い声で、若い少年の泣いている声が聞こえてくる。

「あ、あの夕焼け、怖いよ。怖いよ!」

多分、その声が弟の真司くんの声なのだと思った。お母さんは、何をいっているの、と思わず怒鳴ってしまったが、

「怒鳴ってはいけませんよ。それより、夕焼けは怖いものではないと伝えてあげてください。」

と、ジョチさんが、そういった。しかし、お母さんはそれはできないようだった。何故か、そう思えないのだろうか。

「人間って、経験を経たやつほど、事実はただあるだけだってわかるもんだと思うんだけど、違うのかな?」

と、杉ちゃんがぼそっと言うほど、今の萌子さんとお母さんは、立場が逆転しているような気がした。萌子さんは、狭い玄関から部屋に飛び込んで、真司くんのいる部屋へ駆け込んでいった。多分、薬を飲ませるとか、そういうことをするのだろうな、と、杉ちゃんたちは、すぐわかった。

「どうしたら良いのでしょう。いつまでも真司は良くならないし、萌子は、高校を辞めるなんて言い出すし。」

お母さんは、ジョチさんと杉ちゃんに食って掛かるように言ったが、

「萌子さんが、真司さんを慰めて戻ってくることができましたら、彼女にお帰りと言ってやってください。」

と、ジョチさんはそう答えたのであった。杉ちゃんも、

「きっと夕焼けが怖くなくなる日も来るよ。」

と静かに答えた。




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おかえり 増田朋美 @masubuchi4996

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