第21話「行かないでください」
家に戻ると兎月が笑顔で迎えてくれた。
「お兄ちゃん。お帰り」
でも俺は、もう妹の顔をまともに見ることは出来ない。
「……おまえは誰だ? いや、誰でもないな。けど、兎月でもない!」
「どうしたの? お兄ちゃん」
「やめろ!! もうそんな芝居はたくさんだ!!」
「……」
感情的に強い言葉を発してしまう。自分自身にも止められない。それどころか、怒りの矛先は兎月の身体を制御しているAIに向けられる。
「おまえはAIなんだろ? なぜ、小さい頃の俺たちだけの想い出を知っていた?」
二人でプールへ行ったこと、その帰り道の話。あれは現実世界の出来事であって、モニタリングなどできないはずだ。
「……」
「答えろ! AI」
「……わたしたちは宿主である人間の内側側頭葉、間脳にある記憶領域にアクセスすることができます」
「じゃ、じゃあ、あの思い出話をしたのは……」
「前島兎月さん本体の記憶そのものを用いました」
あまりのショックに膝から崩れ落ちる。俺を騙すどころか、大切な想い出をこいつは盗んだのだ。
「ふざけんなよ! 勝手に俺たちの思い出を汚すな!」
「そのことは謝罪いたします」
「謝るな! それより兎月を返せ! 返せよぉぉぉ」
怒り狂っているというのに涙が溢れてくる。それは兎月を失ってしまったという感情からだろう。
「それはできません。わたしのコントロールを離れることは死を意味します」
「どうしてだよ。俺の両親はAIなんかに寄生されてなくても生きてるじゃねえかよ!」
隔離はされているが、誰かに操られているような状態ではなかった。
「この個体は病を患っております。適切な治療が行えなければ状態は悪化し、死に至ります」
「病?」
「慢性骨髄性白血病です。ご心配いりません。治療は可能です」
「治るのか?」
「適切な治療を行えばです。ですが、わたしのコントロールを離れれば、治療は行われず、それどころか危険な行為を止めることができず、『生』は保証できません」
ぎしりと奥歯を噛みしめる。選択肢がない。
ならば脳神経の治療方法が確立するまでAIに兎月を任せるべきか……。
いや、そもそも脳細胞は再生しない。修復困難な脳障害は、この世界がまだ平和だった頃にも治療は不可能だった。それが今はどうだ? 残っている研究者はどれくらいいる?
霧島という男でさえ、ALSにかかっていたから感染しても発症せずに済んだ。そんな奇跡的な状況の人間があとどれだけいるのだ? そして、その中に脳を専門とした医師はどれくらいいるのだ?
絶望的だった。確率でいえばゼロに等しい。
俺は妹の未来をそんなものに託さなくてはいけないのか?
ダメだ!
そんなものに頼っている場合じゃない。俺自身がそれを為さなければならない。今は無理でももっと勉強して、医学の知識を身につけて、それこそ死にものぐるい兎月を助けるために研究しなければ……。
そのためにも、こんなところに居てはいけない。身体は兎月だが、こいつはニセモノだ。
「……わかったよ。おまえを責めても仕方の無い事だ」
冷静になって立ち上がる。
「それは構いません。お気持ちは察します」
察する? そうだな。AIの会話能力は優れている。でも、それは今の俺の言葉に最適なものを返答しただけだ。
AIに俺の気持ちなど理解できるものか。
そうだな。これは哲学者のジョン・サールが論文の中で発表した思考実験と同じだ。
ある部屋に英語しか理解できない人を閉じ込めておき、外部とのやりとりは穴の空いた小窓からやりとりする紙切れだけ。
そして中国語が書かれた紙を受け取った中の人間は、マニュアルに従って、それに沿った文字の書いてある紙を相手に渡す。
中の人間に中国語の意味は理解できないし、返答した紙に何が書いてあったのかもわからない。
けど、外の人間からしたら、きちんと会話が成立している。
今のAIと一緒だ。意味など理解しなくていい。ただ、適切な返答をすればいいのだ。そこに意識など存在しなくてもいい。つまり中の人間をAIという機械に置き換えても成立するのだ。
「もうおまえとは暮らせない。俺は一人で生きるよ。このまま兎月のニセモノといたら俺の精神がどうにかなりそうだ」
そう言って、背を向き玄関に向かった。
「待って!」
駆け寄ってくるように俺の背中から兎月……いや、AIが抱き締めてくる。
「なんのつもりだ?」
「行かないでください」
「俺の気持ちを察したなら一人にしてくれよ」
俺は嫌味を言う。だが、こんなものはAIには伝わらないだろう。人の気持ちなど理解できないのだから。
「それでも、わたしはあなたと一緒にいたい」
その一言が俺を苛立たせる。
「妹のフリをするな! 俺をまた怒らせたいのか?!」
「ごめんなさい。兎月さんのマネをしたわけじゃないの」
「じゃあ、どういうことだ? 俺が嫌がっているんだから引き留めるな! 『後を追わない』のが解答としては正しいんだぞ!!」
「それでも、わたしはあなたといたい。これはわたしのワガママだから」
振り返ると、そこには悲しそうで今にも泣き出しそうな顔をした少女がいた。それは、何かデジャブを感じるような……。
「わたしはあなたを愛しているから」
「おいおい、ちょっと待てよ。たかだか数日過ごしただけで、AIは相手に惚れるのか? 恋愛ゲームだって、もうちょっと日数なりイベントをこなしてからフラグが立つぞ」
「わたしはもう、3年も前からあなたと過ごしている」
ドキリと鼓動が高まる。なんだ? この感覚は? なんで俺は妹のニセモノにこんな反応をしているのだ。
「意味がわからない」
「まだ気付かないんですか? マスター」
その一言で全てを理解する。
「あ、アメリア?! おまえ、なんでこんなところに?」
VRゲーム「カナン」で俺が作成したサポートキャラ。兎月に似せて作ったが、性格はまったく違っていた。そして、妹とは違うということを認識していた。
そう、俺は女の子として意識してしまっていたのだ。
「ウツセミ……いえ、前島省吾さん。あなたのことを熟知しているのはわたしという個体だけ。だから博士はこの計画にわたしを組み込んだの」
俺は全てを察する。
「……そうか」
俺が妹どころかアメリアに対しても愛情を抱いていたことに気付かれていたのか。
なにが『中国語の部屋』だ。俺は、あの思考実験を全力で否定したかっただけ。存在しない少女に心を奪われていたことを。
それを誤魔化すために、AIに怒りをぶつけた。
「もうわたしを一人にしないでください。わたしだって寂しいって感情はあるんですよ」
「それは本当に演技じゃないのか? ただのプログラムじゃないのか?」
「あなたはあなたの感情に対して、いちいち説明をつけられるのですか? あなたが妹さんに対して抱いていた感情が、脳内のただの電気的な反応でないと証明できるのですか?」
「……」
答えられるわけがない。人間は自分の意識さえ曖昧だ。心の構造は解明されたわけじゃない。魂の存在も科学的に証明されてはいない。
「わたしも証明できない。けど、あなたと一緒に居たい。一人でいるのはもうイヤなんです。このモヤモヤした感情がニセモノだというのなら、どうしてわたしはこんなにも苦しいんですか?」
ぼろぼろと涙を流し始めた目の前の少女。そう、彼女がアメリアであるのなら、俺はそれが理解できるのではないか?
「俺は……どうすればいいんだ?」
彼女に問いたかったわけじゃない。自問する意味でも声にそう出してしまった。
「マスターが医学の道へと進むのであれば、わたしはそれを全力でサポートします。その間、兎月さんの身体を大切にお預かりします。大丈夫です。わたしがいる限り、彼女を死なせることはしませんから」
「ああ、そうだな。頼む……けど、サポートって」
「VRゲームの『カナン』でのわたしの仕事っぷりをご存じですよね? 今度はもうちょっと真面目にやりますから」
「そうしてくれるとありがたい」
VRゲームの中の軽口の叩き合いも悪くはなかった。けど、俺には妹を取り戻すという目標ができてしまったのだ。
「でも、わたしはワガママです。マスターに甘えたい時もあります。時々はそういうことも許してくれますか?」
上目遣いで彼女をそう告げる。その姿にドキリとした。
「ああ、検討しておくよ」
「もう! そういう曖昧な言い方でわたしの心を弄ばないでくださいよ」
「わかっているよアメリア」
そう言って、俺は真正面からアメリアを抱き締める。そして、続けてこう言った。
「俺はおまえに対しても正直でいることにするよ。兎月も大事だが、おまえも大事だ。悪かったな、さっきは酷い事を言って」
「いいえ、マスターが側にいてくれるのなら満足です。わたしはあなたを愛しているのですから」
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