第18話「わたしじゃダメ?」
プールからの帰り道。
「お兄ちゃん覚えてる?」
夕陽をバックに、兎月が俺に振り返る。
「ん? 何をだ?」
「小さい頃、近所のプールの帰りにこうやって二人で歩いて帰ったの」
「ああ、そういえばあったな。あの頃はまだ俺に対して警戒心をもっていただろ?」
「そりゃ、いきなり知らない人がお兄ちゃんになったんだもん」
「おまえと仲良くなるためにプールに連れてったんだけどな」
「知ってる。帰りに一緒に食べたアイスの味もずっと覚えているよ。あの時からわたしはお兄ちゃんのことを信頼できるかなって思い始めたんだから」
はにかみながら兎月がそう告げる。
「あれからも、おまえの心をどうやって開こうかって苦労したんだけどな」
「そりゃいきなり仲良くなんてなれないって」
「そのあと、ゆっくりと時間をかけておまえの心を開いたというのに、中学に入った途端いきなり避けられるとか、マジ落ち込んだわ」
さらに中二病を発症し、俺を蔑んだ目で見るようになって、別の性的嗜好が目覚めそうになったのは秘密だけどな。
「思春期だし、わたしだっていろいろあったんだから」
「まあ、いいけどな」
俺がちょっと拗ねたように顔を背けると、その顔を回り込んでみるように正面に立ち、そしてこう告げる。
「ね、手つなごう?」
「え?」
思わず躊躇してしまう。
「兄妹なんだからいいでしょ? それとも恥ずかしいの?」
「恥ずかしいわけが……でもまあ、よく考えてみれば俺は20歳超えているし、おまえももう高校生くらいだろうが。子供の頃じゃないんだから」
「じゃあ、わたしのこと女として意識する?」
ドキリとする。が、すぐに俺は否定した。
「いやいやいや、それこそ兄妹じゃないか……」
「血は繋がってないんだよね?」
「そう……だが」
「じゃあ、何も問題ないじゃない?」
は? なんか話をすり替えられたような……。
「いやある……いや、ないか……いやいやいや、そんな小っ恥ずかしいこと」
俺の頭は混乱していく。
「周りには誰もいないのに?」
「そもそも、兎月は妹であって、カノジョじゃないし」
それは精一杯の強がりでもあるか。
「わたしのこと好き?」
「へ?」
思考が固まる。
「妹として」
フェイントをかけられた。これは完全にからかわれたな。
「そ、そりゃあ家族だし」
「じゃあ、かわいいと思う?」
「俺の妹だからな」
「じゃあ、女の子としては?」
「おいおい、からかうなよ」
「まじめに聞いてるんだけどな。わたしってかわいいのかな?」
「……かわいいとは思うよ。おまえが赤の他人だったら惚れてるかも」
そこまで言って失言だと気付く。
「ふーん、そうなんだ」
ニヤリと口元を緩め、したり顔の兎月。
「でも、家族だからな」
「ね、お兄ちゃん。今の人類の総人口はどれくらいだと思う」
兎月は急に真面目な顔でそんな質問を投げかけてくる。話題が変わりすぎてついて行けない。
「え? 唐突だな」
「真面目な話だからね」
直前にしたり顔していた兎月だというのに、妹が何を考えて発言しているのか、その意図がわからない。
「ウイルス感染が広がったとしても、致死率は低いんだろ? 80億以上はいたわけだから、なんだかんだいってそれくらいは生き残っているんじゃないか?」
「そうだね。過疎地とか未開拓地は人口が大幅に減ることはない。けど、文明は崩壊してしまったの。それだけの人口を維持できる施設も人材もほとんど残っていないよ」
「そりゃそうだろうな。重症患者は治療できない。なんらかの障害を持つ人間は、自然淘汰される」
「PKMの調べでは、現在50億近くの人間が残っているとも言われているの」
「まだそんなにいるのか、だったら復興するのにも時間は――」
「そのうち99%の人間は前頭前野に障害を受けて知能が低下している。いえ、人間性を失っているといった方が早いよ」
すっかり忘れていた。人類はウイルスとの戦いに勝ったものの。その代償は大きすぎた。
「そうだったな」
「この人口は100年以内に一億を切るどころか、ゼロになる可能性もあるの」
「ちょっと待て、ここには数千の人間が隔離されているんだろ? それに他の場所にも似たような隔離地区があるって」
「一番の問題は出生率の低下」
ま、そりゃそうか。人間性を失った者たちが9割以上。子を作れたとしても新生児の死亡率は原始時代と同レベルまで跳ね上がるだろう。つまり、ほとんどの赤子が成人になれないと。
かといって人間性を保った者の数は少ない。
「たしか近親交配のリスクを考慮すると、少なくとも1万から2万程度の人数が必要だって言われているか」
「そう、他の地区を合わせてもそれに届くか届かないかなの。でも今は、隔離地区同士の移動は認められていない。まあ、問題はそれだけじゃないんだけどね」
兎月が苦々しい顔で、現状を語ってくれる。
「そっか……人類は滅亡の危機にあるわけなんだ。けど、こうやってのんびり歩いているとそんなことさえ忘れてしまいそうだ」
「だからね……その」
急に恥ずかしそうにしながら下を向く兎月。妹のこの表情さえ、俺は何か勘違いしているのだろうか?
「なんだ?」
「兄妹とかそういうのはもう関係ないの。こういう世界だから……こ……子供を作っても問題ないってこと」
兎月がその言葉を言った瞬間に、顔を真っ赤にする。さすがに俺も、その意味に気付かないほど鈍感でもない。
「い……いや、その……」
「お兄ちゃん」
俺の左手に兎月の手が重なり、握りしめられる。
「わたしじゃダメ?」
そう問いかけられて理性は崩壊しそうになる。そもそも、VRのリアルワールドで俺は妹と一線を越えていた。
でも……。
うやむやになってしまったが、俺は兎月でないものと愛し合ってしまった。それは忌むべき事実。そして考えてしまうのが、ここもまた仮想な世界じゃないかという疑念。
夢から覚めて、またそこが夢の中なんてのはよくある話。
兎月のことは愛している。けど、それは嘘にしたくない。非現実的なものにしたくない。だから、せめて俺の気持ちをもう一度確かめたい。
そして、ここが本当に現実の世界なのかを知るべきであろう。
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