第17話「さわってみる?」


「ん? 何をだ?」


 兎月に忠告に苦笑いを浮かべたその時、わずかに獣のような独特の匂いを感じる。


「お兄ちゃん。動かないでね」


 兎月が持ってきたトートバッグの中から折りたたみの傘のような棒状のものを取り出し、それを伸ばすと1mほどの長さになる。それはよく見れば特殊警棒の形をしていた。


「何かいるのか? 野良犬か?」

「犬なら、まだかわいげがあるんだけどね」


 まさか、クマでもいるってのか?


 その時、がるるると低いうなり声がする。けど、これは獣の声じゃない。


 右隅の死角から、何かが飛びかかってきた。だが、兎月は冷静にそれに対処をする。


「ぅがああぁあああ!!」


 特殊警棒で打たれた瞬間、バチッと火花が散るような音がして、その後どさりと襲ってきたであろうそれは床に倒れる。兎月の持っていたのはスタンバトンか。そして……。


「人……か?」


 真っ裸で髪も髭も伸び放題。かなり濃い体臭が俺自身の嗅覚に不快感をもたらす。


「感染者だね。ここが隔離地区だとはいえ、100%処理したわけじゃないから」

「おいおい。危険じゃないのか?」


 それはまるでゾンビ映画ばりのシチュエーション。


「ちょっと興奮して襲いかかってきただけだよ……ちょっとまってね。PKMペーカーエムに連絡するから」


 そう言って兎月はスマホ……ではなく小型無線機のようなものを取り出す。


「こちらkcrtv4546。座標N5355E3574にてb20を確認。回収をお願いします。はい……はい」


 兎月がPLM本部に連絡を入れている間、倒れて気を失っている感染者を観察していた。年齢は40代くらい。


 どこかで見た顔だなと、ふいに何かの記憶が甦る。


「増谷先生……」


 その人は小学校時代の俺の担任教師だった。父親が再婚して新しく妹になった兎月のことで悩んでいた俺に、わりと親身に相談に乗ってくれた先生。


 まさかの再会……いや、こんなものは再会ではない。もはや、あの時の人格は残っていない。俺がどんなに感謝しようが、これはただの別人……人でもないのか。


「……リアです。あとのことはお願いしますね」


 兎月が連絡を終えて俺に向き直ると「水着売り場に行こ?」と何事もなかったかのように笑顔を向ける。


「大丈夫なのかよ? まだ感染者が居るんじゃないのか?」

「ここは二日前に調査が終わっているみたいなの。だから、たぶんはぐれ感染者にたまたま居合わせた感じ。さっきスキャンしてもらったら、わたしたち以外に生体反応はないって」

「それならいいけど……でも、今日みたいに感染者が見つかることはあるのか?」

「昔はよくあったみたい」

「危険じゃねえか!」

「最近は少ないよ。けど、だからわたしはこれを持ち歩いているの」


 兎月は格好つけるようにスタンバトンを水平に振ってポーズを決める。そういや、こいつ中二病を発症している時期もあったな。


「まあ、頼りにしているよ」


 妹に頼るなんて情けなくもあるが、この現実世界において、兎月の方が先輩ではあるのだからな。VRMMOでもベテランユーザーに頼るのが賢い生き方だ。


 その後、売り場に辿り着いた俺たちは散乱した水着から適当に選んで拝借するとプールに向かうことになる。


 世が世なら窃盗罪に問われそうなことなので、なんとなく背徳感はあった。とはいえ、この隔離地区を管理するPKMのお墨付きのものなので、兎月は罪悪感も感じていなかったようだ。


 ちなみに、どの水着を兎月が選んだかは教えてくれなかった。


「プールについてからのお楽しみだよ」


 耳元でそう囁かれてキュン死しそうになったのは内緒である。



**



 プールは貸し切り状態だった。


 更衣室に人はいなく、着替えてプールの方へ行ったらそこにも人の姿はなかった。


「まあ人口も少ないし、他のプールに行っているのか? あと、まだ午前中だし、暑くなってから来るのかも……」


 そんな独り言を漏らしながら兎月を待っていると、ビーチボールを抱えるように持って妹は現れた。


「お待たせ。今日は思いっきり遊ぼ!」


 兎月からビーチボールが投げられる。その瞬間に、隠されていた水着と肌が露出された。


 彼女が着ているのはビキニだが、その素材の見た目がおかしい。何か金属っぽい重厚さを持った……何言ってるのかわからないと思うが、その通りなのだから仕方ない。


「おま……それ?」


 思わず兎月が投げたボールを受け取り損ねる。


「もう! 何やってるのよ、お兄ちゃん」

「いや、だって、その水着というか、それ水着なのか?」

「あ、これ? コスプレっぽいけど、水着らしいよ」

「いや、どう見てもビキニアーマーだろ!?」


 思わずツッコんでしまう。そういや、こいつ昔、中二病だったな。こういう系を選ぶのもわからないでもない。


「見た目は鋼鉄っぽいけど、ただの合成樹脂だから」

「すっげーな。見た感じだと、どう見ても金属感がパネェぞ」

「さわってみる?」

「お、おお」


 思わず躊躇してしまうが、直に胸に触れるわけじゃない。


 恐る恐る手を伸ばして、表面の素材に手を触れる。触った瞬間、脳がバグりそうになった。見た目は金属だというのに、表面は柔らかい。まるでウレタンでできた素材のように。


 いや、むしろその下にある、兎月の胸の柔らかみが間接的に伝わってくるようにも思える。


 なので、思わず手を引っ込めてしまった。


「ね? 見た目とは違うでしょ?」

「あ、ああ。そうだな。けど、普通の水着と違って厚みがあるから、泳ぎには向いてないんじゃないか?」

「競泳するわけじゃないし、暑さ凌ぎの水遊びなんだから、いいんじゃない?」

「ま、そりゃそうか」


 元市営プール。それも子供向けということもあって、メインは中央にある流水プールだ。


 水深は60cmしかなく、本格的に泳ぐには端っこにある25mの競泳プールに行くしかない。


 とはいえ、貸し切り状態。水遊び程度の娯楽なのだから、流水プールを満喫するべきであろう。そうなれば兎月に着ているコスプレっぽい水着もアリといえばアリだ。


 そしてこのあと、俺たちはめちゃくちゃ真夏のプールを満喫した。



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