第16話「寂しかったんだから」


「ここがわたしが住んでいる街だよ」


 リハビリも終わって無事退院し、兎月に連れられて居住区へと行くことになる。


 本当に国家が消失し、文明が崩壊したのか? と思わせるほどの日常的な街並みがそこにあった。


 車が道路を行き交い、様々な年格好の歩行者とすれ違い、そしてオープンカフェの屋外テーブルには楽しそうに談笑する人々の姿が窺えた。


「ウイルスで世界は崩壊したんだよな? 俺、『どっきり』とかで騙されてないだろうな?」


 そんな疑問を兎月に投げかける。


「お母さんとお父さんの姿を見たでしょ? 人類のほとんどはあんな状態なの。ここにいる人たちは適合者ということで集められてきたんだよ」

「適合者? ああ、そういうことか」


 人類が繁殖するための選ばれた適合者。ようは陽キャ勢ってことか?


「お兄ちゃんとは違う適合者なんだけどね」


 ぼそりと兎月が気になる事を呟く。


「え?」

「そんなことより、わたしの住んでいるマンションに案内するね」


 ウキウキしているのが伝わってくるような兎月の笑顔。その表情を見ているだけで、こちらも嬉しくなってくる。


「自炊しているのか?」

「フードスタンプみたいなのもらえているから、外食とかデリバリーで済ませてる。ほら、スーパーとか食品素材を販売する店が閉まっちゃってるから実質料理ができない世界なんだよ」


 ちょうど目の前にあった建物が元スーパーマーケットらしきものがあった場所だった。今は入り口が閉鎖されている。物流のシステムも崩壊しているのだから、食材を入手するのもかなり大変なのだろう。


「そっか、そこらへんは変わっちゃったんだな。学校とかはあるのか?」

「学校という場所はないけど、オンラインで授業を受けられるし、何より必要最低限の知識はF-LINK経由でデ……知識を蓄積できるから」


 その後、数十分かけて兎月の住むタワーマンションへに到着する。


「ここってめちゃくちゃ家賃高いんじゃないか? いや、そもそも賃貸じゃないか」


 見上げた建物は地上50階以上はあるような高級マンション。


「ここらへんの区画の建物は誰かの個人所有のものじゃなくなったんだよ。センターから各住民に住居は振り分けられるの。まあ、どこに住めるかは運次第なんだけどね」

「めっちゃ、ツイてるな」

「うん。でも、部屋見たら、お兄ちゃん、もっと驚くよ」


 エレベーターに乗ると、兎月は最上階のボタンを押す。それには『52』という数字が記載してあった。


 玄関の扉を開けて部屋の奥へと行ったところで、あまりの光景に声も出なくなる。


「ね? 凄いでしょ」


 20畳以上はあるリビングダイニングに、そこからさらに一部屋以上はありそうなバルコニー。


 そこから見えるものは絶景だ。


 真っ青な空と穏やかな海。そして水平線まで見通せるほど。


「こんなところに一人で住んでたのか? 贅沢だなぁ」

「……けど、寂しかったんだから」


 急に兎月が後ろから抱きついてくる。妹の体温が直に伝わってきた。高まりそうになる鼓動を必死に抑えて心を落ち着ける。だからといって、鈍感を装おうなどと思ってはいけない。


 俺は兎月ときちんと向き合うために決意をする。


「悪かった。けど、もうおまえをひとりにはしない」


 歯の浮くような台詞を言ってしまったことは少しだけむず痒かった。でも、それ以上に兎月を失うような後悔はしたくない。


「……お兄ちゃん」


 ぎゅっと力を込めるように兎月の身体がさらに密着する。一瞬、理性を失いそうになる。


 けど、ここはVR世界ではない。


 兎月は大切な家族だ。



**



「お兄ちゃん朝だよぉ」


 カーテンが開かれ、眩しい日の光が目蓋越しに俺の意識を刺激する。とはいえ、悪い目覚めではなかった。


 目を開けばそこには兎月がいる。


 それだけで俺は幸せだった。


「……今日も暑くなりそうだな」


 電力の供給が不安定なので、エアコンは使用不可となっている。


 朝っぱらか、じりじりと熱が上がっていきそうな雰囲気であった。


「じゃあ、朝ご飯食べたらプール行く?」

「プール? そんな施設が稼働しているのか?」

「元々市営プールだったらしいけど、今はPKMペーカーエムの人が管理しているらしいよ」

「こんな世界じゃ娯楽も少なそうだもんな。まあ、暑いしちょうどいいか」


 隔離された地域で人口が制限されているのだからな。


「じゃあ、行こ!」

「水着とかあるのか?」

「近くに総合スーパーの跡地があるから、そこから拝借すればいいよ」

「拝借って……」

「ほとんど廃墟となってるけど、衣服はそこに置きっ放しなんだよ。食品類はPKMペーカーエムが優先的に接収したらしいんだけど」

「勝手に持っていっても問題ないと?」

「必要な分は接収されているから、ろくなものは残ってないけどね。けど、水着なんて、一番需要がないものだから、わりとごろごろ残ってそうでしょ?」

「そうなのか?」


 この新しい世界のことを知らない俺は妹に言われるがままに廃墟となった総合スーパー跡地まで自転車で行くことになる。


 隔離された地域自体が狭いのでエコロジーな自転車は移動手段として重宝されていた。まあ、ガソリンなんて精製できるどころか、この分だと原油すら手に入れるのが大変そうだからな。


 総合スーパーは、駅に連結されたような建物で、モールと呼ぶには狭いが、そこそこの専門店とスーパーマーケットが入ったものだった。


 とはいえ、廃墟と呼ぶに相応しい状態でもある。


 ガラス窓は全て割られ、商品棚は倒れている。あまり価値のない商品は床に散乱していた。


「えっと……水着があるのは3階かな?」


 そんな中、冷静に壁にかけられた案内図を見て兎月が独りごちる。


「大丈夫なのか?」

「地震があったわけじゃないし、建物の耐久度は問題ないよ。倒壊するわけじゃないし」

「そりゃそうか」

「けど、注意はした方がいいかも」


 兎月が不穏なことを言い出す。何があるというのだ?


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