第15話「……お兄ちゃん。大丈夫?」
目の前にあるのはガラスで仕切られた部屋。
両親と感動の対面とはならなかった。
「父さん」
見慣れた父親の姿をまず最初に見つける。だが、その姿は異様だった。
髭が無造作に伸び、髪もぼさぼさで血走った様な目にボロボロの服。
そして俺の姿を見た途端、こちらに駆けよって……いや飛びついてくるようにガラスに突進してきた。まるで獣のように奇声をあげる。
「んがぁああああああ!!!!」
中でさらに仕切られたそのすぐ隣の部屋では母さんがいた。だが、同じように俺に対して興奮したように暴れている。肌はボロボロ、手入れのされていない髪。表情は歪み、元の美人な顔立ちは消失していた。
「母さん……」
「がるるぅぅぅうう!!」
そういえば今回のウイルスは、脳の前頭前野に影響を与えると言っていたな。そこは理性を司る器官。両親の人間性は失われていた。その姿はまるで獣。
いや、ゾンビ映画に出てくるアンデッドようでもあった。
隣にいる兎月を見る。妹は悲しそうに両親を眺めるだけだった。
「……」
「治療薬はできたんじゃないのか?」
あの看護士はそう言っていた。だからこそ、俺はVR空間から戻って来れたんじゃないのか?
「ウイルスの増殖は抑えられる。けど、感染の影響で一度破壊された細胞は元には戻らないみたい」
そういえば脳の神経細胞は再生能力の乏しい組織だというのを聞いたことがある。つまり両親の人間性は失われたままだということだ。
「じゃあ、治らないのか?」
「ウイルス感染については治療済み。でも、脳障害までは今の医学では治しようがないって……」
「そうか……」
病人ではないから病室で診るわけにもいかないのか。だから隔離して生かしている。
今は治らないけど、将来的には治療方法が確立されるかもしれない。
「……お兄ちゃん。大丈夫?」
「ああ、予想していた状態とは違ったけどな」
ショックは受けているが、それでも心の平静を保てているのは兎月が側にいるおかげだ。唯一の肉親……血のつながりはないが、それでも最愛の存在がいることは俺の心の支えとなっていた。
「戻る?」
「そうだな。会話ができないのなら、俺がここにいても意味はない。今は両親が生きていたということに希望を抱くことにするよ」
「ポジティブだね」
「悲観的に生きていても仕方ないだろ?」
「そうだね。わたしもお兄ちゃんが目覚めてくれただけでも、すごい嬉しかったから」
顔をあげた兎月の微笑みが胸に染み入る。俺は妹がいればもう何も望まない。
**
「リハビリ頑張ってますね」
目覚めた時に最初に見かけた看護士の人に声をかけられる。胸に付けられたネームプレートには『本郷成美』と書いてあった。
「体力が落ちちゃってるので長時間はキツいですけどね」
「もう少し頑張れば、妹さんと一緒に上で暮らせるようになりますよ」
「そんなにすぐ退院できるんですか?」
「前島さんは病気ってわけではありませんからね。そもそも新型ウイルスには感染されていませんし」
「そういえばここの居住区画って、何人くらいの人がいるんですか?」
「現在5874人の方がいます。前島さんが加われば5875人になりますね」
「そんなに居るんですか」
「ええ。なんとか文明を維持しようと集結させましたから」
予想より多くて驚いた。国家が破綻するくらいなのだからせいぜい数百名とか思っていたのだ。まあ、これだけきちんとした設備がある場所なのだから、それぐらい居ないと維持も難しいだろう。
とはいえ、俺はここ数週間で看護士や妹以外の人間を見ていない。
「俺以外の患者……じゃないか、VRから目覚めた人はどうしてるんですか?」
「……まだほとんどの方はVRの中にいらっしゃいます。段階的に目覚めさせていく予定ですが、成功した適合者が今のところ前島さんくらいしか見つかっていないんです」
そう言われると、まるで目覚めることに資格があるようにも思えてしまう。
「適合者?」
「ええ、『目覚めて現実世界で生きていけるかどうか』です」
ずいぶんと条件が緩いな……。
「いや、現実世界で生きていけるかどうかなんて、誰でもできるんじゃないですか? そもそもVRゲームに入る前は現実世界で暮らしていたんですから」
「博士の推奨する適合個体には、生殖行為も含まれています」
「せ……」
エッチして子作りできるってことか? まあ、世界が崩壊してしまったのだ。再び繁栄することこそが優先事項となる。
そうなるとVRから目覚められない奴らってのは、異性と付き合えないような陰キャばかりなのだろうか? 元のゲームのジャンルからいって、そういう人間が少なくないってのは否定派できない。
かといって、俺自身は妹を愛するような変人だ。目覚めさせる人間としては、不適切ではなかったのだろうか?
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