第14話「えへへ、そうだったね」


 両親の安否について、兎月は曖昧な答え方をする。


 その態度に不穏な空気を感じてしまう。なんとなくだが、事情を察してしまった。


 俺は気分を変えるために、明るく質問をする。


『この病院は家から近いのか?』

「ううん、東京の実家には戻れないの。今はここに住まわせてもらっているんだ。この上に居住区画があるから」

『大変だったんだな。じゃあ、ここらへんは住所的にはどのあたりなんだ?』

「ここは元千葉県の浦安のあたりだよ。周辺の橋をすべて落とすことで行徳と妙典を含めた完全な隔離エリアを作ったみたい」


 そういえばその辺りは中州があり埋め立て地でもあったか。たしかに橋をおとせば外部からの交通はシャットアウトでき、天然の要塞となる。


『なんだよ。近くにテーマパークがあっていいとこじゃん』


 俺は話が深刻にならないように戯けた。


「もう、そのテーマパークはないけどね」

『そりゃそうか。感染が拡大してるんだもんな。従業員どころか経営者も無事かどうかもわからない』

「……」


 兎月はただただ苦笑いする。


『そうだ。父さんと母さんは来られないのか?』


 その質問に、兎月の返答が再び曇る。


「……お兄ちゃんが歩けるようになったら会いにいけるよ」


 兎月の遠回しな言い方は、たぶん俺の予想通りなのだろう。


『ということは、例のウイルスに感染して隔離されているのか?』

「うん」


 兎月はコクリと頷いた。


 事態はかなり深刻なようだな。そりゃそうだ。さきほどの看護士の話では国家自体が崩壊したと言っていたからな。


『そうか。俺がVR世界に浸っている間に、世界はだいぶ変わってしまったんだな』


 あまりの世界の変わりように、俺は絶望さえ感じそうになる。


「そうだ。お兄ちゃんが好きだったアーティストの音楽データを持ってきたよ」


 落ち込みそうになった俺に気を遣ったのか、そう言って兎月は部屋の隅にあるコンソールパネルを開き、データ転送を行う。


 それはベッドに備え付けのスピーカーから馴染みの音楽を流すことになる。病人には相応しくないようなノリノリのリズム、そしてヘタウマな歌声。


『病室で音楽なんか流して怒られないか?』

「個室だし、大丈夫。先生の許可も取ってあるよ。お兄ちゃんこの曲好きでしょ?」


 ヴァーチャルアイドルの歌うその曲は、とても懐かしくも感じた。


『俺が好きってより、兎月が最初にこのアイドルにハマったんだろ? よく踊りながら歌真似してたじゃないか』

「えへへ、そうだったね」


 まだ小学生だった兎月が、アイドルに憧れて見よう見まねで毎日のように歌っていた。


 兄妹であるがゆえの共通の記憶。まぎれもなく現実世界に帰ってきたことを実感する。そういえば、VRのリアルワールドでは、妹とのこういう絡み方はなかった。


 長い間寝ていたというが、3年前のリアルな兎月は中学生だったな。それからずっと、VRの世界の兎月をずっと妹だと信じていたのだ。


 AIの進化のおかげで人間と変わらない会話が可能……どころか、性格まで妹を完全にトレースしていた。


 あれ?


『そういえばおまえ、俺のこと避けてなかったっけ?』


 感動の再会ってのは、少しだけ違和感が残る。


「……」


 兎月が再び涙を流し始めた。


「悪い、なんか変なこと言ったか?」

『ずっと眠っているお兄ちゃんを見ていて、わたし気付いたんだよ。わたしがお兄ちゃんを避けていたのはお兄ちゃんが好きだったから。でも兄妹だから、意識しないようにしてたけど、無理だったからわざと避けてたんだよ』


 デジャブ。いや、そもそもこの反応こそが真実だったのだ、そんなことは妹をきちんと見ていればわかったはず。単純に俺が嫌いで避けていたわけではないだろう。


――痛っ!


 ずきりと頭が痛んで顔が歪む。まるで思考を遮るかのように。


「お兄ちゃん大丈夫?」

『ああ、平気だ』

「起きたばかりだから長い面会はできないって言われてたんだ。ごめん、また明日来るね」


 兎月はそう言って、俺の手を握りしめた。妹と触れあうだけで痛みは和らいでいく。


「ああ、また来てくれ」




**



 リハビリを重ねて1週間。喋れるようになり、さらに専用の機械のおかげで歩けるようにもなった。とはいえ、まだ筋力は通常通りまでは戻っていない。


 若干の身体の重さを感じながらも、病室を出て妹と一緒に食堂で昼食を摂る。


 とはいえ、それは味気ないものだった。


 例えば目の前にある豚汁。見た目も具も食感も慣れ親しんだ食事だというのに、味はぼやけた感じがした。病室でのいかにも病人向けの食事からのグレードアップしたかのように思えただけに落胆する。


 たぶん、病院内の食堂だし、味付けは病人に配慮して薄味にしてあるのだろう。


「兎月。おまえも無理して病人食に付き合わなくてもいいぞ」

「え?」

「味薄いだろ?」

「そうかなぁ? でも、お兄ちゃんと一緒に食事を摂るのがいいんじゃん。一人で食べてても味気ないでしょ?」


 まあ、家族で食事をするのは基本だし、その方が楽しいよな。


「そうだ。俺もこうやって歩けるようになったし、父さんと母さんに会いたい……いや、様子を窺いたいんだが」


 感染したというのは察することができる。兎月の態度からたぶんベッドに寝たきりなのだろう。


「うん。お兄ちゃんが会いたいなら、会わせてもいいって先生は言ってるけど……」


 歯切れの悪い妹の言葉に、僅かな不安がこみ上げてくる。


「なんだよ。そんなに悪い容態なのか?」

「お兄ちゃんがショックを受けないかって心配なの」

「喋れないんだよな?」


 最悪、植物人間状態を想像していた。


「……」


 兎月は神妙な顔でコクリと頷く。でもまあ、それなりに覚悟はできていた。


「連れてってくれ。俺は大丈夫だ」

「でも……」

「おまえが居てくれるなら大丈夫だよ」


 兎月がいるなら平気だろう。そもそも、妹の方が先に両親の状況をわかっていたんだ。俺よりもつらかったんじゃないか? 俺が側に居てやれなかったのが悔やまれる。


「わかった。お兄ちゃんがそう言うなら」


 俺は妹の案内で、両親が居るというQエリアまで付いていく。


 エレベータで地下まで降り、IDカードが必要な警備員がいる頑丈な扉を過ぎ、さらに階段で数階降りた場所で妹がこちらを振り向く。


「お兄ちゃん。本当に大丈夫だよね?」

「あ、ああ」

「この扉の中にお父さんとお母さんはいるの」


 兎月が指し示すその扉は鉄製の思い扉。それは病室の扉とは思えない禍々しさを感じさせる。


「ああ、覚悟はできている」


 俺の言葉を確認すると、妹は手のひらを扉の右側にある緑色のセンサー部にかざした。


 ガッシャンと重い鉄の音とレールを動くモーター音がして、その扉は開いた。

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