第13話「安心してください」


 目が覚めると見えるのは知らない天井。


 身体がやけに重く、口内が乾いているかのように舌が貼り付いている。


 ここはどこだ?


 言葉には出していないが、その心の声に応じたかのように一人の女性が現れる。


「目覚められましたね。気分はいかがですか?」


 白衣を着たその女性を見て、即座にここが病院であると理解する。


「……ぁぉ……ぅあ」


 声がうまく出ない。まるで喋り方を忘れてしまったかのようだ。


「今、F-LINK経由で意志伝達アプリをインストールしますから、喋らなくても大丈夫ですよ」


 数秒後、頭に浮かんだ言葉が口を動かさなくても発せられる。


『ここはどこですか?』


 それに対して看護士と思われる女性が答えてくれた。


「ここはペーカーエム第七病棟です」

『ペーカーエム?』


 聞き慣れない言葉に戸惑う。


「Plan zur Komplementaritat der Menschheitの略です」


 なんとなくドイツ語っぽさを感じる。意味はわからないが、ここは日本ではないのか? そんな素朴な疑問が浮かんできた。


『ここは日本じゃないんですか?』

「そうですね。その質問にはこう答えるしかないですね。かつて日本であったと」」


 意味深な言葉を返す看護士に、背筋がゾクリとする。


『どういうことですか? 戦争でもあったと?』

「いえ、戦争などありません。現在、世界中の国家というシステム自体が崩壊しています」

『ますます意味がわからない』


 寝起きで頭が働かないというのもあるが、それ以上に俺の知っている常識を覆すような事実を教えられて混乱していた。


「3年前に流行った未知のウイルスによって、人類の9割以上の人々が感染しました」

『まさか、それで人類は滅亡したと?』

「いえ、滅亡はしていません。ただ、文明は崩壊しました」

『……』


 理解できない。何が起こったというのだ?


「未知のウイルスは脳機能を著しく低下させます。前頭葉の脳細胞を破壊し、人間らしさを喪失させました」


 その説明が何を指すのか、すぐに理解できる。つまり、前頭前野に脳障害を起こせば獣と同様に本能のみでしか行動できなくなる。


『そんな……』


 絶句する。いや、そもそも喋れていないのだから、その例えはおかしいのかもしれないが。


「幸いですが、未知のウイルスに罹患されない人々もいましたので、その人たちを優先的に保護しているのがこの施設なのです」

『俺は、ずっとVRゲームをしていると思っていたが』


 未知のウイルスが流行していたというニュースは知っていた。だが、ここまで深刻な事態になっているとは思わなかった。


 そもそも、世界規模で流行しているウイルスに俺はなぜ感染していないんだ?


「ウイルスはVRゲームにログインしているユーザーには感染しても発症しませんでした。ゆえに、保護目的であなた方にはゲーム内に止まってもらっていたわけです」

『ゲームをしているだけで発症しない? そんなことがありえるんですか?』

「脳の機能を使用すると感染しやすく、発症しても症状が悪化するようです」

『とある機能?』

「補足運動野。身体運動に関わる機能です。ですから、下半身不随で動けない人や植物状態の患者も発症しないことがわかっています」


 俺は眠ったような状態でゲーム内に居たから安全だったのか。


『だから、VR内に閉じ込めたんですか?』

「そういうことです」


 悪びれた様子もなく即答される。が、国家が崩壊するような状況下での緊急措置なのだろう。


『でも、そんなことが可能なんですか? ゲームをログアウトさせたら発症してしまうじゃないですか?』


 いくら廃ゲーマーでも一日中ログインしているというのはキツい。


「そこで考えられたのが現実世界をVRゲームとすることで、ユーザーを現実世界に戻さないというシステムでした。もともと現実世界を模したヴァーチャルワールドは開発中でしたので、そのデータを流用させたようです」


 なるほど、現実世界というVR世界を作ることで、擬似的にログアウトしている感覚を作るのか。


 そんな映画があったな。現実だと思っていたのは実は虚構だったという。


 ……ん? そういえば、看護士の説明に何か違和感を抱きもした。


『俺と同じようなユーザーはどれくらいいるんですか?』

「前島さんのように症状を抑え込めたユーザーは現在3489名です」

『それしか……いや、でも、俺が現実世界に戻ってこれたってことは治療薬ができたってことなんですよね?』

「ええ。そうですよ。安心してください」


 俺はほっと胸をなで下ろす。未知のウイルスに今回も人類は勝利したのだ。だが、同時に疑問が浮かんでくる。


 看護士にその疑問を質問しようとしたちょうどその時、入り口から一人の少女が入ってきた。


「お兄ちゃん」


 忘れるはずがない、それは最愛の妹の兎月。


『兎月』


 涙が溢れてくる。だが、起き上がろうとしても起き上がれない。身体が言うことを利かないのだ。


 それを制止するように看護士がこう告げる。


「まだ安静にしていてください。寝たきりだったので拘縮が起きています。明日から専用の機械でリハビリしましょう」


 そういや、俺はずっとVR世界に居たんだったな。


「それから、せっかくの肉親の再会なのですので、私は席を外しますね」


 気を利かせてくれたように、看護士はそう言って部屋を出て行く。


「お兄ちゃん。やっと目覚めてくれたんだ」


 兎月が近づいてきた。彼女の目にも涙が浮かんでいる。


『俺はどれくらい寝ていたんだ?』

「3年近くだよ。本当に心配したんだから」

『父さんと母さんは生きてるのか?』

「……」


 兎月が黙る。


『俺が寝ている間に亡くなったのか?』

「……亡くなってはいないよ」

『じゃあ、元気でいるんだな』

「……」


 再び兎月が顔を俯かせる。まるで答えを拒否するかのように。


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