第7話「わたしは嫉妬したけどね」


「お兄ちゃん。明日と明後日ヒマだよね」

「……え?」


 黙々と夕食を食べているとき、兎月がそう話しかけてきた。あれから妹はゲームの件に触れてこないのが幸いだった。


「どうなの?」

「ヒ、ヒマだけど」


 大学は夏休みだし、サークルすらまともに入っていないから用事なんてあるわけがない。ゲームの方も大きなイベントが終わっているからな。


「……よかった。ゲームやるからヒマじゃないって言われたらどうしようかと思った」

「……」


 まあ、そう思われてもしかたないよな。


「明後日、近所のショッピングモールに行くから」

「へ?」

「決定事項。たまには妹の荷物持ちとか、お昼奢ってくれるとか、お兄ちゃんらしいことしてよね」

「え? おい。なんで急に」

「部活でお世話になってる先輩の誕生日がもうすぐなの。何買ったらいいか悩んでるから、その相談のついで」

「でも、おまえと一緒に出かけると……」

「文句は言いたくないから、ちゃんとお風呂入ってきれいにして、無精髭を剃って、身だしなみを整えて、一緒に歩いて恥ずかしくない格好をしてね」

「そりゃ、人の多い場所に行くなら多少は気をつけるけど」

「多少じゃダメ。あと、美容院に行ってカットしてもらってきて、これも決定事項」

「び、美容院? 俺、そんなとこ行ったことないぞ。駅前の無人散髪所じゃだめなのか?」

「ダメ! 完璧にお洒落になってもらわないと、恥ずかしくて隣歩けない。それにもう、わたしが予約しておいたから」

「マジかよ……」


 徹底しすぎてるな。


「美容院は明日の9時だから忘れないでよね」

「別に無理に一緒に出かけなくても……」

「……」


 俺のその返答に睨み付けるように見つめる兎月。


「わかったよ」

「よろしい。ごちそうさま。お兄ちゃん、食べ終わったらちゃんと食洗機の中に入れてスイッチ入れておいてよ」

「ああ……あ、兎月」

「なに?」

「……」


 アメリアと抱き合ってた時のことを見たか? なんて聞けるはずがない。


「いや、なんでもない」

「そう」


 兎月はそのままリビングを後にする。


 そりゃ、妹とのお出かけは嬉しくもあったりするが、そのための準備が大がかりすぎる。


 兎月が何を考えているかわからないが、仲直りするチャンスでもあった。


 でもなぁ、アメリアとの件はどう言い訳しよう?


 あー、問題が山積みで頭が痛くなってくる。


 いっそのことアメリアに妹のことを相談するという手もあるよな。あいつ、AIとは思えないほど人間臭いし、頭の回転はさすがに速いからな。


 食器を片付けると部屋に戻り、鍵を閉める。兎月が勝手に俺の部屋に入らないようにだ。これ以上、アメリアとのことを見られるわけにはいかない。


 ケーブルを首筋にあるF-LINKへと接続する。いつも、ぴりっと舌の上で甘い味がするのが特長だ。電子データというのは甘いのだろうか? そんな風に思ってしまう。


【ようこそ『カナン』の世界へ】


 ログイン画面のあと、前回ログアウトした宿屋の中から始まる。そして、側にいるのはアメリアだ。


「マスターが逃亡してどうするんですか?」


 少々あきれ顔の彼女に出迎えられる。前回は兎月の件もあって、急いでログアウトしたからな。


「に、逃げたわけじゃないって」

「正規の手順でログアウトできなかったので、ペナルティ付いてますよ」

「げ! マジかよ」


 そういえば、なんかエラー出てたっけ。


「ま、いいですけど。都市間戦争、そろそろ飽きてきましたし」

「戦争に勝って『おいしい狩り場』でレベルアップする予定だったのに……」


 計画が狂ってしまった。


「まあいいんじゃないですか? 今回の戦争はお休みってことで。のんびりスローライフしましょうよ」


 元凶であるアメリアにそう言われるとムカついてくる。


「もとはといえばおまえが変なことするから」


 兎月を挑発するように俺に抱きついてきたのだから。


「あれは愛情表現ですってば」

「完全にからかってただろ!」

「からかってませんよ」

「じゃあ、なんだよ?」

「そうですね。嫉妬……ううん、独占欲かな」

「は?」

「わたしもショックだったんですよ。自分の姿形が、マスターの思い人だったってことに」

「……」


 ドキリとする。


 けど……こういう反応は萌えるよね? って、制作側も意図的にプログラミングしたんだよな?


「なんだかんだいって、わたしマスターのこと好きなんだなって……きゃはっ! 改めて思ってしまって」

「ちょっと待て。サポートキャラのその好意って、作られた時に刷り込まれるようなものじゃないのか?」

「そりゃマスターに好意を持つのは基本的な人格に組み込まれますけど、好意と愛情は違いますよ」

「一緒だろ?」

「わたしはマスターを愛してます」

「待て待て待て……な、何を言っているんだ?」


 まさか自我が芽生えたとか言わないよな?


「わたしの正直な気持ちです」

「おまえ、俺に対してそんな態度をとってなかっただろ? からかってるのか?」

「好きだから、愛しているからこそ、マスターにはその裏返った行為をしてしまうのです。ほら、マスターだって、子供の頃、好きな子をいじめたり、からかったりしたことありますよね?」

「ねえよ!!」

「えー?! でも、わたしはそういうタイプなんです。ライバルが現れてようやく自分の正直な気持ちを伝えることができたんです」

「お、おまえ、AIだよな。誰かが操作しているわけじゃないよな? まさか、兎月が操作しているってことは」

「それ、傷つきますよわたし」


 寂しそうに目を逸らすアメリア。今までこんな態度をとったことがない。いつもなら、適当に緩い言葉でごまかすか、重箱の隅を付くようなツッコミで俺をからかってくる。


 なのに今の彼女は、俺の何気ない言葉に落ち込んでいるようにも思える。


 そんなアメリアを見たくなかった。なぜか心が痛くなる。でもこいつはゲームキャラじゃないか。人間ではない。


 それに俺は兎月のことが……。


「すまん。頭冷やしてくる。今日はおしまいだ」

「もうお別れですか?」


 アメリアが名残惜しそうな、そして悲しそうな顔向ける。


「ログアウトするだけだ」

「今度はいつログインします?」

「決めてねーよ。というか、ゲームする時間くらい好き勝手にやらせてくれ」


 ついいつものクセで荒っぽい言葉を使ってしまう。でも、それを聞いたアメリアの表情を見て再び心が痛む。


 無理に笑おうとして笑えてないのがわかってしまう。そんな細やかな表情さえこのゲームは再現してしまうのだ。


 なんだよこれ? リアルの女の子みたいじゃないか。


 俺は再び、逃げるようにログアウトした。


 情けないな……ずっと逃げてばかりじゃないか。



**



 その日の朝の目覚めはあまりよくなかった。昨日眠れなかったせいもあるだろう。妹のことやアメリアのことを考えてしまったからだ。


 そのせいか視界にノイズが走る。


 首にある接続端子は特殊加工がしてあり、水に浸かったところで問題はない。だが、端子が剥きだし状態だと、微弱な電波を拾ってしまい、それがノイズを拾うことがある。稀にだ。寝不足のせいだろう。


 もちろんそれを防ぐためのカバーはあるのだが、面倒くさいので付ける事はあまりない。生活に支障が出るほどではないので、そこまで神経質になるほどでもないだろう。


 今日は兎月が予約してくれたという美容院に行かなくてはならない。


 普段は駅前の自動散髪場に行っているので、人の手で切ってもらうのは何年ぶりだろうか?


 首筋を人の手が触れるので念のため、首筋にある端子に普段はつけないカバーを付けておくか……と、その前に。


「マップを開いてくれ」


 部屋に備え付けの端末にそう呼びかけると、現在位置が表示される。それに妹が予約してくれたという美容院のアドレスを入れると、そこまでの道順が示された。


 ケーブルを首筋に繋いで、そのマップをコピーする。


 最近は、自動歩行アプリケーションというのがあって、これを入れておくと目的地まで何も考えずに歩いて進んでくれる。


 身体の制御をプログラムに任せるなんて「とんでもない!」という人もいるが、そもそもVRゲームでプログラムの制御を受け入れているのだ。


 そんなの今さらじゃないかと、個人的には思ってしまう。


 そもそもこのアプリは、下半身不随の人が身体の制御を行えるようにと作られたシステムの延長上にあるもの。そこまで得体の知れないものでもないだろう。


 うつらうつらと半睡眠状態でも、身体が勝手に動くというのは妙なものでもある。


 とはいえ寝不足の日には最適な機能であった。


 そのおかげで目的地に着く前に本当に寝てしまって、起きたらすでにカットが終わっていたというオチである。


 まあ、事前に妹が予約をしていたし、どうカットするかもオーダーされていたので、眠っていたところで問題はなかった。


「お客さま、いかがでしょう」


 鏡に映った顔を見る。ボサボサっとした垢抜けない髪型は、プロの美容師の腕前によって、かなりイケてる姿へと変わった。


 無人機械でカットするような画一的なものではない。あれは「テンプレ」という言葉がぴったりなくらいな無個性な髪型だ。


「あ、いいですね。問題ないです」


 当たり障りのない返答をする。兎月の行きつけの美容院であるだろうし、あまりおかしなことは言えない。実際、カットする前の自分が別人であるかのような変わりようである。悪くはないのだ。


 店を出る。どこかで遅い朝食でも摂ろうかと飲食店を探そうとするが、眠さが再び襲ってきた。


 これは直接家に帰って一眠りしてから朝食を摂るべきだろうと、再び自動歩行アプリケーションを立ち上げたところで、視界にノイズが入る。


「……」


 一瞬だけ、こめかみ辺りに鋭い痛みが走った。よくあることなので、気にする必要はない。


「お兄ちゃん」


 後ろから声をかけられる。


「え?」


 振り返ると兎月がいた。最近は外で会っても声をかけてくることもなかったので驚く。


「何ぼーっとしてるの?」


 兎月にそう問いかけられた。


「え? いや、ちょっと寝不足でさ。さっきもおまえが予約した店で爆睡してたし」

「美容院のこと?」

「そうだけど」

「それ昨日の話じゃないの?」

「は? 何言ってるんだよ。ほんの数分前にカットしたばかりだぞ」

「……何言ってるの? お兄ちゃん」


 苦笑いする兎月の表情に違和感を抱く。


「は?」

「一緒に家を出たでしょ? お兄ちゃんずっとわたしの側にいたけど」

「……」


 ちょっと待て。どうなっている? まさかカットしたのは昨日のことで、そのあとずっと俺は眠っていたというのか?


 自動歩行は現在地と目的地を行き来するだけのシステムだ。昨日、カットの後に家に辿り着いたとして、今日妹と一緒に出かけた記憶がないのはなぜだ?


 俺はAR(拡張現実)システムを起動させて視界の片隅に現在日時を表示させる。


【8/4 14:20】


 兎月が俺に美容院に行くように告げたのは8月2日だ。そしてカットに行ったのが8月3日。今が8月4日なら、妹が言っていることの方が正しい。


 寝不足がここまで影響したのか?


「……お兄ちゃん?」


 不思議そうな顔で俺の顔を覗き込む兎月。


「ああ、悪い。寝不足で頭回ってなかったよ」


 とっさにそう言ってごまかす。とはいえ、納得しているわけではなかった。


「まあいいけどね」


 興味をなくしたように、その件で妹のそれ以上のツッコミはなかった。話題をリセットするという意味で、無難な質問を投げかける。


「なあ、それより予算はいくらまでなんだ?」

「予算? ああ、先輩へのプレゼントね。そうだなぁ、千円くらいかなぁ」

「そういや、どういう人なんだ。そいつの性格とか趣味嗜好がわからないとアドバイスはできないぞ」

「高城先輩は……二年上の男の先輩で……うーんと、そうだなぁ、雰囲気はお兄ちゃんに似てるかも」

「は? 俺?」


 しかも男だったのかよ。なんだろう……このモヤモヤは。


「ちょっと抜けてて、人畜無害でオタクっぽくて……あ、でもお兄ちゃんと違って面倒見はいいよ」


 俺も昔は面倒見いいほうだったんだけどな……妹に関しては。


 沸き上がってくる負の感情。妹がその先輩にプレゼントを贈ること自体にわずかな不快感を抱いている。だからなのだろうか、思わず聞かなくていいことを聞いてしまった。


「そいつのこと好きなのか?」

「は? 何言ってるのお兄ちゃん」

「……いや、だから、それによってプレゼント自体も変わってくるだろう。その先輩に気に入られたいのかって」


 思わず誤魔化してしまう。いかん、本音がダダ漏れしそうだ。


「あ、そういう意味。お兄ちゃん、わたしが先輩にプレゼントをあげるものだから嫉妬してるのかと思ってた」


 兎月には見透かされていたようだった。そう言いながらも、疑いの目を俺に向けている。


「ちげーよ!」

「わたしは嫉妬したけどね」


 心臓が停止しそうになる。それは不意打ちだ。


「……」

「お兄ちゃんのお気に入りのアメリアって子、ゲームの中のキャラとは思えないよね」

「……」


 観られていたのはわかっていたが、今のタイミングでその件に触れられるとはな。


「わたしがお兄ちゃんを避けていたのは……兄妹だから……好きになっちゃいけないと思ったから」

「え?」

「お兄ちゃんがゲームに夢中になっているのは別によかった。下手にカノジョなんか作られるよりはね」

「おいおい、いくら俺がモテないからってからかうのも……」


 「いい加減にしろよ」という言葉は言えなかった。なぜなら、兎月がいきなり抱きついてきたからだ。


「わたしの方がずっと前からお兄ちゃんのことが好きだった。だから悔しかったの。たかがゲームのキャラだってわかっていても、獲られるのがイヤだったの」


 なんだよ……両思いだったんじゃねーか。今まで苦労して……って、これ夢じゃないよな?


 時間がいつの間にかスキップしていたのって、単純に俺が寝不足でブラックアウトしていただけだよな?


「……」

「ねぇ、お兄ちゃん。わたしとアメリアって子のどっちが好き?」

「バカ。アメリアはただのサポートキャラだ。あいつがおまえに似てるのは、俺がそうしたかったからだ。察しろよ」


 すげえ恥ずかしいことを告白してしまう。いや、恥ずかしいじゃなくて「キモい」ことか。


「お兄ちゃん……」


 潤んだ瞳が俺を見上げる。そして俺は……。



 ブラックアウトした。

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