第6話「おかえりなさいませ! ご主人さま」


 母親は10年前に亡くなった。まだ俺が10歳の頃だ。


 それから3年ほどして、父は再婚する。新しく母親となる人には連れ子がいた。それが兎月うづきである。つまり血は繋がっていないのだ。


 妹は俺よりも4歳年下で、その頃はまだ小学生だったと思う。


 兎月うづきに初めて会った時、彼女は母親の後ろに隠れるようにして俺を観察していた。恥ずかしがり屋で奥手な女の子だったのだ。


 初めて妹が出来たことに喜び、俺は彼女に優しく接してやった。もともと赤の他人なのだから、兄妹同士でウザいという感覚もなかった。


 だから兎月うづきが俺に懐くのも時間はかからなかった。


「お兄ちゃん大好き」


 なんて台詞も自然に出てくるほどだ。もちろん異性としてではなく、優しい兄へ向けての好意なんだと思う。


 とはいえ「しょうらい、おにいちゃんのおよめさんになる」なんて、ベタな台詞を言われたこともあったっけ……。


 それから数年、人の成長は早かった。


 中学に上がったくらいから彼女の態度が変化する。最初は俺を避けるようになり、中二くらいになると急に態度がでかくなって俺に対して厳しく指図をするようになった。


「お兄ちゃん! 部屋の掃除はちゃんとやってよね!」

「いや、俺の部屋なんだから兎月うづきには関係ないじゃん」

「あと、恥ずかしいから街で見かけたときに声をかけてくるのやめてくれない!」


 さらに数年経ち、高校生になってようやく口調も落ち着いてきた。が、今度は俺のことを冷めた目でみるようになる。


「お兄ちゃんってさぁ、女っ気ゼロだよね」

「放っとけよ!」

「ゲームばっかやってるから、女の子に免疫がないんだね」

兎月うづきには関係ないだろうが」

「そうだね。わたしには関係ない。けど、このままずっと結婚もできなくて、ゲームばっかやって引きこもって働けないお兄ちゃんを養うのはイヤだからね」

「お、おまえに養ってもらうなんて思ってないぞ」

「どうだか?」


 兎月うづきは呆れたようにため息を吐く。まだ、中学の時のように罵倒してくれたほうが精神的には楽だった。


 あの時、反抗期であるこいつにビビって、距離を置いてしまったのがいけないのだろう。もう少し優しさを持って接していれば……そう後悔だけが残る。


 妹が俺から離れたことで、その心の隙間を埋めるためにゲームにのめり込んだ。なにしろ最新機種のヴァーチャルなゲームは、現実世界とほとんど変わらないのだ。


 その世界に、俺の最愛の妹を再現できる。まあ、性格はちょっと違うんだけどな。


 そんなリアルな世界を可能にしたのが、50年前に開発されたF-LINKシステムだ。


 人体に直接繋ぐことで、脳で直接機械を操作できる仕組み。コンピュータの操作だけでなく、身近な家電や車の運転なんかにも使える。といっても、車はもう何十年も前に自動化されているので、F-LINKを使うことはあまりないのだが。


 そこから発展して、F-LINKから機械を操作するのではなく、逆に脳神経に信号を与えてヴァーチャルな映像を流したりする技術も発展する。


 その一端が、このVRゲーム機でもあった。


 医療分野でもこの技術は発展していて、半身不随になった人が、F-LINKシステムを介して肉体を動かせるようになるという研究も進んでいた。


 それだけすごい技術なのだが、日常的にその恩恵を受けている者達にはあまりありがたみを感じていないだろう。なにしろ、それこそが当たり前の世界なのだから。


 夕食後、再びゲームにログインする。


 今はとりたてておいしいイベントがあるわけではないが、いつもの習慣でゲームを始めてしまうのだ。


 ある種の麻薬……いや、ただの娯楽だ。


「おかえりなさいませ! ご主人さま」


 出迎えてくれるのはアメリア。だが、そんなキャラじゃないだろ。


「……」

「反応悪いなぁ、せっかくマスターの好きそうなシチュエーションを作ったのにぃ!」

「何を企んでいる?」


 こういう俺に媚びるような台詞を吐くときは、何かをねだるときだ。もしくは何かをサボりたい時でもある。


「やだなぁ、企んでなんかいませんって。ほら、今週は特にイベントもありませんし、急ぎのクエストもないです。どっか遊びにいきましょうよ」

「おまえ、サポートキャラなら、遊ぶよりも、地道に『レベルを上げる為の狩り』を推奨しないのかよ」

「いえいえ、サポートキャラなんですから、マスターのメンタルのメンテナンスこそが最優先事項です」

「精神の安定化なら、俺は黙々とレベル上げに専念していたほうが余計な事を考えなくていいんだが」

「人間、バカンスは必要ですよ」

「おまえにだろうが!」

「へへへ。いーじゃないですか。ビキニアーマーもいいですけど、リゾートエリア限定の水着を買って下さいよ」

「それ、なんの意味があるんだ? アーマーでもないんだろ?」

「ほら、視覚的効果が」

「おまえの水着なんか見ても癒されるかよ!」


 それは本心ではない。むしろ見たかった。でも、アメリアは兎月じゃないんだ。


「えー、でも、妹さんに似せてわたしを作ったんじゃないんですか?」


 ドキリとする。そんなことをこいつに言った覚えはない。


「おまえ、どうしてそれを?」

「ここのところ観戦モードでわたしとそっくりの女の子がログインしているので、IDを調べたらマスターの妹さんであることがわかりました」


 マジかよ?


「おまえ、調べたのかよ。というか、どんな権限があって」

「このゲーム機は観戦モードで接続するさいに、その素性を調べるんですよ。見ず知らずの赤の他人からハッキングをされないかどうか。で、接続してきたのは家族だったんで、ログインを許可しただけです。まあ、わたしが調べたんじゃなくて、ゲーム機が調べた情報をわたしが見ただけなんですけどね」

「なぜ、俺に報告しない?」

「ゲームログを見れば『誰がログインしたか』『誰が観戦していたか』なんてすぐわかりますけどね。わたしがいちいち報告することじゃないですよね?」


 たしかに見ればすぐわかることだった。ただ、油断していたのだろう。俺に対して好意どころか嫌悪感を抱いているであろう妹が、まさか俺のやっているゲームを覗いていたなどと考えられるはずもない。


「……」

「まあ、別にマスターを責めているわけじゃないですからご安心を。それよりも、膝枕してあげましょうか? それともハグがいいですか?」

「お、おまえ、何を言ってるんだ?」

「マスターって、わたしに対して冷たかったり、そのわりには気を使ってくれたり優しかったりする部分もあって、謎だったんですけどぉ、でも、理由がわかりました。うん、うん、それは最愛に妹に似せてわたしを作ったからなんですね」

「いや、それは……」


 まるで拗らせた変態じゃないか。でも、否定できるわけがない。


「本心を隠してもだめですよ。ほら」


 アメリアが近づいてくると、俺に抱きついてその胸元に頬をつける。


「鼓動が高まってますよ」


 とはいえ、相手はAIだ。何をドキドキしているのだ? でも、妹と同じ顔がすぐ側にある。こんなもの、平常心でいようってのが無理な話だ。


「ア、アメリア……からかうのはやめろって」


 俺の焦った顔を見て、彼女はニヤリと笑う。こいつ、俺を動揺させようとして楽しんでいるな?


「からかっているわけじゃないですよ。見せつけてるんですよ」

「へ?」

「ねー? 兎月ちゃん?」


 アメリアが天を見上げるようにそう問いかける。まさか? 兎月がまた観ているのか?? やばい! これでは言い訳もできない。


 俺は咄嗟にログアウトしようとメニュー画面を出す、が、ログアウトボタンのところに普段は見慣れない【!】マークが付いていた。


 なんだこれ?


 とりあえず、ボタンをタップしたところで次のメッセージが表示された。


【エラーが起きたために通常の手順では『C』からログアウトできません】


 さらにメッセージは表示される。


【テクニカルデバックモードにて『R』にログインしますか?】


 そこで【はい】【いいえ】の選択肢が出る。


 迷っているヒマはなかった。


 少しでも早く現実に戻って兎月に何か言い訳……のようなものをしなくてはいけない。


 操作を済ませると、見慣れた現実のベッドの上の天井が見える。そして、すぐに部屋の中を確認するが、人の気配はなかった。


「なんだよ! アメリアの奴、俺をからかったのか?」


 だが、ゲーム機を確認すると、観戦モードの端子にはコードが繋がっていた。もちろん、それに第三者が接続されているわけではないが、ゲームを始める前に俺は繋げた覚えはないのだ。


 今、家に居るのは兎月のみ。つまり、アメリアの挑発を妹が聞いていた可能性は高かった。


 ログを見ると、つい数分前まで兎月が接続していたことが示されている。


 背筋がぞくりとした。


 アメリアもアメリアだ。たまにこうやって俺をからかったりイタズラをしたりする。でも、今回のは悪質すぎる。


 どうやって兎月と顔を合わせればいいんだよ……。


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