第6話 私も

 あれから、夕姫ゆうき奏雅そうがと一緒に帰るのが日課になっていた。相変わらず会話はなかったが、ひとつだけ変化があった。

 あるとき、別れ際に奏雅がいつものように「じゃあ」と言ったとき、夕姫も、意を決して「じゃあ」と言ってみたのだ。夕姫は、奏雅に変な顔をされるんじゃないか、と怖がったが、奏雅はすぐに、「また明日」とだけ返してくれた。それからは、その挨拶あいさつも日課になった。


 夕姫は、それでもいつも考えていた。


(この人は、私なんかといて楽しいのかな。私なんて、暗いし、話しもできないし、趣味もないし。私といても、得なんかなにもないのに……。)


 学校では、奏雅が目を光らせてくれているおかげでひどいいじめはなくなっていた。しかし、机や鞄にいたずらをされたり、小突こづかれたりは日常茶飯事であった。奏雅も、ときどきではあるが顔や腕に殴られたような跡ができていた。それが連中にやられたものなのか、学外での喧嘩けんかでのものなのかはわからなかったが、夕姫はなにも聞けないでいた。


 そして季節は少しだけ進んだ。朝晩はいくらか涼しくなっていた。


    *  *  *


 体育祭の日が近づいていた。クラスでは、各種仕事のかかりの役割分担や、それぞれの出場種目の決定などがおこなわれた。それと同時に、クラス内の雰囲気もどこか浮ついたものになってきていた。しかしその中でも、はみ出し者の夕姫と奏雅は、いないものとして扱われていた。


「……あの二人、当日休んでくんないかな」

「……ねー」


 例の中心グループの方向からそんな声が夕姫の耳に聞こえてきた。わざと聞こえるように言っているのだろう。夕姫は奏雅のほうをちらっと見た。奏雅にも聞こえているはずだったが、奏雅はぼんやりと外を見て知らん顔をしていた。そんな奏雅を見て、夕姫はなぜか少し安心した。


    *  *  *


 その日の帰り道、いつものように夕姫は奏雅と一緒に帰っていた。またも会話はなかったが、もうすぐ別れる場所に着くというところで、奏雅が出し抜けに口を開いた。


「俺、体育祭の日サボるから」


 夕姫はいきなりのことにびっくりして奏雅の顔を見た。そして奏雅は夕姫と目を合わせ、続けて言った。


「安藤はどうすんの?」


 それは、奏雅が夕姫に初めてした、「はい」か「いいえ」では答えられない質問だった。夕姫はどうしていいかわからず目を伏せてうろたえた。


「あ……、えっ、と……」


(どうすんの、って……! 私も、サボるのか、ってこと、だよね……!)


 夕姫は今まで、授業や学校行事をサボる、という発想をしたことがなかった。もちろん風邪を引いたりして休んだことはあるが、仮病を使ったことも一度もなかった。そもそも学校を休むことは悪いことだと当然のように思っていたし、それに、たとえ自分がいじめられていても、ちゃんと学校に行くことが、いじめに「耐えること」だと思っていた。


 奏雅が示した選択肢は、そんな夕姫の常識の外にあるものだった。そして、考えた。


“……あの二人、当日休んでくんないかな”


 そんなことを言われながら、アイツらのいる、つまらないに決まっている体育祭に行くか、自分をいじめてくる人などいない学校の外でその日を過ごすか、その両方を想像したとき、夕姫の心の中のなにかがはじけた。


(そんなの、決まってる……!)


 他人からどう見られようが、親や先生に怒られようが、どうでもいいと思った。自分が信じてきた常識が急におかしなものに思えた。勇気が湧いてくるのを感じた。


「私も」


 夕姫はそう言って強く頷いた。すると、


「じゃあ、せっかくだから一緒にどっか行こう」


 と、奏雅が言った。夕姫はそれを聞いてまた驚いた。なぜこの人は私の予想外のことばかり言うんだろう、と一瞬思った。


 そして、夕姫は奏雅の目を見ながら、言った。


「アイツらが、いないところ、なら、どこでも」


 それは、考える前に自然と口から出た言葉だった。そのせいか思いがけず強い口調になってしまっていた。また奏雅に変な顔をされるんじゃないか、と夕姫は思ったが、奏雅はすぐに「うん」と頷いた。



 それきり会話はなかった。奏雅の少しうしろを歩く夕姫は、さっきの自分の言葉を思い返し、顔を熱くしていた。鼓動がいつまでもおさまらなかった。


(つづく)

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