第37話 吉村美奈

 俺を抱き締めて、脚を絡ませてくる美奈。

 熱を欲するように纏わりついてくる。

 暴力的な乳圧の奥から心臓の鼓動が聞こえてくる。


 俺は咄嗟に美奈の肩を抑えて引き剥がした。


「……どうしたんだよ?」


 いつもの甘えてくる感じとは違う。

 酔いが残ってるにしてもおかしい。


 あんなに楽しそうに高橋ママンと喋ってた。

 彼氏にフラれてどうこうとかって話も聞いた事がない。


 上体を起した俺と目線を合わせるように美奈も女の子座りをして俺を見つめてきた。

 少し前かがみな座り方にもなっている為、胸の谷間がいやらしく暗い。


「私ね、みぃくんの事好きだよ」

「……重度のブラコンなのは知ってる」


 ことある事に抱き着いてくるし、親父のエロ本事件の時にピンク千羽鶴にしたのも知っている。

 姉・義姉特集だけ無事だったのも知っている。


「みぃくんに彼女が出来たのは純粋に嬉しかった。でも寂しいって思った」


 スナックのママさんが言っていたのを思い出した。

「私のみぃくんが〜」って嘆いていたと。


 その割には美香に目撃されていた時の尋問時にはノリノリで聞いてきた。


 意味がわからない。


「水望ちゃん、可愛いもんね。黒髪になって、あの人にも似てる」

「……千夏ちなつさんと重ねて付き合ったんじゃない」

「でも好みでしょ?」

「……まあ」


 俺は目を逸らしながら答えた。

 確かに今の高橋はどことなく千夏さんに似てる。

 でも千夏さんの面影を見たことはない。


 黒髪ロングとは言っても、雰囲気は全然違う。

 それにもう、千夏さんは死んでる。


「みぃくん」


 美奈はまた俺に抱き着いてきた。

 今度は俺の胸にうずくまるように。


「最初は本当に嬉しかった。ずっと引きずってるんじゃないかって思ってたから。でも水望ちゃんと話してて、まだそう思ってるんじゃないかって」

「それはない」


 小学生になって空手を始めて、転校してきた上級生に虐められてから塞ぎ込むようになって小3の頃。


 小学校にも行かずにいじけていたの俺に声を掛けてきたのは千夏さんだった。


 黒髪ロングに高校のセーラー服。

 俺が学校に言っていない時間帯に学校外で遭遇した千夏さんが俺を見て「サボりか? 悪いやつだな〜」と笑ってたのを思い出す。


「今でも毎月お墓参りに行ってるのに?」

「忘れない為に行ってる。引きずってるからじゃない」


 あの頃、千夏さんは眩しく見えた。

 俺の中では初恋という事になってるけど、俺が高橋と一緒に居て感じるものとはたぶん違う。


 俺は高橋に対して、憧れをいだいたことはない。


「てか姉ちゃん、ほんとにどうしたんだ? おかしいぞ今日」


 今日がおかしいというよりは今様子がおかしい訳だが。


「……なんかね、急に寂しくなって」


 抱き着き、俺の胸に蹲る美奈が縋るようにさらに抱き締めてくる。


「……か、彼氏でも作ればいいだろ」

「みぃくんの事がずっと好きだから無理」

「……それは家族としての、だろ?」

「わかんない」


 抱き着いた状態から顔を上げて俺と目が合った。


「だから……」


 押し倒されて四つん這いの状態になった美奈。

 下腹部に当たる美奈の下半身が下着のみである事を思い出した。


「だから、確かめたくて」


 垂れた髪を耳に掛けながらゆっくりと顔を近付けてくる美奈。


 この状況はまずい。

 やばい。


「な、何を確かめたいんだ?」

「家族として好きなのか、性的に好きなのか」

「いや待て、家族としてならまだいいが、それは……」

「お姉ちゃんとじゃ、嫌?」


 濡れた目で問いかけてくる美奈を直視出来ず、俺は首を捻って強引に目線を外した。


「そもそも俺には高橋がいる」

「知ってる」

「だから」

「それでも好き」


 愚直な実姉の好意に、俺はどうしていいかわからない。


 どう断れば、何事もなく終わらせられるのか。

 明らかに誘惑されている。


 生理的嫌悪感がない自分にも内心驚いているしパニックだ。

 普段からベタベタされて慣れてしまったのか。


 しかし慣れているなら勃つはずがない。


「みぃくんの彼女になれなくてもいい」


 横を向いている状態で美奈のささやく声が耳元で艶めかしく響く。


「身勝手なこと言ってるって、わかってるの」


 いまだ俺は美奈を直視できない。

 今見たら、引き込まれる気がする。


「でもね……」


 頬に何かが付いた。

 それが美奈の涙だとわかったのは、声を聞いてからだった。


「みぃくんの事……諦めきれないの」

「……ごめん」


 それ以外、何も言えなかった。

 美奈自身もわかっているのだろう。


「……ううん。私こそ……ごめんね……」


 美奈の謝罪が、具体的に何を示しているのか。

 誘惑した事に対してか。

 それとも好意そのものか。


 俺の胸に顔を押し付けて泣いている美奈に対して俺は複雑な気持ちになった。


「ごめんね。……わたしも、もうよくわからなくて」


 ぐちゃぐちゃな気持ちが、涙と声から伝わってくる。


 どう声を掛けたらいいかわからなくて、俺は美奈の頭を撫でた。

 、ただ頭を撫で続けた。

 泣き止んでほしかった。



 しばらく泣いて、それから美奈は俺の横に寝そべりまた抱き着いてきた。

 けれど今度はどこか甘えるような感じだった。


「ごめんね……ずっとみぃくんの事しか見てなかったから……」

「……ずっとって、いつから?」

「みぃくんが生まれてからずっと」

「……なぜに?」


 考えてみれば、確かに美奈はやたらと俺にくっついてくる。

 美奈の浮ついた話を聞いた事が1度もない。

 男の影を見たこともない。


「最初はね、みぃくんが生まれて、弟ができて嬉しくて」


 さきほどの声音とは違い、昔話を懐かしむような穏やかな話し方になっている。

 客観的に見れば、フラれた姉とフッた弟なのにな……


「でも美香が生まれてからお母さんが亡くなってから、私が守らなきゃって思って」


 美香も俺も母親の顔を生で見たことはない。

 写真でしか見たことがない。


「でもみぃくんは小学校でいじめられて、なにもしてあげられなくて……だから傍に居ようって」


 俺が金髪ギャルを嫌いになった原因の話。

 あまり思い出したくはない。


「……まあ、あの頃からだな。確かに過保護になった気がするのは」

「お姉ちゃんですからっ」


 まだほんのり目元が涙で濡れている美奈がドヤ顔でそう言った。

 ……夜這いしてきてそう言われても説得力はない。


「自分でも過保護だなぁって思ってて、それで気が付いたら今」

「……もしかしてだが、姉ちゃんって……」

「……処女ですがなにか?」


 6歳上の姉22歳の性事情をこんな形で聞く羽目になるとは思ってもいなかった。

 いやまあ俺もまだだけどもさ……


「なんならファーストキスもまだ」

「……なんか、マジですまん……」


 ブラコンを拗らせるとこうなるのか、世の姉という存在は。

 なんかもう色々と申し訳ない……


「私こそ、ごめんね。でもありがと」

「……なにが?」


 明るい声でお礼を言われて意味がわからなかった。


「頭撫でてくれて、ほっとしたから。嫌われたらどうしようってこわかったから」

「……まあ、だし」


 赤の他人なら、まず距離を取るだろう。

 でもそれもできない。


 互いに姉弟でなくなるのが怖かったからか。

 今もまだ姉弟という関係性を保てているかわからないが。


「これからはみぃくんに抱き着いて匂いを嗅ぐだけにします」

「いやそれもどうかと思う」

「ダメなの?!」

「普通ダメだと思うが」

「じゃあ抱き着くだけ」

「それも本来はたぶんおかしい」

「……自慢じゃないけど、大きいと思うんだけど」


 なんか開き直ってないか?

 流れ的にフラれて吹っ切れてただの姉弟に戻る的な方向のはずだっただろ?

 なぜそうなる?


「大きい小さいの問題じゃないだろ」

「私の胸はみぃくんに押し当てる為に大きくなったはずなのに?」

「なんだよその発育事情。知らんがな」

「……みぃくんがひどい」


 わざとらしい泣き真似をして、それから小さく笑った。


 落ち着いた美奈を見て俺も落ち着いた。

 なんだかどっと疲れが来た。

 無意識に気を張っていたのだろうか。


 美奈も同じなのか、いつの間にか寝息に変わっている。


 相変わらずくっつかれてはいるが、さっきのような艶かしい熱はなく、静かなあたたかさに包まれて瞼は落ちた。




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