第30話 水音

 合宿が終わって家に帰り宿題をしていると、高橋から電話が来た。

 時刻は21時過ぎ。


『もしもし、吉村、今大丈夫だった?』

「あ、ああ。大丈夫だ」


 浴槽にいるのだろうか。

 反響する高橋の声と艶めかしく跳ねる水の音が耳元から聞こえる。


 ふ、風呂か……


「どうしたんだ?」

『ちょっと声聞きたくなって』


 わざとらしく「お風呂入ってます」というかのように身動きからの水音を響かせる高橋。


 水着姿の高橋を昨日まで見ていた分、お湯に胸元まで浸かった高橋を想像してしまい、どう会話をしていいかわからなくなった。


「……べつにイケボとかじゃないけどな」

『そういうことじゃないし』


 捻くれた発言くらいしか出てこない自分に呆れる。


『寝るところだったりした?』

「いや、宿題やってた」

『わたしも宿題やんないとなぁ』

「明日からまたバイトか?」

『うん。連勤だよ』

「頑張れ社畜」

『社畜はいや〜』


 他愛もない会話。

 それでも高橋なら苦ではない。


 これも、少し前なら億劫だっただろう。


『そいえば帰りの車であかねんせんせーと楽しそうに話してたよね。吉村』

「……E'zの話はそうだが、彼氏のできない糸崎先生の残念な話に付き合わされたんだぞ? 大変だった。てか起きてたなら会話に参加してくれよ。いたたまれなかったぞ」


 なんで俺が糸崎先生の恋愛事情について聞かされなければいけんのだ。

 あいにく相談に乗れるほど経験豊富じゃないぞ俺は。


『あかねんせんせー、まだ23なのにね』

「まあ、色々あるんだろ? 大人にも」

『大人か〜。大変だね〜』

「だな。俺には想像できん」

『将来の夢とかって事?』

「ああ」


 なにがしたいとか、自分はこうありたいだとか、そんな大層なものがない。


 ただ平穏に生きたい。

 それくらいしかない。


 そこからさらに結婚して子供がいたりだとか想像できない。


『わたしはお母さんみたいに美容師になりたいって思ってるけど、吉村はないの?』

「ないな」

『小さい頃とかの夢は?』

「……なかったな」


 強くなりたいと思って空手を始めて結局辞めて、そこから夢を持つ事はしなくなった。


 当時小学校低学年にして夢を失っていじけて捻くれて今に至る。


 そんな俺が、純粋に夢とか将来について前向きに考えたりなんて想像できない。


『わたし的には吉村は教師とか向いてると思うけどなぁ』

「……教師? 俺が?」

『うん! この間一緒に宿題やった時に思ったよ? 教え方上手だなって思ったし』

「まあ、数学は比較的得意だが」


 人間相手にするより分かりやすくていい。


『わたし数学は苦手だからすごいなぁって思う』

「国語とか明確な答えとかないから苦手だが、数学はまだ簡単だ。理論上、1+1が出来ればできるようになる」

『理論っていうか極論過ぎ!』


 漢字覚えまくるより公式覚えて当てはめればいいだけの数学は楽。


 人間とか理解できない事とか行動するじゃん。

 ちょー大変なんですけど。


 歴史とか教科書の内容とか変わったりするし。

 鎌倉幕府が1192年じゃないとか、じゃあもうなに信じて勉強したらいいんですかね?

 粗探ししたらもっと出てくるだろ絶対。


「まあでも考えてみるわ。向いてるとか初めて言われたし」

『そうなの?』

「ああ」


 なぜなら今まで人に教えた事ないからな。

 関わらない以上、教え方が上手いかどうかすらわからなかったわけだ。


『ふふっ。そっか』


 なぜか嬉しそうな高橋。


 そして不意に高橋が浸かっていた浴槽から出たのだろう。


 水の流れる音や髪から滴る水滴の音が響いた。


『のぼせちゃいそうだから上がる〜あ、吉村、まだ電話大丈夫? そろそろ眠る?』

「まだ起きてるから問題ない」


 問題ないが、艶めかしく聞こえてくる音に対して俺はどうすればいいんだよ……


 下着履いてるような肌と布の擦れる音とか聞こえるんですが。


 え、なに、そういう新手の放置プレイですか高橋さん。


 思春期男子には刺激が強いですはい。


『吉村〜今週の土曜にお祭りあるんだけど、一緒に行かない? お祭りデートしたいなぁって思って』

「祭りか……」

『電車乗り継いで40分くらいの所だから、そんなにウチの高校の人とかいないと思うんだけど……』


 あんまり祭りに興味はない。

 ない上に人が多い。

 やからも多いし、高橋なんて美少女連れてたら絡まれる率150%だろ。


「まあ、高橋が行きたいなら行くか」

『いいの?! やった!! えななんと叶葉ちゃん一緒に行くつもりだったけど、吉村と2人で回れないならって話してたから』


 約束事的に言うなら、俺としては川崎たちを優先して欲しいが、一条と川崎というペアにした方が一条的にはオイシイだろう。


 辻川は多分部活。

 音無先輩は寝てるだろう。


 川崎と一条、俺と高橋というペアの方が座りは良いだろう。


 川崎と一条の気遣いも見て取れるこの状況、約束事を優先させるのはあまりよろしくない。


『楽しみ』

「たこ焼き食いたい」

『うう〜。吉村、この時間に「たこ焼き」なんていうワードはダメだよ〜』

「焼きそば。焼き鳥、イカ焼きにかき氷」

『……お腹空く』


 電話越しにジト目をされたのがわかった。

 俺はべつに高橋をいじめてない。

 ただ食べ物を言っただけ。悪くない。


 すみません。こういうところですよね。

 捻くれてるって言われるの。知ってます。


『時間はまた後で送っとくね』

「おう」

『じゃあ今日はもう通話切るね。おやすみ吉村』

「おやすみ」

『うん! じゃあね!』


 祭りか……

 体力温存しておこう。


 俺は宿題に再び取り掛かった。

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