第16話 チラリズムとはつまるところ景色である。

「……お、お邪魔します」

「どうぞどうぞ♪」


 落ち着かない。

 非常に落ち着かない。


 時刻は昼過ぎ。

 俺は高橋の家に来ていた。


 わりと胸元の開いた白のキャミソールに薄手の黄色のパーカー、ピンクのショートパンツという部屋着姿に黒縁メガネで出迎えてくれた高橋。


 名目としては「宿題の消化」である。

 本来は川崎たちも呼びたかったらしいが、高橋は今日の夕方からバイトのため俺だけを呼んだようだ。


 バイトに遊び、合宿もある高橋は忙しいらしい。

 なるべく友達優先という約束事もある。


 友達付き合いが減るのはよくない。

 俺が言うことではないのだが、高橋が学校で居場所を無くしてしまう可能性を考えると当然と言える。


「吉村、わたしの部屋は2階だから上がってて!」

「お、おう」


 高橋の母は普段は美容室を営むオーナーであるらしい。


 今は高橋しか家には居ない。

 つまりは俺と高橋の2人だけである。

 2人だけなのである。

 ……胃が痛い。


 2階に上がると高橋の部屋を発見。

 恐る恐るドアノブを回し中へ入ると高橋の香りがした。


「……俺、逮捕されたりないか?」

「なんで逮捕されるの? 吉村」

「…………住居不法侵入?」

「わたしがいるじゃん」


 そう言われてとりあえず座らされた。

 きっちり正座してしまうのは、未だに漠然とした恐怖のせいだろうか。


 あるいは、不意に警察官とすれ違った時のあの不安感。

 なんにも悪い事はしてないししてないはずなのに怯えちゃうあれ。


 声かけられたら反射で「ごめんなさい」って謝っちゃいそうになるよね。


「はい。ジュース置いとくね」

「お、おう」


 膝を付いて俺の側にジュースを置く仕草が、いい感じに胸元をアピールしていて思わず目を逸らした。


「高橋は、家ではメガネなんだな」

「そうなんだよね〜。コンタクトかメガネかけないと全然見えなくて」


 普段掛けているところを見たことがなかったし、目が悪いという印象もなかった。


 なんだか新たな高橋の一面を垣間見てしまった。

 ……メガネ女子は好きですはい。


「裸眼だと……」


 と言いながらメガネを取った高橋が机越しに身を乗り出して俺に近付いてきた。

 ぐいぐい来る高橋。

 近い近い近い。


「この距離でやっと吉村の顔が見える」


 手を伸ばさなくても高橋の顔が届く距離。

 普段スマホを触るような距離だが、高橋と目が合うこの距離の暴力的な破壊力。


「高橋さん、近い。近いです……」


 この距離で見つめあっているという事に高橋も気付いたのか、慌てて目を逸らした。


「ご、ごめん……」


 耳を赤くしながらメガネを掛けて宿題を取り出す高橋。

 俺も同じように宿題に取り掛かる。


 別に、なにがどうということは無い。

 ただ2人で宿題をこなすだけ。


 最初はぎこちない空気だったが、次第に気にならなくなって宿題をやる事に集中していく。


 今までは基本的に1人でやっていた事だし、学校でも1人。


 なのに、高橋の家で2人でいるのにも関わらず落ち着いていられるのは自分にとって不思議だった。


「吉村、ここわかる?」

「ああ。そこはこの公式を使えばいい。パッと見は分からんかもしれんが、構造は同じだ」

「ありがと」


 業務的な会話。

 それだけなのに、高橋と居て居心地が良いと感じる。



 ちびちびと飲んでいたジュースも尽きた頃には高橋のバイトの時間も近くなっていた。


「今日はもう終わりっ! 疲れた〜」


 大きく伸びをして欠伸をする高橋。


「高橋はこれからバイトだもんな」

「それは言わないで〜」


 机に突っ伏して駄々をこね始める高橋。

 そうしても現状は何も変わらない事を知った上でのささやかな抵抗なのだろう。


「吉村、ちょっと……その……甘えていい?」

「ん?ああ。まあ、いいけど、肩もみとかか?」


 急な申し出でよくわからなかったが、高橋が俺の右横に座って不意に抱き着いてきた。


 突然のできごとに戸惑い固まる俺を他所に顔をうずくめて寄りかかる高橋。

 シャンプーの香り。


「あ、あの……高橋さん……?」

「ちょっと、ちょっとだけ」


 やんわりと感じる高橋の体温。

 縋り付くように頬を擦り寄せて腰に手を回してぎゅっと抱き寄せてきた。


 何を言ったらいいのかわからない。

 何か言った方がいいのかもわからない。


 空いている左手で高橋の頭をそっと撫でた。

 もしかしたら、なにか不安にさせるような事をしたのかもしれないと思った。


「ん」


 ふやけた返事のような高橋の声が埋もれつつも聞こえた。


 なにができるわけでもないし、気の利いた事のひとつも言えやしない。

「好きだ」なんてもちろん言えない。


 高橋が今、どういう気持ちなのかもわからない。

 だから、ただそっと高橋の黒髪を撫で下ろした。


「っは?! やばい寝そうだった!!」

「……」


 穏やかな気持ちのまま、俺は高橋のキャミソールから見える胸元を至近距離で一瞬眺めてしまった。


 寄りかかって目を擦っていた高橋の体勢と俺の目線の角度からは絶妙な際どさだった。


「あ、あの高橋さん……その、際どい景色がですね……」

「ん? …………ッ?! ☆○△□*!!」


 再びうずくめて真っ赤になった顔を隠した。


「……みふぁ?」

「……絶妙な景色、とだけ……」

「……えっち……」


 タカハシはにげだした!

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