46話

 残酷な描写がありますので、苦手な方は飛ばして頂けると助かります!

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 その命令は非情ではあるものの事実だった。

 現にシオンの視線はトール達に向きはするもののメインは召使いであるアンジェリカに向いているのだ。この機会を逃せば勝てるチャンスというものは消えてしまう。


 だが、確実に勝てる相手でも無い。

 それは自身が犠牲にした仲間の一人の死を目前にしたから分かってしまうのだ。自身でさえも目で追えない速度の一撃、アレが迫った場合に明確に避けれない事が分かっている。ましてや、自身の次に強い存在が死んでしまったという事は……残りの有象無象の集団では戦闘すらままならない。


 それでも命令したのは逃げるため。

 加えて、もしも勝機が少しでも見えてくれたら、そんな起こり得るわけのない微かな希望のために仲間全員に突撃させた。……させたのだが……。


「一撃……かよ……」


 二十はある黒い尾のような何か。

 それらが一斉に動き、全員の手足を切り落としてしまったのだ。いや、それだけならトールも恐怖を抱かなかった。その後に仲間達全員の出血が無い事に違和感を覚えてしまった。そう、覚えてしまったのだ。


「全員の傷を治している」


 それが分かってしまったのだ。

 ただ殺そうとしているのでは無い、明確に意識が無いわけでは無い……そこにあるのは自分達を苦しめようとしている悪魔としての何か。その考えに至ってからトールの体は動かなくなる。


 何度も何度も動けと命令をした。

 だが、少し足りとも、指の数センチであっても体が動いてくれない。自身よりも上位の何かに命令されているかのように目だけはギンッと見開かれ、目の前の悲惨な状況だけを記憶させられる。


 地面から生えた十字架に胴体と首だけを縛られ、ゆっくりゆっくりと……まるで万力を締められていくかのように首元の余裕が消えていく。徐々に徐々に仲間達の表情が絶望へと変化していき、赤く染まりながら血反吐を口から吐き出し始める。


 それをただ見せ付けるかのようにシオンはトールに笑顔を浮かべていた。黒い何かのせいで顔の半分は見えない。ただ隠れていない口元の口角は上がっており、明確に笑みを浮かべているのだ。


 そこでようやくトールの体が動く。

 いや、身体が勝手に動きだしたと言った方が正しいのかもしれない。既に今のトールには先程までのような冷静な判断力は無く、ただ目の前の敵をどうにかする事しか考えが回らなくなっていた。


 それでも思考力は鈍らせていない。

 現在のシオンは黒い何かに覆われており、露出しているのは口元程度。そこを狙える程の余裕が無い事は今までの行動でよく理解していた。そこで瞬時に気配を遮断させシオンの視界から消える事にする。


 逃げるという判断は無い。

 シオンの向く先に唯一の出入口がある。そこから出るには扉を一度、開けなければいけないのだ。その時に確実に殺されてしまう事は目に見えていた。自身がシオンを追い詰めるために用意した空間が首を絞めてきているのだ。


 トールは心の中で舌打ちをした。

 だが、さすがにチートスキル、如何に化け物の姿へと変化したシオンとて、今のトールの場所は分からずに周囲を眺めている。この状況を好機と捕えないわけにはいかなかった。


 即座に背後に回り込んで突っ込む。

 刹那、それ程までに一撃に全ての力を込め、一気にシオンの首を落とす。……落としたはずなのにシオンの笑い声が響くだけ。最期の笑み等とトールには思えなかった。そして、その悪い予感は当たり……。


「おいおい……本当に不死身じゃねぇか」


 ゆっくりゆっくりと黒い何かが伸び、シオンの首を繋げ始めていく。十数秒とかかっていない。その間に踏み出し攻撃を仕掛けたとしても返り討ちにあうのは目に見えている。


 その瞬間、再度、気配を消す。

 だが……それは悪手だった。気配を消し距離を取った瞬間にトールは吹き飛ぶ。まるでもう同じ手は喰わないと言いたげにシオンはケタケタと笑い声をあげトールの恐怖を募らせた。


 既にトールの骨は何本も折れている。

 腕程度ならばトールでも何とかなっただろう。だが、折れているのは両足だ。速度を活かし戦うトールには痛手で済む問題では無い。それでも逃げるという手が無い現状、トールは戦うために得物を構えた。


「……は?」


 そんな素っ頓狂な声が出てしまう。

 いや、その反応は間違っていない。先程までに目の前にいたシオンの姿が消えているのだ。


 逃げたのか、そんな考えも一瞬は浮かぶ。

 だが、その考えが正しくないのはトールにもよく分かっていた。依然としてトールの仲間達は十字架に縛り付けられており、尚且つ、シオンの召使いは黒い球体の中に閉じ込められている。仮に逃げるとしてもシオンが召使いを置いていく事は無い。


 だからこそ、得物の構えを解かなかった。

 なのにーー




「ガッ……!?」


 トールの腹が突き刺された。

 背後の壁から突き出した黒い何か。そして、その瞬間にシオンの姿が見える。……自身の目の前にずっといたのだ。その事実にトールは背筋を凍らせる。


 徐々に体が浮かされていく。

 高々、数本の黒い何かだと言うのに力強く握ったとしてもビクともしない。藻掻く姿を嘲笑うかのようにシオンは顔を近付け笑みを浮かべる。そして再度、姿を消したかと思うと現した。


「まさか……お前……」


 さすがにもう答えが分かってしまった。

 分かりたくなかった事実、仮にそんな事が出来るとすれば自身が敵に回した存在は……一気に体が震える。その考えを否定するためにトールは続けた。


「俺の力を使っているのか……?」


 問いが正しいと言いたげにシオンはトールを壁へと叩き付けた。そして、そこでようやく気が付く。化け物へと姿を変えたシオンは最初から遊んでいただけだったのだ、と。


 攻撃を与える事が出来た。

 そうじゃない、力を見せて絶望させるためだけに隙を見せたのだ。そして貫かれたはずの自身の腹すらも現在は塞がっている。これが指す答えは何か、答えは簡単だ。


「俺を……玩具にしているのかよ……」


 その事実に体が少しも動かなくなる。

 逃げたい、そう思っても恐怖から動いてくれないのだ。先程までの恐怖とは違う、トールが考えを放棄する程の本当の恐怖。そして、まるで何かに押さえ付けられている感覚すらも味わえる程の恐怖。……形容し難い恐怖が今のトールを蝕んでいた。


 それを少しの時間、眺めてシオンは笑う。

 既に強い絶望のせいで膝から崩れ落ち、地面には黄色い水溜まりを作り出していた。その眼前に絶望のまま死んだ仲間の顔を近付け、トールを十字架に縛り付けていく。


 意識は鮮明のままだ。

 死にたくない、そんな感情に襲われながら体に動くように命令を続けている。だと言うのに、少しも未だに動いてくれない。それを嘲笑うかのようにシオンはトールの手を取り……そして……。


「ギャァァァァ!」

「イヒッ」


 右手の親指の爪を引き剥がした。

 何の躊躇もなく一気に……そして新しい爪に手を伸ばして……次は徐々に剥がし始める。まるで何が起こるのかを理解しているトールの表情を楽しんでいるかのように、十秒、二十秒、三十秒と剥がれていく感覚を味合わされた。


 そして腕の爪が無くなった頃。

 今度はトールの両腕を縛る力が強まっていく。ゆっくりゆっくりと腕の感覚が無くなり……その間に足の爪が剥がされていく。痛みと無の感覚を覚えながら意識が遠のいていくのを待った。


 死ねれば絶望も終わる。

 既に死ぬ事すらも救済に感じていた。早く救われて死んでしまいたい。この絶望から逃げたいというのに……その瞬間に体の感覚が研ぎ澄まされる。消えかけていたはずの意識すらも明確になってしまった。


「や、やめッ!」

「イヒッ」

「早く俺を殺してくれッ!」


 回復魔法、光魔法……それすらも凌駕するような力。異次元の魔法にトールは強く絶望しながら二十分という短いながらに、永遠にも感じられる絶望を味わいながら死んだ。






 ◇◇◇






「シオリ、本気で走ってください!」


 エルは急いでいた。

 自身の主であるシオンが一人で敵地に向かい、救助に赴いているという話を聞き、着の身着のままでシオンの愛竜であるシオリに乗り走っている。本来であれば普通の竜よりも速いと言うのに急かす思いのせいで鈍いとさえ感じてしまう。


 それでもシオリは本気で走った。

 それはエルに好意的な感情があるからでは無い。ただ残してしまった主を救いたいという思いのためだけだった。まるで全てを諦めたかのように自身に頼み事をした主を助けたい、それ以外に思う事など無かった。


 そして、ようやく到着する。

 エルは即座にシオリから降り、二人で一気に地下へと向かった。一階には血の跡があり戦闘があった事は明白。それが余計にエル達の鼓動を早くさせる。加えて、地下へと降りた瞬間に感じた異質な魔力。


 地下の最奥の扉に手をかける。

 この先に何かの気配がある事は分かっていた。だが、その気配が自身ですらも冷や汗をかくような何かである事がエルの不安感を煽る。この不安感を覚えたのは二度目だった。最初はそう……。


「シオン様ッ!」

「ああ……エルか」


 今、目の前にいるシオンと話をした時。

 いや、細かく言えば生まれ変わったシオンと話をした時に感じたそれと同じなのだ。シンから感じる格の違いと似た恐怖、それが今のシオンからは漏れていた。


 そして遺体は無いにせよ、未だに残っている複数の血の跡。加えてアンジェリカの近くにも血の溜りができているのを見て、全ての敵をシオンが屠った事は容易に分かった。


「終わったよ。さ、アンジェリカを連れて一緒に帰ろう」

「……了解しました」


 エルは変わってしまった主を見て恐怖した。

 だが、エルからすればその恐怖こそが嬉しくさえ思えてしまう。自身の見る目に狂いは無かった事、そしてシオンを主に迎えて正解だった事……その考えに至った時にエルの体は勝手に動いてしまった。


「……どうかしたの」

「いえ、ご無事で良かったと思っただけです。こう見えても心配していたのですよ」

「あはは、ワガママな主でゴメンね」


 エルは抱き締める力を強める。

 そのまま半ば無理やり抵抗するシオンをシオリの背に乗せ、優しい寝息を立てるアンジェリカを背負った。









 ――ひとつの笑みを浮かべながら。

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