45話
「アンジェリカ!」
「おい! 待て!」
アンジェリカが自害するなんて予想していなかった。きっと俺の事を思ってしてくれたのは分かる。だけど、俺は少しもそんなのを望んでいない。
全てがスローモーションのように感じる。
逸る鼓動、そのせいで吐き気が酷くなってきた。どこか現実味がなさ過ぎる事に頭が理解を拒んでいるのかもしれない。アンジェリカが死ぬわけが無いって高を括っていたんだ。
命を助けたあの時から……アンジェリカは俺を思って動いていたのに……勝手に俺の思う通りに動くって考えていたんだ。だから、こんな事が起こってしまった。
分かっているさ。
ここで動くのは確実に悪手だって。
今も俺が動いたせいでトールの仲間達が進路を阻もうとしてきている。こんな事をしなければ俺だけでも助かる方法はあったのに……俺はワガママのためにアンジェリカの願いを無下にしたんだ。
でも、死ぬであろうアンジェリカを抱き締められないままで終わるのは耐えられない。
「止まれ!」
「邪魔だッ!」
剣術の欠片も無い横一振。
エルがいたら怒られてしまうだろう。それ程に醜くて俺らしい一撃になってしまった。いいんだ、もう覚悟は決まったんだ。アンジェリカの近くに行こうとした時点で……結果は決まっていた。
「クソがッ!」
「邪魔をするなッ!」
アンジェリカのもとへ行くために。
そのためだけに何度も剣を闇雲に振った。敵を殺すつもりは無い。それでも邪魔をしてくるのなら叩き切るだけ。……剣が使えなくなったら新しく買った毒が塗られた短剣を使う。
何でもいい! あの子を抱き締められれば!
そのために何度も振り続ける。美しさも何もいらない。ただ一つの目的のために。
「はぁ、もう少し利口に行こうぜ」
「俺の邪魔をするなッ!」
「これは……何を言っても無駄かな」
無駄にしたのはトール自身のはずだ。
それなのにどうして自分は関係が無いとばかりに笑っていられる。これをアンジェリカは見せたくて自分の命を捨てたのか。俺の願いを無視してまで笑顔を見せたのか。
ふざけるな! ふざけるんじゃねェッ!
アイツもコイツも全員、死んでしまえ! 俺からすればアンジェリカを殺した共犯者だッ! さっさと死んでしまえッ!
「残念だよ」
「へ……?」
「君とは仲良くなれそうだったのに」
胸元が熱い。
何かが止めどなく流れている。
胸元に手を当ててみた。
これは血だ……きっと俺の……それが永遠と流れ続けているんだ。止めないと……じゃないと死んでしまう。
いや、死ぬのはいい。
最初から分かっていた事だろ。
「アン……ジェ……」
「おーおー、美しいね。這ってでも愛しい女性の近くに行きたいかい」
好きに言え、アンジェリカを抱き締めるんだ。
消え去る前の彼女の笑顔を見てから死ぬ。ああ、死ぬには十分過ぎる状況じゃないか。
少しだけ後悔はある。
皆への懺悔の思いだってある。
それでもアンジェリカに伝えたかったんだ。
あの時の思いを本気にして欲しいって。
俺だけのアンジェリカになって欲しいって。
きっと言えていたのならアンジェリカは微笑んで言っていたよ。
「私の体は清くありませんし、それにアンナにどう説明するのですか」
それに対して俺はこう返していた。
「清いかどうかを決めるのは俺だよ。アンナだって大きくなっても俺が好きなら嫁にする。貴族だから嫁が何人いたとしても文句を言う人はいないからね」
それを聞いたら絶対に笑ってくれた。
そして俺の求める気持ちに答えてくれていたんだ。それが俺の失敗のせいで全てが無駄になってしまった。本当に申し訳ないよ。
謝りたい。
好きだって言いたい。
「ア……ン……ジェ……」
指が届かない。
立てば届く距離なのに……体が動かなくて視界もボヤけてしまっている。笑顔のアンジェリカの顔すらも見れないや。
ごめん、皆、ごめん。
俺……死んじゃった……。
◇◇◇
「はぁ、本当に思い通りにいかないな」
トールは大きな声を出して嘆いた。
本来であれば自身が望んだままに全てが進むはずだった。上手く標的の配下を攫い、狙い通り地下まで誘い込む事にも成功したのに……全ては標的の配下の自害という形で覆ってしまったのだ。
まだ標的が正常なままなら良かった。
だが、配下が死んだ後の標的は錯乱し、挙句の果てにはトールの仲間達を殺してでも配下のもとへ向かいだしたのだ。そのまま暴れ出されても自身の命の危険になるだけ。だからこそ、殺してしまったのだが……。
「お前がさ、しっかり拘束していなかったから」
「無茶を言わないでください! アレ程の魔道具を燃やし尽くせるだけの力を持つ存在が! 無名のままでいるとは思えないでしょう!」
「……それもそうか。悪いな、気が立ってしまった」
それでもトールの怒りは治まらなかった。
とはいえ、それを吐き出すための行動も出来ずに溜め息を吐き、今し方、殺してしまった標的の髪を掴み顔を見る。
「死んでも笑顔とか怖ぇよ」
笑顔のまま死んだ標的。
加えてトールと同じく日本から来た転生者。
だからこそ、その笑顔を見て違和感が宿る。
即座に距離を取り標的であったシオンの傷口を見て正しかったと悟った。トールが開けたはずの大穴が胸元に無いのだ。それどころか、大穴があった場所からは黒い霧のようなものが漏れ、どこか白い光も孕んでいる。
「どうした? 怖いのか?」
「待て! 近付くな!」
トールの叫ぶような声。
それを不審に思ったトールの仲間の一人が振り向く。だが、その判断は間違っていた。瞬間、男の首が宙へ舞う。
それをしたのは何か。
トールの目にはしっかりと映っていた。黒い霧のような何かが集まってできた刃。それが一瞬にして自身の仲間の首を飛ばしたのだ。そして黒い霧の持ち主は誰なのか。それはーー。
「グルゥァァァァァッ!」
「おいおい、不死身なのかよ」
殺したはずのシオンから漏れた霧だ。
小さな恐怖、それを振り払うためにトールは周囲の確認をする。自身の仲間はまだ多くいる。確かにシオンの手によって何人かは殺されたが戦う事はできるだろう。
だが、そこで気が付いてしまった。
シオンの後ろにある黒い球体が。そこにあったのはシオンが救いたくて堪らなかった召使いの死体だったはず……そこまで考えが至ってトールは嫌な予感が加速する。
「まさか、生き返らせているのか。待て待て、そんなの転生者であっても不可能だろ。もしくは死にかけのところを何とか助けている……だとしても、アイツの強さからして不可能のはず」
自身が転生によって貰ったチート。
それでさえも、こと戦闘においては無類の強さを発揮した。自身の気配を完全に遮断し、一撃だけであれば誰であろうと与える事ができる暗殺者向きの固有スキル【気配支配】。だが、その力があっても今のシオン相手には通じる気が少しもしない。
トールも転生してから長い事、生きた。
その中で勘を鍛え続け、今となっては思考よりも頼れる場面が多々現れる程には大切な要素となっている。だからこそ、今ある状況がどれだけ自身にとって不利なのかが分かってしまうのだ。
逃げる、その考えは即座に否定される。
背を向けた瞬間に刺される事は目に見えていた。それだけ今のシオンは強く、明確に死の恐怖を味わえてしまう。嫌な汗が流れるが何かを行動に移す暇は無い。
どうすれば逃げられるか、どうすれば生き残れるかだけが頭の中を過ぎり続ける。……出てきたのは一番に最悪な手段だった。だが、トールはその考えを否定しない。
現に今いる集団も自身との利害の一致があったから仕切っているに過ぎない。それ以上の感情は少しも無いのだ。だから、非常な命令をトールは告げた。
「アイツを殺せ! 女を回復させている今しか攻撃できる機会はねぇ!」
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