44話
「話だと」
「ああ、簡単な話だよ」
本気で俺と話しをしたかったのか。
何でだ……いや、俺の立場に関わる交渉をしたいのは分かっている。でも、そこの詳しい話を察せるだけの情報がない。こうやって他の暗殺者達を静止してまで話したい中身が……。
「俺はあの召使いを気絶させはしたが、まだ手は出していない。俺は処女以外に興味がねぇからな。男なら分かるだろ、女を測る上で処女がどれだけ大切な要素なのか」
「興味が無いな。好きになったら好き、それ以上の女を測る理由なんて無い」
「はぁー、つれないねぇ。まぁ、いいさ。俺が言いたい事はそれじゃないからな。単純な話、ああやって拘束はすれど痛め付けず、誰にも犯されていない状況になっている事が不自然だとは思わないか」
トールが指さす方にアンジェリカはいた。
先程までは分からなかったけど手足を拘束されていて猿轡を付けられている。今まで声を出せていなかったのはそのせいか。……はぁ、顔を見なければ良かったな。
すごく申し訳なさそうな、それでいて涙を我慢しているような顔だ。早めに着けたとはいえ、長い時間、恐怖を味わっていたのは間違い無い。ましてや、今の状況は決して良い状態とは言えないからな。
「何でそうしたと思う」
「俺を殺すよう命令されたからじゃないのか」
「半分正解だが……まぁ、俺からすれば不正解だな。何、簡単な話だ。お前と交渉したかったんだよ」
交渉……俺からすればどうでもいい話だ。
だって、この状況を作り出したのは紛れも無くアイツ自身。それで話をしたかった、交渉したかった何て言い訳にはならない。悪いが交渉の段階に入っている時点で目の前の男への印象は最悪だ。
「何の交渉がしたい」
「俺だってこんな薄汚い世界にいたいわけじゃないからな。さっさと役職を手に入れて自由に生きてぇ。そのためには立場のある人間の保護が必要だと思ったからな」
「ゴミみたいな理由だな」
分かりやすく終わっている理由だ。
要は好きな事がしたいから公爵家の立場を利用させろって事だろ。今みたいな日陰者として生きなくて済むようになり、尚且つ、何をしたとしても公爵家の名前を出して無かった事にさせる……チンピラの常套句そのままだ。
「ゴミで結構。そうでもしなければ生きていけない世界だからな。……まぁ、断るのならそれでいいさ。その時は……分かるだろ」
そう言ってトールはニヤッと笑った。
コイツはアンジェリカの近くに仲間を置いていた。ソイツの威圧感からしてトールよりは弱いが他の奴らよりは間違いなく強い。……俺が否定をした瞬間にソイツがアンジェリカを殺すんだ。もしくは目の前で犯されるか。
分かっている。目の前の男がどれだけ腐っているのかは。だって、本当に真っ当な人間なら努力をしてでも冒険者とかになっているはずだ。ましてや、仮に手を染めたくなくても生きるために闇ギルドに所属したのなら……強姦とかの罪だってステータスに付くわけが無い。
きっと公爵家の保護が欲しいのも自由に女を犯して、自由に飯を食って……そんな犯罪から逃れるための言い訳として欲しいだけだ。分かっている、分かってはいるのに……ここでトールの手を叩いたらアンジェリカは死ぬ。
手を取れば俺はきっとルール家として生きていく事はできなくなるだろう。……別に貴族という立場に価値など感じていない。ただ……落ちた名声を少しずつ高めていき褒められるようにまでなったのに落とす理由などあるのか。
ましてや……コイツの事だ。きっとマリアを見たら襲うだろう。それは他の召使いに対しても言える話だ。シンが認めた存在達が俺の一存で命の危険を孕み始めてしまう。
それを許してしまえるのか?
公爵家とアンジェリカ……貴族としての俺と個人としての俺ならどちらの方が気持ちが強い。マリア達とアンジェリカ……いや、答えは決まっているよな。少なくとも家の話に関してはどうとでもトールの首は切れる。ましてや、一種の時間稼ぎになるからな。
でも、手を叩けばアンジェリカが有無を言わさずに殺されてしまうのなら……少しでも生き残って貰える選択肢を取るしかない。隙を見せたらアンジェリカと共に逃げる事も可能だからな。
「分かった」
「ああ、お前なら仲間を取ると思っていたぜ。仲間思いじゃなかったら単身で本拠地まで攻めに来ないからなぁ」
「その代わりアンジェリカには一切、指を出すなよ。もちろん、他の奴らに出させるのも無しだ。その時点で交渉は決裂する」
首を振って止めるように言っているが……ごめんな、俺はアンジェリカを捨てる事なんてできないんだ。好きだって事に気が付いたからじゃない。きっと、そんな事が分かる前でも俺は同じ選択をしていた。
安心させるようにアンジェリカに微笑む。
悪かったのは全て俺だった。その代償にしては高かったと思うけど……これで誰も傷付かないのならそれでいいんだ。この事件も後には笑って話せるものになっている。
「ああ、約束するよ。ギブアンドテイクだ。……いや、ギブアンドテイクは通じないか」
「お互い、持ちつ持たれつの関係になるって事だろ」
「へー……なるほど、これは確かに交渉して正解だったな」
ここまで来て転生者を隠したりしない。
これは一つの牽制だ。俺の見た目で全てを判断するなよというトールへの牽制。加えて俺にも見せていないチート能力があるという懸念材料の一つにもなり得る。
「いいぜ。それじゃあ、この紙にサインを」
「シオン様!」
トールが紙を見せた瞬間だった。
アンジェリカの声が聞こえた。拘束されていたはずの手足には灰が残っており、若干、声がくぐもって聞こえるのは猿轡の灰が口の中に残っているからか。灰になっているところからして火魔法でも獲得したのかな。
本来なら喜べる事象のはずなのに……。
現状が現状なだけに手を叩いて喜べない。こんな状況じゃなかったら抱き締めて褒美でもあげていたのに。……本当にトール達を恨むよ。
「アンジェリカ、いいんだ」
「よくありません! 私のため何かで公爵家を! 汚す必要なんてありません!」
「元より俺がいた時点で公爵家は汚れている! 多少、汚れが増えたところで変わりはしない!」
シオンという公爵家を汚す存在。
そして俺という公爵家とは関係の無い存在。この二つが合わさった時点で清廉潔白な公爵家はとっくに消えていた。もっと言えば……貴族たるもの何もかも綺麗な姿とは言えない。
「そうだ、それでいいんだ。お前が俺を受け入れるだけで全てが上手くいく。俺の強さはよく分かったはずだ」
「お前の強さに興味は無い。俺が求めるのはアンジェリカの安否だけだ」
「はっ、それならそれでいいさ」
今はまだトールより弱いだけだ。
俺の能力は完全、大器晩成型。最初は苦渋をなめるかもしれないが歳を重ねるごとに桁が違ってくるんだ。大丈夫……不安はあるけどシンに頼めばどうとでもなるはず。それで家から追い出されたとしてもアンジェリカを守れるならそれでーー。
「シオン様」
静かになった室内。
そこにアンジェリカの声だけ響いた。
息を吹きかければ消えてしまいそうなほどの儚い笑顔を浮かべて……そして……。
「私の事は忘れてください」
そう言ってアンジェリカは舌を噛み切った。
血飛沫が舞う……綺麗で……見入ってしまいそうになるけど……徐々に倒れていくアンジェリカを見ると気持ちが消えていく。死ぬ瞬間は見た事は無い。
だけど、徐々に、徐々に……俺の知っている死人のソレに変わっていく。今はまだ綺麗に見えるだけで美しさも時期に消滅していくんだ。事故で死んだ父さんや母さん、兄さんのように安心させるために見せた最後の笑顔と同じ。
紙を捲るまでは生きているって思っていた。
笑顔で死んでいるのを見て本気で絶望したんだ。そして初めて殺意を覚えた。……俺はまた繰り返してしまったんだ。今度は回避出来る可能性があったのに俺が弱かったせいで。
何も変わっていない。
やっているアピールだけで動いていなかったからアンジェリカは死んでしまったんだ。なのに、何で俺は戦えない。弱い……弱い……嫌だ!
嫌だ! アンジェリカが死ぬのが嫌だ!
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
嫌なんだ……。
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