30話

「私を置いてリリーと逢瀬とは随分と酷いお方ですね」


 ゴゴゴと擬音が付きそうな程怒っている。

 寝起きで少しだけ髪が逆立っているのが逆に怖く感じてしまうよ。……さてと、この状況をどうやって説明しようか。


 今の状況を整理してみようか。

 まず俺は普段着でリリーに笑いかけていた。


 対してリリーは俺を抱き締めようとしていた。

 そして、その服装はいつものような甲冑ではなく下着の上に大きなシャツを着ているだけ。どこからどう見てもイチャついているようにしか見えないよなぁ。


 おう、これは勘違いされてもおかしくはないね。

 だけど、エルの事だから本気で言っているわけでは無いだろう。怒るわけでもなく軽口で返すのが良さそうかな。


「逢瀬とは酷い言い方だね。単純に昨日の話の回答をしていただけだよ」

「昨日の話……夜枷に関わる話という事ですか」

「いや、それじゃないね」


 どうして下の方に持っていくのか。

 何だろう、本当にエルってムッツリなんだね。というか、早く襲えって言っているし、どちらかと言うとガッツリなのかもしれない。仮に襲ってしまえばこうやって言われる事も減るのかな。


 いやいやいや、それは難しい話だよ。

 口では何とでも言えるけどいざとなったら誰だって怖気づくって。そういう点で言えば俺の方がムッツリに近いのかもしれないな。


 って、問題はそこじゃない。


「将来的に妃の一人に迎えるって話だよ。それと、本妻は誰と婚約しようとエル以外にする気は無いし、今の私の全ての初めてをエルに渡すという事も一緒に伝えたんだ」

「じゃあ、早く襲って」

「うん、それはまだ気持ちの整理がついていないから無理だね!」


 アッサリ襲えって言わないでくれ。

 俺の精神は二十四年と鬱屈した性格の男だぞ。確かに女性経験はあったけどエルほどの美少女と付き合えたわけではないし、ましてや、初めての女性がどれだけ高い価値があるのか分かっているから日和ってしまうんだ。


 日本の時のように高校生だからしても大丈夫だろうとか、一時の感情で異性の交わりを行っていいわけじゃない。もちろん、立場的にはしたところで文句を言う奴は誰もいないんだけどさ。


 せめて、この世界での初めてはしっかりと、ロマンチックに済ませたい。キスは……うん、顔を見ると恥ずかしくなって出来なさそうだなぁ。


 リリーから少し離れてエルに近付く。


「昨日はいいだけエルの好意を聞かせてもらったからね。それを聞いて気持ちを変えるわけが無いだろう。未だに記憶を無くして最初に忠誠を誓ってくれたエルが一番なのは変わらないよ」

「うっ……し、仕方ありませんね」


 ギューって思いっ切り抱き締めてやった。

 フッフッフ、あそこまで言うのだから俺にこんな事をされて喜ばないわけが無いだろう。ってか、現に顔を真っ赤にして抱き締め返してきたし。


 でも……これダメなやつだったね。

 何がとは言わないけどアレが無意識的にピクピク動いてしまう。エルが体を起こした時に気が付くべきだったな。今のエルはブラジャーとパンツしか付けていない状態。普段のハグとは感じられる柔らかさが別格過ぎて……。


 心頭滅却、心頭滅却……火もまた涼し。




 いや、無理だね。

 無理無理無理無理、自分の事を慕ってくれているからとかのプラス要素を抜きにしても、エルは美女では済まないくらい美しいし、胸もそれなりに大きいし、筋肉がある割にはゴツゴツしていなくて柔らかいとか言う最高過ぎる女性だ。


 何を考えようと雑念が混ざってくる。

 あー……いや、やめよう。


「あ……」


 待て待て待て、そんな顔をしないでくれ!

 ただ離れただけだぞ! 抱き締めるのを止めただけで、ご飯を取られた子犬みたいな顔をされるんだけど! いや、どうしろと!?


 抱き締めていてもdead。

 抱き締めなくてもdead。


 それなら……。


「夜、またしよう」

「はい! あ、いえ、別にしてもらわないと生きていけないわけでは」

「シオン様はどうしてそんなに愛らしいのでしょう。その愛らしさに加えてカッコ良さもあって才能もあって」

「ヒャァァァ!」


 ものすごく甲高い悲鳴をあげて手で口を塞いできた。そうやって自分の心を隠そうとされたらさすがに仏のような俺でも悪戯心が湧いてしまうよ。


 ちなみに、さっきのセリフはメモに書いてあった一つだ。本来なら呪文のように永遠と続くけど序盤でエルの精神が持たなかったらしい。どうやら、昨日の事は記憶として残っているようだ。


 それにしても不思議だねぇ、襲ってくださいと言う割にはそういうところは乙女で……うん、ギャップがあってヤバいです。そこは真顔で「その通りですよ」って言ってくれた方が……いや、それはそれで押し倒してしまうくらいには精神的に来るか。


「シオン様シオン様、それは全てお酒が原因なわけでありまして」

「ふふ、いつものエルも可愛いけど昨日のは違った意味で可愛らしかったよ。普段は襲ってくれと言ってくれはするが、あそこまでの情熱的な愛の言葉は囁いてくれな」

「あう……」


 さすがに虐めすぎたかな。

 これ以上はエルが恥ずかし過ぎてどっかに行ってしまいそうだし、からかうのはここまでだ。拗ねられても困るし、適当に話を逸らしてエルの気分を変えてあげないとね。


「ああ、エルに言っておきたい事があったんだった」

「言っておきたい事」

「うん、これに関してはワガママだけどさ。リリーと喧嘩するのはやめてくれ。私はエルもリリーも大好きだからさ。喧嘩している二人ではなく手を取り合う姿を見たいんだ」


 これに関しては本当に俺のワガママだ。

 リリーは兎も角として、エルはあまりリリーをよく思っていない。いや、まだ二人の間で考えの違いがあるからなんだろう。でも、それで喧嘩されるのは真っ平ゴメンだ。


「元より仲は悪くありませんよ」

「という事は、喧嘩をしないなんて簡単な事だよね。それならよかったよ。これで安心して二人を眺めていられる」


 少しだけエルは不機嫌そうな顔をした。

 対してリリーは嬉しそうに笑顔を見せている。自分で言ったのだから歩み寄る姿勢くらいは見せてもらわないとね。それに……いや、これ以上は二人の話だし考えるのはやめておこう。


 でも、なんか、すごく嬉しいよ。

 確かに酒を飲んだせいで悪かった事はあったよ。下手をしたら俺が死んでいたからさ。だけど、明らかにエルの距離感が酒を飲む前よりも近くなった。リリーの事も良い意味でも悪い意味でも知れたし。


「エル」

「何でしょうか」

「大好きだよ」


 これだけは伝えておかないと。

 なぜか、そんな気がした。……ううん、こういう気持ちを伝えるのにタイミングとかは関係が無いか。付き合う前のカップルでも無いんだからさ。お互いが好意を持っていると分かっているのなら素直な気持ちは伝えて損が無い。


「あ、もちろん、リリーも大好きだからね!」

「大丈夫ですよ、さっき充分、気持ちを聞かせて頂きましたから」

「え、気持ち……」


 リリーの言葉にエルが反応を示したぞ。

 これはアレだね、またエルの質問攻めにあいそうだから逃げるが吉だ。リリーに対しての気持ちもエルが起きる前に、それと今、伝えたし大丈夫だろう。


「さてと、今日は何をしようかなぁ」

「ちょっとシオン様!」

「私も護衛の仕事に戻りましょうか」


 一人、稽古場へと向かった。

 ああ、今日からの毎日が楽しみだ。

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