16話

「本当にもう体は大丈夫なのかい」

「はい、一晩休んだら良くなりました」


 同じ質問を何度、ルフレからされただろう。

 もう昼過ぎにもなったというのに、ましてや、既に長時間馬車を走らせている今、体調が悪くは無い事もよく分かるはずだ。それに言っては悪いが昨日も体調が悪かったわけじゃない。全部、勝手に服を脱がせてきたエルが……。


「ん? どうかしたのかい?」

「いえ、何でもありません」

「はは、そうか」


 昨日の事を思い出してしまったせいだ。

 元はと言えば、こうしてルフレとお茶を飲むのすら面倒でしたくはなかったというのに。馬車に乗った途端にエルが「ルフレ様とお話をした方がよいでしょう」とか言い始めて……はぁ、本当に面倒くさいな。


「このお茶美味しいです」

「ああ、私が取り寄せている一級品だからね。そこら辺で頂ける味わいや香りとは少し違ったものだろう」

「癖も無く飲みやすいです」


 お茶自体は好きだから別に構わないが……。

 如何せん、ルフレとの話題も無ければ菓子も甘味が薄くて本来の味を楽しめない。まぁ、お茶を単体で飲むのが本来の味わい方だろと言われてしまえば何も言えないか。


 これが一人なら……自由に買えていたのに。

 そういうスキルを持っているのだから日本の菓子とかを食べたいよなぁ。でも、人前で食べるとなると「それって何だい」と聞かれるのはまず間違いないだろう。まさかスキルの事をバラすわけにもいかないからな。


 ただただ静かにお茶を楽しむだけ。

 ボーっとしたりとかはルフレがいる手前、できやしない。しっかりと意識を保ちながら出された質問に返答して無駄な時間を過ごすんだ。ああ、こうしてみるとエルやリリーといた時間ってすごく幸せだったんだなぁ。


「シオン、実は私はずっと君と話をしたかったんだ」

「……そうなんですか」

「ああ、昨日も本当は話をしたかったんだけどね。シオンはシオンで騎士や侍女への労いで忙しくて叶わなかった」


 少しだけ胸がドキッとした。

 まるで避けているのは分かっているぞ、と言いだけな表情。普段も優しげであまり貴族らしくないと思っていたが……これは撤回しないとな。良くも悪くも目の前にいるルフレは間違いなく公爵家の息子だ。


「私にとってはエルやリリー、もちろん、アンジェリカやアンナは大切な存在なのですよ。半ば強制だったとはいえ、依頼を受けてしまった事を労わない存在にはなりたくありません」

「……確かにそれもシオンの良さだ。そこは否定しないさ。だが、そのような反応を見るとますます考えてしまうな」


 キリッと目付きが一気に変化した。

 俺の顔を見たかと思うとそのまま次の言葉をどのように紡ぐか、思案げに一つ小さく息を吸う。若干、続きを言うのを躊躇っているのだろう。となると、何を言いたいのかは察せられる。


「昨日のアービン殿との対談、誠に見事だった。それこそ、私も見習いたいと思う程にね。加えて部屋を出る時の言い分もしっかりしている。あれならばアービン殿も無理に止めはしないだろう」

「正しい選択ならば良かったです」

「ああ、貴族としては正しい。だけど、前のシオンならば嘘を並べるだけで看破されていただろうし、ジュビナ殿の話の際に言い分を告げずに怒って部屋を出ていただろう」


 遠回しに俺がシオンではないと疑っている、と。

 こういうところはやはり貴族と言うべきか、素直に言えばいいものを遠回しに言ってくる。いや、これでも素直に言っている方なのかもしれない。理知的なルフレならば尚のことか。


「とはいえ、シオンを追い出す気はサラサラないがね。元よりシオンの事は弟として好きではあったが人としては好きにはなれなかった。今のシオンならば弟として、人として好きになれるから構わない」

「ただ本人かどうかは気になってしまう、と」

「うんうん、その通りだよ」


 それがルフレの素直な気持ちなのだろう。

 ただ果たしてどこまでが本心なんだろうな。本当にルフレはシオンを愛しているのか、加えて俺の事を良い存在として捉えているのか……その全てが俺には分からない。だから、返せる言葉は変わらず一つのみ。


「正直な所、私にも測りかねています。ここまで共に暮らさせて頂いて少しでも記憶が戻るのならまだしも、未だに微かな光すらも見えません。だからこそ、私も薄々、本物のシオンでは無いのではないかと思って」

「いや、少なくとも偽物ではないと思うよ。シンお父様がシオンは本物だと言っていたのは覚えているだろう。あの人がそう言うということは間違いなくシオンではあるんだ。ただ……」


 素直な気持ちをぶつけるだけ。

 でも、そこで並べられる言葉は何度もルール家の人々に伝えたものだ。ルフレの言う通り、その度にシンは俺がシオンであると断言していた。記憶も何もかもが無い俺の事を間違いがない、と。


「記憶を無くし、違った言動をとる君をシオンと同じだとは言えないだろう。ましてや、記憶が無いと私を騙して驚かそうとしているんじゃないかとも思えてしまう。だから、君への対応に少しだけ困ってしまうんだ」


 口は笑ってはいるが目はそうでは無い。

 今も俺の事を測っているんだろう。本当に弟として対応していいのか、俺がルール家のためと思って行った事も元のシオンならばしない。良い事であって悪い事でもあるんだろう。


「つまるところ……君に言いたかったのは」

「シオン様……いる?」


 何かを口にしようとした瞬間。

 部屋の扉がギイっと開いて一人の女の子が入ってくる。その顔を見て何となく分かった。あまり接触したくないといいながらも長い時間、ルフレと話し込んでいた事を。……コチラの不手際ではあるからな。


「すみません、アンナが入ってきてしまって」

「……いや、いいんだ。確かに君を拘束し過ぎてしまった。アンナはシオンの事が大好きだからね。もう少し配慮しておくべきだったよ。それに」


 困惑しながらも俺の隣に来るアンナ。

 昼寝から目を覚ましたばかりだからか、今の状況もあまり分かっていないようだ。とはいえ、口振りから察するに変に罰則を与えられる事もないだろう。そんな事があれば……いや、無い話をする意味も無いか。


「話す機会ならこの先もたくさんあるだろう。それこそ、話をするためにもシオンの同伴をお父様に求めたのだから」

「……ええ、お時間が合えば幾らでもお話させて頂きますよ」


 笑みを見せてから俺の頭を撫でてくる。

 そのまま静かに部屋を出ていく姿は何となく寂しげに見えた。あれだけ伝えづらそうに紆余曲折しながら話を続けていたんだ。もしかしたらルフレが言いたかった事は……強く頭をかいて考えを改める。


 どうせ、考えても予想しか立てられない。

 ルフレが言っていたように話す機会はたくさんあるからな。変に勘ぐるのも無粋なものだろう。ルフレが俺をルール家の一員として認めてくれるのなら俺も兄として思うだけ。


 今はきっと……それだけでいいだろう。


「シオン、様」

「ああ、少しだけ考え事をしていたんだ。気にしなくていいよ」


 心配そうに覗き込んできたアンナを抱き締める。

 驚いたような声を出していたけど……すぐに受け入れてくれたから構わなくていい。仮に悪い方の考えが合っていたとしても別にいいだろう。シオンとしてではなく俺として大切に思えるものもあるわけだからな。


「ところで何の用で部屋に来たの」

「えーとね……街に着くまでもうすぐだから呼んできてってリリーに言われたから来たの」

「そうか、なら、私も部屋から出ないとね」


 アンナの手を握って少し強めに引き部屋を出た。

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